大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年05月07日 | 植物

<2679> 大和の花 (788) ジャケツイバラ (蛇結茨)                             マメ科 ジャケツイバラ属

         

 林縁、川岸、原野などに生えるつる性の落葉木本で、枝が絡むようにもつれ合って伸びることからくねるヘビに見立て、ジャケツ(蛇結)、マメ科であるが、枝に鋭い刺を有することからイバラ(茨)。で、この名が生まれた。葉は2回偶数羽状複葉で、3対から8対の羽片があり、これらの羽片に長楕円形の小葉が5対から12対つく。

 花期は5月から6月ごろで、葉腋に総状花序を立て、鮮やかな黄色の花を多数つける。花は蝶形花ではなく、直径3センチ弱で、花弁5個が左右対称形につき、上弁1個だけがやや小さく、赤い条が入る。実は偏平な鞘の豆果で、熟すと褐色になり、割れて種子を現わす。種子は有毒であるが、日干しにして乾燥したものを雲実(うんじつ)といい、煎じて解熱、下痢止めなどの薬用にする。

 本州の宮城、山形両県以南、四国、九州、沖縄に分布し、朝鮮半島、中国にも見られるという。大和(奈良県)では広く点在しているが、産地は多くない。川上村の吉野川流域でよく見かける。花の時期には遠くからでも確認出来る。『万葉集』の「さうけふに延ひおほとれる糞葛絶ゆることなく宮仕へせむ」(巻16―3855・高宮王)の1首に見える「さうけふ」をジャケツイバラとする説があり、万葉植物の候補になっている。

 別名のカワラフジ(河原藤)は、江戸時代の『大和本草』(貝原益軒)に「花は黄なれども、形藤に似たるゆえ、かはらふぢと名づく」とある。 写真はジャケツイバラ。群れて咲く花(左)、花序のアップ(中)、扁平な鞘の若い実(右)。いずれも川上村。      「慣れたかな」新入生の五月かな

<2680> 大和の花 (789) サイカチ (皀莢)                                        マメ科 サイカチ属

           

 山野や河原に生える落葉高木で、大きいものでは高さが20メートル、幹の直径が1メートルに及ぶものもある。樹皮は灰褐色で、老木になると黒色を帯びる。幹や枝には枝が変化した刺がある。葉は1、2回偶数羽状複葉で、小葉は長さが3センチから5センチの歪んだ長楕円形で、6対から12対つき、互生する。

 雌雄同株で、普通一本の木に雄花、雌花、両性花が見られる。花期は5月から6月ごろで、短枝の先に穂状花序を出し、淡黄緑色の直径7、8ミリの小さな4弁花を多数つける。雄花では雌しべが退化、雌花では雄しべが退化している。花弁や萼には毛が密生する。実は長さが20センチから30センチの扁平で歪んだ鞘状の豆果で、晩秋のころ濃紫色に熟す。

 本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国に見られるという。大和(奈良県)では古木等見られるが、自生か植栽起源か不明のため、奈良県のレッドリストには情報不足種にあげられている。また、『奈良の巨樹たち』(1998年・グリーンあすなら編)には御所市西柏町と香芝市別所の古木が紹介されている。

  両古木の推定樹齢は200年から300年とされ、ともに江戸時代に遡り、葛城川と溜池である蓮池の傍に見え、ともに龍神等を祀る祠が建てられ、地元民から崇められ、大切にされている。因みに西柏(さいかし)の町名はこのサイカチに由来するという。

 なお、サイカチ(皀莢)の名は、古名西海子(さいかいし)に由来するとか実の煎汁で体を洗うと皮膚が滑らかになることから法華経に出て来る細滑(さいかい)に由来するとか諸説ある。豆果の実は古来より洗濯や入浴に用いられ、薬用にも利尿、去痰、腫れ物などに煎じて服用されたという。また、『万葉集』に見える「さうけふ」にジャケツイバラとともにその候補としてあげられ、万葉植物としての面影もあるという存在の樹木である。

 写真はサイカチ。西柏町の推定樹齢200年の古木(左・傍らの祠には白龍大明神が祀られている)、穂状花序の花(中)、曲がった大きい鞘が特徴の若い豆果(右)。   大和には大和の山野昔より今にあるなり初夏の色

