大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年05月06日 | 祭り

<247> 大和の雨

       一途はよし 一辺倒はよからず

 野依白山神社のおんだ祭り(御田植祭)で蛇の目傘の登場を見たが、この傘が雨を表現している予祝にあることで納得がいった。大和のおんだ祭り(御田植祭)では北葛城郡河合町の廣瀬神社の砂かけ祭りの砂が雨に見立てられ、こちらは砂の多くかけられた年ほど豊作になると言われる。どちらも祭りとしてはユニークな表現であるが、ともに豊作を願う心持ちが現れていておもしろい。

 白山神社の場合は、翁(田主)が傘を手にして踊るのであるが、そのとき傘を開いたり閉じたりする。この動作が肝心なところで、開いたり閉じたりすることによって雨が降ったり止んだりしている状況を表現している。言ってみれば、この傘は雨が適度に降ることを願い、その気持ちを言上するに等しく、この開閉する傘によって水の心配を解消し、豊作に導くというものである。このときの翁(田主)の動作に軽やかさが見られるのは、喜ばしい最上の雨を想定しているからで、祭りに予祝としての意味があることを物語る。

 雨は少ないのも困るけれどもあまりに多いのも困るわけで、これについては、源実朝の「時により過ぐれば民の歎きなり八大竜王雨やめ給へ」という歌が思い出されるところで、傘を開いたり閉じたりすることは、翁(田主)の所作の中で重要な意味を持っていると言える。つまり、この蛇の目傘は豊作に導く傘なのである。

 廣瀬神社の砂かけ祭りの方は、白山神社とは少し違って、盆地である大和平野の水事情をよく物語っていると言える。大和というのは南部の山岳地域と北部の盆地地域で大きく気候を異にし、南部は日本でも有数の多雨地帯として知られるのに対し、北部は瀬戸内にも比較されるほど雨の少ない地域で、その降水量は、南部の三分の一より少ない年平均一三〇〇ミリほどであり、盆地内には一万を越す溜池があると言われるほどである。

 この状況が廣瀬神社の砂かいけ祭りには影響し、現われている。廣瀬神社は大和川の本流と支流である曽我川が合流する付近に位置し、両川とも日ごろは流量の少ない底の浅い川で、長雨になると付近一帯はよく洪水に見舞われた。隣の磯城郡川西町ではその対策として家屋の二階部分を住まいにし、「水つき一番、日やけ一番、嫁にやっても荷はやるな」という俚言まで生んだことで知られる。これはこの一帯が水によく浸かるので、立派な嫁入り道具を持たせて行かせてもその道具を水で台無しにするからである

 ということで、廣瀬神社の砂かけ祭りはこの地域事情に反するように思われるが、それがそうではないのは少雨による水事情の方が悩みとしては大きかったからである。稲作中心の暮らしをしていた時代においては雨の少ないために起きる旱魃被害の方が、水に浸かる被害よりも深刻だったのである。だから、俚言は水に浸かることも一番であるけれども、日やけの旱魃に悩むことも一番であることをうたっているわけである。

            

 廣瀬神社の目と鼻の先に位置する川西町の糸井神社には天保十三年(江戸時代後期)と記された雨乞い踊りの大絵馬が遺されているが、この絵馬はこの地方が雨の少ない深刻な旱魃に見舞われてあったことを物語るもので、廣瀬神社の砂かけ祭りの砂が持つ意味を明らかにしている。

 今は治水対策が施され、洪水の話も聞かなくなったが、大和では、昨年、紀伊山地で長雨による大きな被害が出た。想定を越える記録的な雨だったと言われるが、この想定外は災害列島である日本においてはどこでどのような形に現われるかわからない。ゆえに、おんだ祭り(御田植祭)なども行なわれ、神前に向かって一年の無事を祈願するのである。予祝というのは、念を入れて思い待つに等しく、思えば、思いは通じ、叶えられるということをおんだ祭りの御田植祭は暗に意識づけているところがある。 写真は左が蛇の目傘の登場する野依白山神社のおんだ祭り。右は糸井神社に遺る雨乞い踊りの大絵馬。

                


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