大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年11月12日 | 写詩・写歌・写俳

<2145> 余聞、余話 「事件の報道に寄せて」

         彼我にしてありけるこの世 常ながら事件(こと)の次第もこの彼我の間

 神奈川県座間市における九人殺害事件で、このほど被害者の男女全員の身元が判明し、新聞、テレビ等で一斉に報道された。結果、九人(男性一人、女性八人)の被害者全員の氏名並びに顔写真が公にされた。事件における動機や経緯など詳細についてはまだ不明な点もあるようであるが、九人は自殺願望によって加害者の男(27)と接触し、犠牲になったことは明らかにされている。

  この事件はインターネットが仲立ちの現代を象徴するネット社会に現われた現象の一端で、犠牲になった九人全員がネット利用の十代から二十代で、犯人も二十七歳という若年層に展開した事件であるが、今一つは、自殺願望を抱えながら日々を送っている絶望的な思いを秘めた若者が存在するという社会の一面を浮き彫りにした事件でもあることを物語るものとして捉えることが出来る。

  この事件では自殺願望という個人的動機が一つの引鉄になったわけで、殺害の犠牲者という以前に、被害者には個人的重大な問題が心の中にあり、悩みを抱えていた。このことを抜きにして、この事件を単なる殺人事件として扱い、被害者の報道をしているところに、その氏名と顔写真の使用は繋がったことが思われ、この点において、私には報道が何を考えその任に当たっているのだろうかという疑問が湧いて来たのであった。

                                                                 

  被害者というのは被害の認識が生じるとき、相対して存在する加害者との経緯において、常に同情の目によって世間の俎上に上げられ、弱い立場を強いられる。被害者にとって、この同情による世間の目に曝されるということは決して好ましいことではなく、「そっとして欲しい」という気持ちになることの方が強かろう。単純な事件でもこれは言えるが、この事件では自殺願望という心に秘めた問題が被害者個人の中にあった。このことを思うとき、果して被害者の氏名並びに顔写真の使用が妥当だったかどうか。犠牲になった死者には何も言えないが、被害者の家族とか関係者からこのことについて何の声も上がらないのだろうかと思われたりする。

  事件を浮き彫りにし、事件の真相を明らかにして社会に貢献するという社会的な責務の重要性に照らして、報道する側の新聞やテレビはそれに当たるというのが建前にあるはずで、興味本位に捉えているとは思わないが、被害者の氏名並びに顔写真の使用については、私のような疑問を抱く人も多いのではなかろうか。果して事件を伝える報道の立場はこの疑問に対し、どのように答えるのだろうか。

  思うに、事件の重大性から被害者の氏名並びに顔写真の使用は已むを得ないとするところに落ち着いたのだろう。つまり、事件の重大性にウエイトを置くという報道側の論理が通されたということなのだろう。いつの事件にも言えることであるが、この種の問題では、被害者や被害関係者には納得の出来ない辛さがつき纏うことになる。これは報道する側に同情心はあっても、被害者の人権や名誉にまで思いが及ばないという第三者的立場の考えが支配的にあるからに違いない。

  この問題は、これまでもことあるごとに論議されて来たが、現在の報道の状況を見ると、死者には将来がなく、同情はしても、人権も名誉も認める姿勢にはないと受け止められる。私たちには知る権利があり、ゆえに、私たち一般大衆に知らせる義務を負う報道には知る権利の行使が認められている。しかし、知ったことを何でも報道してよいかと言えば、その影響力の大きさにおいて自制も必要になって来ることが常に考慮の対象として求められることになる。常々人権を重んじることを標榜する現代社会の担い手である報道にして被害者の人権が疎かにされているということは、やはり問われて然るべきと思われる。報道は権威の高みによるばかりでなく、常に読者や視聴者という一般大衆に寄り添い悩まなくてはならないという一面のあることを自覚してもらわなくてはならない。言わば、自由には責任がともなうということである。

  この事件を振り返れば、先にも触れたように、九人もの若い男女が殺害され、それもかなり異常な、目を背けたくなるような殺人であったが、事件の原因の一端が殺害された被害者の方に多少はあるという負のイメージが被害者に持たれている事情を考えると、被害者の氏名並びに顔写真を出して報道するということがより死者を鞭打つことに繋がる。このことが報道する側には論議されなかったのだろうか。それとも、氏名並びに顔写真を出して報道することで今後の事件抑止に繋がり、よりよい社会を作るのに役立つという具合に考えたのだろうか。

