大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年11月02日 | 写詩・写歌・写俳

<2135> 余聞、余話  「 カモ来たる 」

        鴨七羽初陣七羽秋天下

 台風一過の十月末、桜の紅葉が始まった馬見丘陵公園の下池に七羽のマガモ(真鴨)と一羽のバンが(鷭)が見られた。マガモの方はオスが四羽とメスが三羽。バンの方はオスかメスかどちらなのか。マガモの方は池の中ほどに集まっていた。他の水鳥に先がけてバンとともに渡って来たのだろう。バンの方は対岸の繁みの近くで泳いでいた。台風の悪天下にやって来たのか、北海道では低気圧の発達により吹雪という報があった。

  先日までは池面に水鳥の姿は皆無だったので、悪天を衝いて渡って来たことになるが、カモたちには吹雪を察知していたのかも知れない。双眼鏡で覗いて見る限り、みな元気な様子である。隣接する上池にはまだ水鳥たちの姿がないので、このマガモ七羽とバンの一羽が初陣ということになるが、その数の奇数であるのを思いながらカメラを向けたことではあった。

         

 鴨は仲睦まじい鳥で、オスとメスが一緒に行動し、集まって行動する傾向が見られ、そうした光景を眺めていると、こちらも和やかな気分になる。繁殖地は北国で、この池では越冬するだけであるが、恐らくペアで渡って来るのに違いなく、概ねオスとメスが半々見られる。それが奇数で、オスとメスの数が異なるというのは、渡って来る途中、何らかのアクシデントに見舞われ、一羽が欠けてしまったということが想像される。思うに、旅中力尽きてしまった二羽の無念がこの四と三と一の数にはうかがえる次第である。そして、伴侶を失ったマガモのオスとバンの心持ちが、その池面にはあると想像されて来る。

  この奇数の事情を知っているのは、渡りを共にして来たマガモの七羽とバンの一羽で、元気に泳いではいるが、何か切ないような眺めではあるということになる。遠路の旅であれば、こうしたアクシデントはあり得ることで、渡りのこうした事情は渡りの度に起きるということになる。言わば、この遠距離の渡りの旅の群行における犠牲は已むを得ないと言えようか。

  渡りの旅をする鳥たちにはその覚悟があるはずで、そのアクシデントの悲しみに泣き言など言っていられないそこには厳しさがあるのだと言える。こうした渡りという厳然たる生の環境にあるゆえにカモをはじめとする渡りをする水鳥たちには池面における和気藹藹の仲睦まじい日々があるのだとも思えて来る。こうしたカモたちの光景に接していると、渡りをするものの思いの奥にそうした切ない出来ごとへの思いが秘められていることが、また思われて来るのである。

 この四、三、一の数、即ち、ペアの欠けを示すこのマガモとバンには、今後どのように自らの環境を調整して行くのだろうか。それはカモにあってはカモの仲間内で解決して行くのだろうと、そういうことも思われたりする。ファインダーを覗く限り、みな元気に見えるが、そこにはこうした事情があり、カモやバンにはさびしい気持ちもあるのではないかと想像が巡る。

  果たして、この事情は水鳥だけの話ではなく、生きとし生けるものに共通する。人間の世界でも同じである。悲しいことが家族の誰かに起きれば、家族みんなでその悲しみを分かち合い、乗り越えて行く。渡り鳥の渡りの習性の内には、そのことがきっちりとはめこまれているように思われる。皮肉にも初陣には渡り終わった後に台風一過の秋天が大和平野に穏やかな時をもたらしている。思うに、これも自然であり、自然に影響されながら存在している生きものがここには認められる。下池にはこれから徐々に水鳥たちの姿が増えて来るはずである。 写真は今シーズン初のカモ(左・六羽しか写せなかった)とバン(中)と桜の紅葉(右)。