大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年01月28日 | 創作

<2940> 作歌ノート 感と知の来歴  自負に寄らずば

            透明にあらざるものと相向かふ自負に寄らずば何に寄るべき

 人生に悩みの生まれることは一つに私たちが未完の未熟な存在であるからということは「未完の旅」の項で触れたが、私たちが「感と知の来歴」の経験において学んだ結果として言えることは、こうした私たちの生の現実が私たちの能力ではほとんど見通せない不透明なところに関わって、それらに相向かわなくてはならないということである。

                             

   この現実を生きて行かねばならない身としての私たちの人生にとって、何が求められ、必要かと言えば、それは私たち自らの意志の自覚であり、自負であって、この自覚における自負がなくてはならないと思える。意志とそれを意識する自負があれば、生まれ来る悩みも越えることが可能であり、人生を全う出来る。つまり、人生には意志の自覚と自負の意識が大切ということになる。以下はその意志の自覚と自負を意識に置いて詠んだ歌である。写真はイメージで、夕日。

         論争の時代と呼ぶにふさはしき精神の時代にありて我が論             精神(こころ)

         闘争は獣のごとくあるべきか否狂王の夢を踰ゆべし

   青空に真紅の林檎弧を描く投げられたるは受けるべくあれ

   狭間よりの眼あれども城郭の奥へ奥へと進みゆく意志                狭間(さま)

   乙駁の我が論陣の典拠たる非在のリラは闇を照らせる

   アイロニーその貧しさは自らを俎上に置かぬ心底にある

   正しかる論か否かは知らねども心は容れぬ不帰は変はらぬ

   不帰の悲に今朝もピアノは端然とあり且つ百合は花粉を零し

   人生を闘争とする力説の言葉に対し李が一つ                      闘争(たたかひ)

   無抵抗主義の一本松一本峠七里の道程にあり

   問ふもよし語らふもよし告げゆくもここに睡蓮の暁の花

   論に論他論を容れぬ闘ひの饒舌癒し難く激しく

   宗哲芸 両洋あれど人間の喜怒哀楽の一塊の胸

   修羅像の胸の中なる悲を思ふ硝子戸越しに照り翳る午後               悲(ひ)

   是非を問ふ是も非もなしといへる声二月尽まさに雨の夕暮

   貧寒と揶揄を楽しむものとをり揶揄は我が悲の胸に封ずる               胸(うち)

   小止みなき人語の末座反問の言葉は今し発火点かも

   対岸の火事を楽しみゐたるもの汝が食らふ風聞の味

   もって瞑すべし瞑目の我あらば百の誹りも千の縷言も

   論語にて論なすものになほ論語ありと告げおけ惨憺の胸

   問ひ問はれつつある心人間にして人間の即ち心

   論に論それもよからむそれもまた今日の夕陽の枯原の色

   論敵に対ふ思考の歯痒さと傷み激しき非力の翼

   自慰により言ひ訳けに立ち人を撃つ即ち我も貧しさにゐる

   不束に来し身この身のこの齢真っ赤な真っ赤な夕陽に染まり

   また一つ齢を加へゐたるなりうむうむうむのうむの内外

   捨つる神あればまたあり拾ふ神愉快のことと思ふなるべし

   聞き終へて定かならねばなほも訊く左右の旗のはためき止まず


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