  それにしても、被害者というのは何の抵抗も出来ない弱い立場に思えて来る。九人の被害者の中には未成年者が四人含まれている。加害者が未成年だったら、仮名になり、当然のこと顔写真も出すことはない。それは加害者当人の人間形成あるいは将来を考慮するからで、その理由づけはわからなくもないし、よいにしても、犠牲者にはプライバシーがなく、人権も認めないという報道の在り方はどうなのだろうと思われて来る。

  このような事件報道に接すると、報道は知る権利を誰に向かって発し、言論、表現の自由を誰に向かって訴えているのかを問い直さなくてはならないような気がして来る。弱い者に対し、報道する側は自らの都合のよいように知る権利を通す。これは報道の権利の履き違えであり、私たちはもしかしてこの履き違えを容認しているのかも知れない。事件究明が正しいとして、被害者並びに被害者の関係者をこの報道によって痛めつけるのではニュース報道の本末転倒というほかはない。考える必要がある。 写真は新聞紙面。

 


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2017年11月08日 | 植物

<2141> 大和の花 (364) ヒヨドリジョウゴ (鵯上戸)                                            ナス科 ナス属

               

 山野に生えるつる性の多年草で、全体に軟毛が密生し、長い葉柄が他物に絡み伸び上がる。葉は3センチから8センチほどの長卵形で、中には左右の切れ込むものがあり、互生するが、冬には枯れ落ちて、つるが残り、春になるとこのつるに新芽が出て再生する。

 花期は8月から9月ごろで、葉と対生する集散花序を出し、花冠が5深裂する長さ1センチほどの白い小花をつける。花の盛りには花冠の裂片が反り返り、黄色い葯の雄しべ5個が前面に束状につき、その中から雌しべの花柱が突き出る。葯は花粉の放出が終わると黒ずんで来る。液果の実は直径8ミリほどの球形で、光沢のある鮮やかな赤色に熟し、よく目につく。この実をヒヨドリ(鵯)が好んで啄むのでこの名があるという。

 日本の各地に分布し、国外では朝鮮半島から中国、台湾、インドにも広く自生するという。古来より薬草として知られ、貝原益軒の『大和本草諸品図』など本草書のほとんどにとりあげられ、漢名の白英(はくえい)でも知られる薬用植物で、全草を煎じて飲めば、解熱、利尿、解毒によいとされるが、最も顕著な薬効はヘルペス(帯状疱疹)であるとされ、実のついた全草を酢漬けにしたものを患部に直接当てるとよいと言われる。

 写真はヒヨドリジョウゴ。左は花(雄しべの葯が黒ずんで見えるのは花の盛りが過ぎたことによる)。右は液果の実(鮮やかな赤色で、よく目につく。つる茎は葉が枯れ落ちて裸の状態だが、春にはこのつる茎から芽が出て、再生する)。 小春日の田面にぎはす群雀など穏やかに斑鳩の里

<2142> 大和の花 (365) ヤマホロシ (山白英)                                            ナス科 ナス属

                         

 山地の林縁などに生える半つる性の多年草で、ヒヨドリジョウゴ(鵯上戸)の仲間として古来より知られ、平安時代中期に表された『本草和名』や『倭名類聚鈔』には白英(はくえい)の漢名とともにホロシの名が見え、山に生えるところからこの和名があるようであるが、ホロシの語源については定かでない。別名はホソバノホロシ(細葉の白英)で、類似種にマルバノホロシ(丸葉の白英)がある。

 全体的にヒヨドリジョウゴに似るところがあるが、若葉以外は軟毛がなく、葉は長さが3センチから8センチほどの先が細く尖った卵状披針形で、ときに下部の葉では其部の辺りで3つに切れ込むものも見られる。

  花期は7月から9月ごろで、集散花序に直径1センチほどの花冠が5深裂する小花をつける。小花の花冠は淡紫色で、其部が濃紫色になり、裂片にはそれぞれ2個の斑紋があって、花の盛りにはこの5個の裂片は反り返る。花冠の真ん中には雄しべ5個の黄色い葯に取り囲まれた1個の雌しべが突き出るようにつく。実はヒヨドリジョウゴと同じく、直径7ミリほどの球形の液果で、熟すと光沢のある鮮やかな赤色になり、よく目につく。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島や中国にも見られるという。大和(奈良県)では深山の谷筋で見かけるが、自生地が少なく、個体数も少ないとして、レッドリストの希少種にあげられている。なお、花の改良された園芸種が一般に出ている。 写真はヤマホロシ。淡紫色の花と真っ赤な実(上北山村)。  立冬や言葉一句に切れが欲し

