大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年07月26日 | 植物

<2400> 余聞、余話 「野生の花の撮影に寄せて」

     何処に生れ何処を渡りて来し風か頬に吹く風花に吹く風

 自然に生える植物の花は移ろう時の存在で、その花との出会いはまさにタイミングである。殊に日本のような四季の国ではこのタイミングが求められる。春に秋咲く花を求めても叶えられず、冬に夏の花を求めることはないものねだりに等しい。これは花が時の存在であるという証にほかならない。しかし、これは花を咲かせる植物自体が存在してはじめて成り立つ話で、殊に山野に咲く野生の花との出会いは所も大きく関わっている。つまり、自然の中で咲く花は時と所の産物であると言ってよい。

 山の花を写真にする目的で山に出向くときは、偶然の出会いもさることながら、この時と所に照準を合わせて登る。長年山に出向いていると、いつどこにどのような花が咲き、見られるかがわかるようになる。しかし、咲き誇るベストの花に出会うことは結構難しい。というのは、その年の天候によって開花が早くなったり、遅くなったりするからである。こうした自然の移り気にあっては想定外も往々にして起き、そのタイミングは悩ましいということになる。また、植生によっては木本や多年草のような植物でも消え失せてその姿が見えないということも起きる。ので、期待をもって出かけると、ときに裏切られることになったりする。

           

 そんな山野の花を訪ねる旅を重ねるうち、知らず知らずの間に、よく見られるポピュラーな花は、いつでも撮影出来るという気分も加わり、余程印象深い花でなければ敬遠してかかる。という具合で、これに対し、めったに出会えない花には意識が向かい、そのような珍しい花にカメラを向ける傾向が生じて来ることになる。珍しい花は、私にとって珍しいものか、誰にとっても珍しいものか、その点は問題であるが、珍しい花というのは、その花を咲かせる植物自体が少ないことを意味するもので、調べてみると、公式のレッドデータブックにあげられたりしていて、より意識されて来るというところがある。

 私の花の写真ライブラリーを見てみると、特別に狙いを定めて撮影行を展開しているわけではないが、レッドリストにあげられている草木の花が案外多いことに気づく。また、珍しい花には愛惜の念が湧いて来るとともに、貴重種のアピールによる存在感があって、その花の姿を写真に残す意義のようなものにも思いが向かい、今も遅々としてあるものながら大和(奈良県)の地に野生の花を求めて撮影に当たっている次第である。

           

 写真は大和(奈良県)の野生の花たち。三月から十月まで、一月一花、『大切にしたい奈良県の野生動植物』二〇一六年改訂版に掲載されている花からピックアップしたもの。上段左から三月イワナシ(ツツジ科・絶滅危惧種)、四月アマナ(ユリ科・希少種)、五月クリンソウ(サクラソウ科・絶滅危惧種)、六月ササユリ(ユリ科・希少種)。下段左から七月オオヤマレンゲ(モクレン科・絶滅寸前種・国の天然記念物)、八月コモノギク(キク科・絶滅寸前種)、九月オタカラコウ(キク科・絶滅危惧種)、十月キイジョウロウホトトギス(ユリ科・絶滅危惧種)。

 


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