<2681> 大和の花 (790) ユクノキ                                            マメ科 フジキ属

          

 山地に生える落葉高木で、高さが20メートルに達するものも見られる。樹皮は滑らかな灰褐色で、皮目が多い。葉は長さが10センチから20センチの奇数羽状複葉で、長楕円形で先が尖る小葉が4対から6対つき、互生する。花期は6月から7月ごろで、枝先に円錐状の花序を伸ばし、白色で基部が黄色の反り返る旗弁が大きい長さが2センチ強の蝶形花を多数つける。雄しべは10個を数え、萼は縮れた軟毛が密生し、淡褐色に見える。

  豆果の実は広線形の鞘になり、秋に熟して褐色になる。フジキ(藤木)に似てミヤマフジキ(深山藤木)の別名でも呼ばれる。フジキとは小葉の基部に小托葉があるかないかで、ユクノキにはなく、小葉の側脈がユクノキは多く、13対から15対ある。花はユクノキの方がやや大きい。

  本州の関東地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では南部の産地で多く見られるが、東吉野村の明神谷の谷筋でよく見かけるが、花の咲かない年があるように思われる。遠目には桜を思わせる花であるが、花期が異なる。なお、ユクノキの名は花が咲くと雪が積もったように見える「雪の木」から転じたものという説がある。

  大和(奈良県)にフジキは分布しないか、極めて少ないと見られ、奈良県のレッドデータブックには情報不足種として見える。材は黄色で、木工に用いられる。 写真はユクノキ。左から花期の樹冠、花序のアップ、花のアップ、果期の枝(東吉野村大叉ほか)。       奥天理上仁興町竹之秋

<2682> 大和の花 (791) ネムノキ (合歓木)                               マメ科 ネムノキ属

           

 川筋や林縁などでよく見られる落葉高木で、高さは10メートルほどになる。樹皮は灰褐色で皮目が多い。枝は屈曲して伸びる。葉は長さが20センチから30センチの2回偶数羽状複葉で、7対から12対の羽片がつき、羽片には15対から30対の長楕円状の小葉が対生する。

  羽片や小葉の基部には葉枕と呼ばれる膨らみがあり、この膨らみによって就眠運動が行われ、夜になると葉が合わさって眠るように閉じる習性がある。ネムノキ(合歓木)の名はこの習性によると言われる。漢名の合歓も対につくこの葉の習性に夫婦和合を連想したことによる。

 花期は6月から7月ごろで、枝先に20個ほどの頭花をつける。花は花冠から絹糸状の雄しべが多数伸び、紅白の花糸が美しい。花は葉が閉じ始める夕方ごろ開き、普通翌日に閉じ、紅白の花は主に夜中に展開される。豆果の実は長さが10センチほどの扁平な広線形の鞘になってぶら下がり、晩秋、初冬のころ褐色に熟す。

 本州、四国、九州、沖縄に分布し、朝鮮半島、中国、台湾のほか東南アジアの一帯に広く見られるという。大和(奈良県)では全域に隈なく分布し、普通に見られるが、ことに川筋に多い印象がある。また、古くより知られ、『万葉集』には相聞の恋歌3首に登場し、万葉植物として知られる。また、松尾芭蕉の『奥の細道』には、「象潟や雨に西施が合歓の花」と中国の春秋時代の絶世の美女西施に重ねて詠んだ句が見える。

 中国では夫婦和合の縁起にネムノキの花を酒に入れて飲み、また、この木をすりこ木に用いる風習があると言われる。日本にはネムノキの枝で頭を撫でると早起きになるとか、この枝で体を摩って寝ると、眠りがよく、仕事に励めるという言い伝えがある。一方、ネムノキは何処にでも生え、成長が速く、邪魔になるやくざな木として見られる向きもある。功罪は世の常ということか。  写真はネムノキ。花期の樹冠(左)、花序のアップ(中)、垂れ下がる鞘の実(右)。下市町ほか。花は実へつまり命の魁にしてあり使命の理の中

 


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