<2143> 大和の花 (366) イヌホオズキ(犬酸漿) と アメリカイヌホオズキ (亜米利加犬酸漿)             ナス科 ナス属

           

 道端の草叢や畑の畦などに生える1年草で、草丈は30センチから大きいもので90センチほどになり、よく枝をわける。葉は長さが5センチから10センチの卵形乃至は広卵形で柄があり、縁には波状の鋸歯があって、互生する。

 花期は8月から10月ごろで、茎や枝の節間に花序の軸を出し、それぞれに4個から8個の小花を集めてつける。小花の花冠は白色で、5深裂し、裂片は反り返る。雄しべの葯は黄色。実は球形の液果で、緑色から熟すと光沢のある黒色になる。

 世界の温帯や熱帯に広く分布し、日本でも全土に見られ、大和(奈良県)においてもそこここに見られる。ソラニンやサポニンなどのアルカロイドを含む有毒植物であるが、生の実や茎、葉に塩を加えてもみ、この汁をつけると腫れものに効き、乾燥した全草を煎じて服用すれば解熱、利尿に効能があるとされ、竜葵(りゅうき)という生薬名で知られる薬用植物でもある。

  役に立たない意のバカナス(莫迦茄子)の別名を持つが、バカとハサミは使いようという諺もあるように毒草ながら古来より「其実を汗瘡(あせも)に付すれば癒る」とか、「その葉、実、根は外家(げか)の要薬なり」と言われ、実用さられて来た。

  極めてよく似たものに北米原産のアメリカイヌホオズキ(亜米利加犬酸漿)があり、イヌホオズキよりも枝を多く分け、花が白色だけでなく淡紫色のものも混在する。こちらも1年草で、戦後帰化した外来雑草として知られる。  写真は左2枚がイヌホオズキ、右2枚がアメリカイヌホオズキ。みな若い実で、熟すとともに黒色になるが、イヌホオズキの実には光沢がない。   無事ゆゑに今があるなり我らみな時を旅する命の欠片

<2144> 大和の花 (367) ワルナスビ (悪茄子)                                             ナス科 ナス属

                                    

 北米原産の多年草で、昭和時代のはじめ関東地方南部において見つかった外来種の帰化植物で、繁殖力が旺盛なため各地に広がり、大和(奈良県)でも著しい繁殖を見せ、そこここで群生するようになって久しい。

 根茎が長く伸び広がり、高さが50センチから大きいもので80センチほどに直立して節ごとにくの字に曲がって立つ姿が見られる。葉は長さが8センチから15センチの長楕円形で、縁には波状の大きな鋸歯が見られ、不揃いな葉柄を有し、互生する。

 花期は6月から10月ごろと長く、いつまでも花を咲かせているイメージがある。これも繁殖力に関わる光景と受け取れる。茎の中ほどに太い枝を出し、この枝の軸に集散花序を形成して、淡紫色乃至は白色の花冠が5浅裂する星形の花を開く。雄しべの葯は黄色で目につく。実は球形の液果で、熟すと黄色に変色する。

 茎や葉の脈上、花序軸などに鋭い刺を有し、触るとこの刺に刺される。脅威的な繁殖力によって畑地に侵入する問題雑草(害草)としてあり、ワルのこの名がある。ワルもバカも卑下する言葉であるが、ワル(悪)はバカ(馬鹿)より嫌われる対象で、ワルナスビの名を持つ第一の理由はこの鋭い刺によるものと思われる。 写真はワルナスビの花と実。   ワルナスビ衰へてなほ咲きにけり

 

 

 

 

 

 

 


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2017年11月07日 | 写詩・写歌・写俳

<2140> 余聞、余話 「帰るという言葉について」

        人の世の人も斯くあり渡り鳥継ぎて来たれる渡りのならひ

 今日は立冬。このところ少し冷え込むようになった。この時期になると冬の渡り鳥のカモたちがやって来て池をにぎやかにする。今年もこの時期が来て、飛来したカモの群を見ながら「帰る」という言葉について思いが巡った。「帰る」という言葉には二通りの見方がある。「帰る」に「来る」と「行く」をつけ加えてみるとよくわかる。こちらに「帰り来る」とあちらに「帰り行く」ということになり、同じ「帰る」でも正反対の行動を意味することになる。これは其点を何処に置いて「帰る」という言葉が使われるかで意味が変わるからである。例えば、渡り鳥に例を見ると、「帰る」はみなこちらからあちらへ「帰り行く」という意味に用いられているのがわかる。

 冬の渡り鳥では、「帰る」は春に用いられ、俳句では春の季語になっており、「帰雁」とか「鴨帰る」という言葉などが見られる。これは冬の渡り鳥であるカリやカモが「帰り行く」ことをいうもので、入れ代りに夏の渡り鳥であるツバメが姿を見せる。このツバメには「初燕」とか「燕来る」という言葉が当てられ、「帰り来る」とは言わない。夏の渡り鳥であるツバメの「燕帰る」はツバメが「帰り行く」ときに用いられるので秋の季語になっている。言わば、これが渡り鳥に対する見方であり、「初雁」、「鴨来たる」というのも秋の季語として用いられているわけである。

     

 ここで気づくのは、冬鳥にしても夏鳥にしても渡りをする鳥たちは長距離の旅をする鳥で、私たちは渡りをするこれらの鳥をみな客人扱いにし、接しているということである。ゆえに前述のように渡りに関わる季語が定められ、用いられている次第である。本来ならば、カリやカモのように北の国で巣作りをし、繁殖する鳥、即ち、本拠地が他所の国にある渡り鳥では、「来る」であり、「帰り行く」でよかろうと思われる。一方、ツバメのように日本の地で巣作りをし、繁殖する渡り鳥では本拠地がこちらであると見なせるから、「帰り来る」であり、単に「行く」でなくてはならないように思われる。だが、古来より夏冬どちらの渡り鳥も「帰り来る」はなく、「帰り行く」で、「帰る」という言葉の意味は「帰り行く」で統一されている。

 理屈では、冬のカリやカモと夏のツバメではその本拠とする棲息状況からして「帰る」という言葉の用い方は異なって然るべきと思えるが、そういう細かいところに頓着することなく、渡り鳥全てを客と見なし、親しみをもって迎え、惜別の情をもって見送るということが昔からの心情による習いになっているということであろう。言わば、カリもカモもツバメも、渡り鳥の「帰る」はみな一様に「帰り来る」ではなく、「帰り行く」という認識によって成り立っている。

 では、その認識による代表的な短歌を『新古今和歌集』に見てみたいと思う。以下の四首は「春歌上」に並んで見える。 写真は「鴨来たる」の初鴨。なお、単に「渡り鳥」という場合、俳句では秋の季語であるから俳句の世界も微妙である。これは自然の捉え方に完全一致が難しい点を物語るものと言えそうである。

   聞く人ぞなみだはおつる帰るかり鳴きて行くなる明けぼのの空                       藤原俊成

   故郷に帰る鴈がねさ夜ふけて雲路にまよふ聲聞ゆなり                           詠人未詳

   帰る鴈いまはの心有明に月と花との名こそをしけれ                            藤原良経

   霜まよふ空にしをれし鴈がねの帰るつばさに春雨ぞふる                          藤原定家


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2017年11月03日 | 植物

<2136> 大和の花 (360) キッコウハグマ (亀甲白熊)                               キク科 モミジハグマ属

 秋が深まるころ山路を歩くと、キクに似た小さな花をつけた本種に出会う。少し高い山では紅葉が始まり、その彩に目を奪われて気づかずに通り過ぎたりするが、かわいらしい花で、見かけるとカメラを向けたくなる。平地ではミゾソバ(溝蕎麦)の花が殿を受け持っているが、山路ではこの花が殿を務める感がある。

                                     

 山地のやや乾いた木陰に生える多年草で、紫褐色から緑褐色の針金のような茎を10センチから30センチほど直立し、茎の基部付近に柄を有する長さ1センチから3センチの小さな葉を多いもので10個前後つける。葉は5角形に近いものが多く、カメの甲羅に似るのでこの名がある。

 花期は9月から10月ごろで、茎の上部に1センチほどの白い頭花をまばらにつける。頭花は3個の小花からなり、小花は5深裂し、3個で1つの花を形成している。このため1つの花に3個の雌しべが見られる。小花は閉鎖花になるものが多いので、つぼみに期待していると裏切られることがある。実は痩果で、痩果には長い毛が多数生え、この毛によって風に運ばれ飛散する。これは他のキク科の花に似る。

  北海道から九州までほぼ全国的に分布し、国外では朝鮮半島南部。大和(奈良県)では山地のそこここで見られる。 写真は左から花をつけた個体、花のアップ(1つの花に見えるが、3小花からなる)、密についた冠毛。   花は実に実は秋風に永久(とは)の夢

<2137> 大和の花 (361) テイショウソウ (禎祥草)                                  キク科 モミジハグマ属

               

 和名のテイショウソウは漢字表記で禎祥草とされ、禎祥は「天におこる現象によって示されるめでたいしるし」とあり、キチジョウソウ(吉祥草)の名に似る瑞祥植物の感がうかがえるが、語源の由来は不明で、定かではないと言われている。

 山地の木陰に生えるモミジハグマ属に入る多年草で、針金のような紫褐色の茎は高さが30センチから60センチほどに枝を分けることなく直立する。葉は茎の下部に集まり、根生葉のように見える。柄を有し、長さが10センチ前後の卵状鉾形で、4個から5個集まってつく。葉は白い模様のあるものが多く、裏面は暗紫色を帯びる。

 花期は9月から11月ごろで、直径2センチ弱の頭花は茎の上部の片側に連なるように総状につき上から順に開花する。キッコウハグマと同様3個の白い花冠の小花が集まって1つの頭花を形成し、小花は5深裂するので、花弁15個の花に見える。雌しべ3個は花冠の外に突き出る。キッコウハグマとは葉の違いが明らかで、間違うことはない。実は痩果で、冠毛によって風に運ばれ遠くまで飛散する仕組みになっている。

 本州の関東地方南部から近畿地方中南部と四国に分布し、大和(奈良県)では東西南北を問わず、山道でときおり見かけるが、個体数が少なく、奈良県版のレッドデータブックには希少種としてあげられている。 写真はテイショウソウ。左から低いササの生える林内で花を咲かせた個体と花のアップ(花は片側に連らなっている。ともに玉置山)、右端の写真は冠毛が見られる結実期の個体(金剛山)。 蟷螂の飛ぶ一瞬の懸命さ

<2138> 大和の花 (362) モミジハグマ (紅葉白熊)                                キク科 モミジハグマ属

                                             

 山地の木陰に生える多年草で、草丈は40センチから80センチほど。枝を分けず直立する。有柄の葉は腎円形もしくは円心形で、長さが15センチ前後、掌状に中裂し、縁には鋸歯があって、質は薄く、茎の中ほどに数個がやや輪生状につく。 花期は8月から10月ごろで、頭花が茎の上部に穂状につき、上から下へと開いてゆく。頭花はモミジハグマ属特有の3個の小花からなり、小花の花冠は5深裂し、全部で15弁のように見える。裂片は細長くよじれる。雌しべは3個で花冠から突き出るのも仲間に似る。痩果には羽毛状の冠毛がつき、風に吹かれ飛ぶ。

 近畿地方以西、四国、九州に分布し、大和(奈良県)ではレッドリストの希少種にあげられている。私が大峰山系の上北山村の山中で出会った個体は葉の形状がモミジハグマとモミジハグマの変種で知られるオクモミジハグマの中間型で、判断に迷うところがあったが、葉が成長過程と見てモミジハグマと同定した。写真はその個体。なお、名に見えるモミジ(紅葉)は葉が掌状に裂けてモミジの葉に似ることによる。ハグマ(白熊)は仏具の払子(ほっす)に用いるヤクの毛で、細長く裂ける花冠のイメージによる。深山の森林中でこうした草花に出会うと自然の深さが思われて来る。   ゆく秋や終はりよければうむうむうむ

<2139> 大和の花 (363) カシワバハグマ (柏葉白熊)                            キク科 コウヤボウキ属

                           

 山地の木陰に生える多年草で、草丈は30センチから70センチほどになる。茎は枝分かれせず直立し、茎の中央部に長い柄を有する葉が集まってつく。葉は卵状長楕円形で、長さが10センチから20センチ。縁に粗い歯牙があり、カシワ(柏)の葉に似るということでこの名がある。本州、四国、九州に分布し、大和でも低山帯でときに見かける。葉は虫の好物らしくよく食われ、無惨に見えるものが多い。

 花期は9月から11月ごろで、茎の上部に白色の頭花を穂状につける。頭花は10個ほどの筒状花からなり、筒状花の花冠の先は5つに切れ込み、裂片の先がくるりと巻くように反り返る。その名にあるハグマ(白熊)は仏具の払子(ほっす)に用いるヤクの毛のことで、花冠の細い裂片にハグマをイメージしたことによる。名にハグマとあるが、本種はコウヤボウキ属の仲間である。カシワバハグマは初冬のころ茎から沁み出る水分が凍って霜柱のようになることで知られる。   写真はカシワバハグマ。花期の姿と花のアップ。     野に出づる歩みの先の草紅葉

 

 

 

 

 

 

 


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2017年11月02日 | 写詩・写歌・写俳

<2135> 余聞、余話  「 カモ来たる 」

        鴨七羽初陣七羽秋天下

 台風一過の十月末、桜の紅葉が始まった馬見丘陵公園の下池に七羽のマガモ(真鴨)と一羽のバンが(鷭)が見られた。マガモの方はオスが四羽とメスが三羽。バンの方はオスかメスかどちらなのか。マガモの方は池の中ほどに集まっていた。他の水鳥に先がけてバンとともに渡って来たのだろう。バンの方は対岸の繁みの近くで泳いでいた。台風の悪天下にやって来たのか、北海道では低気圧の発達により吹雪という報があった。

  先日までは池面に水鳥の姿は皆無だったので、悪天を衝いて渡って来たことになるが、カモたちには吹雪を察知していたのかも知れない。双眼鏡で覗いて見る限り、みな元気な様子である。隣接する上池にはまだ水鳥たちの姿がないので、このマガモ七羽とバンの一羽が初陣ということになるが、その数の奇数であるのを思いながらカメラを向けたことではあった。

         

 鴨は仲睦まじい鳥で、オスとメスが一緒に行動し、集まって行動する傾向が見られ、そうした光景を眺めていると、こちらも和やかな気分になる。繁殖地は北国で、この池では越冬するだけであるが、恐らくペアで渡って来るのに違いなく、概ねオスとメスが半々見られる。それが奇数で、オスとメスの数が異なるというのは、渡って来る途中、何らかのアクシデントに見舞われ、一羽が欠けてしまったということが想像される。思うに、旅中力尽きてしまった二羽の無念がこの四と三と一の数にはうかがえる次第である。そして、伴侶を失ったマガモのオスとバンの心持ちが、その池面にはあると想像されて来る。

  この奇数の事情を知っているのは、渡りを共にして来たマガモの七羽とバンの一羽で、元気に泳いではいるが、何か切ないような眺めではあるということになる。遠路の旅であれば、こうしたアクシデントはあり得ることで、渡りのこうした事情は渡りの度に起きるということになる。言わば、この遠距離の渡りの旅の群行における犠牲は已むを得ないと言えようか。

  渡りの旅をする鳥たちにはその覚悟があるはずで、そのアクシデントの悲しみに泣き言など言っていられないそこには厳しさがあるのだと言える。こうした渡りという厳然たる生の環境にあるゆえにカモをはじめとする渡りをする水鳥たちには池面における和気藹藹の仲睦まじい日々があるのだとも思えて来る。こうしたカモたちの光景に接していると、渡りをするものの思いの奥にそうした切ない出来ごとへの思いが秘められていることが、また思われて来るのである。

 この四、三、一の数、即ち、ペアの欠けを示すこのマガモとバンには、今後どのように自らの環境を調整して行くのだろうか。それはカモにあってはカモの仲間内で解決して行くのだろうと、そういうことも思われたりする。ファインダーを覗く限り、みな元気に見えるが、そこにはこうした事情があり、カモやバンにはさびしい気持ちもあるのではないかと想像が巡る。

  果たして、この事情は水鳥だけの話ではなく、生きとし生けるものに共通する。人間の世界でも同じである。悲しいことが家族の誰かに起きれば、家族みんなでその悲しみを分かち合い、乗り越えて行く。渡り鳥の渡りの習性の内には、そのことがきっちりとはめこまれているように思われる。皮肉にも初陣には渡り終わった後に台風一過の秋天が大和平野に穏やかな時をもたらしている。思うに、これも自然であり、自然に影響されながら存在している生きものがここには認められる。下池にはこれから徐々に水鳥たちの姿が増えて来るはずである。 写真は今シーズン初のカモ(左・六羽しか写せなかった)とバン(中)と桜の紅葉(右)。