大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2019年09月19日 | 創作

<2812>  作歌ノート 見聞の記     折々の光景

            それぞれにアイスキャンディー齧りつつバス停までの炎天家族

 赤色や黄色のテントが開く川原。明るく弾んだ声が響く渓谷の夏。暑さから逃れ、水辺を求めてやって来た家族は大きな岩が点在する川原の一角にシートを敷いて陣を取った。子供たちは岩に登り、水に浸かって歓声を上げた。昼になると、シートの上に弁当をひろげ、みんなで食べた。すぐ近くではバーベキューのセットを広げ、いいにおいをさせながら、賑やかにやっているところもある。それに比べると、家族の弁当はささやかなものであったが、母親の手作りとあって、子供たちは満足な様子だった。

                                        

 弁当が済んでからも、子供たちは水に入ったり、河原で石を積んだりして思う存分遊んだ。父親と母親は、シ-トに座ってはしゃぐ子供たちを眺めながら、一応世間並のことが出来たという気持ちになって、表情にもなごやかなものがうかがえた。しかし、楽しいひとときはあっという間で、太陽が西に傾き、渓谷に日陰が増すころになると、華やいだ川原はシートも人の姿もまばらになり、道端に停めていた車も歯が抜けるように減って、少し淋しい感じになった。

  家族は出店で買ったアイスキャンディーを齧りながら、楽しい水辺からまた炎熱の町へと帰って行った。その帰途、バス停までの二百メートルほどのほてりの厳しい道で、早くも子供たちを叱る母親のヒステリックな声が聞こえて来た。親子四人の炎天家族。また、当分、暑さの中での暮らしになるのだろうと思われた。

       幸せも不幸せもみな分かつごと海を見てゐる一つの家族

 夏も終わりに近い海。広い砂浜が続き、その向こうに広々と見える。結構見事な砂浜であるが、人出はほとんどなく、点在して見える程度だった。その砂浜の端っこにカラフルなパラソルが一つ開かれていた。パラソルの傍には男女五人がいて、その茫洋たる海を眺めている感があった。

                                           

  五人は父親と母親、それに子供三人の家族に違いない。父親も母親も四十歳前後に見える。子供は男の子を頭に女の子と男の子。一番下の男の子は小学校の低学年であろう。どうも車で来たようである。夏も終わりに近かったが、まだ、十分泳げる季節で、もっと人出があってもよさそうな砂浜ではあったが、砂浜には数えられるほどの人数しかいなかった。海に入っている者は更に少なく、泳いでいる者は一人もいなかった。

  五人はパラソルの傍で一様に茫洋たる沖を眺めるのみで、海に入る気配は子供にもなかった。どんな思いを抱いて沖を眺めているのだろう。会話している様子もなく、ただ沖に視線を向けている。何か辛い思いでも分かち合っているのか。そんな風にも想像が巡る。と、暫くして、母親が財布を取り出し、年長の男の子に千円札一枚を渡した。

  子供たち三人はそれから松林になった堤防の方に連れ立って行き、姿を消した。パラソルには父親と母親が残った。二人は相変わらず海を眺め、言葉を交わす様子はなかった。暫くして三人の子供たちはアイスクリームを手に戻って来た。上の二人が父親と母親の分を持っていた。パラソルまで帰って、アイスクリームを二人に手渡してからもみんな話す様子はなく、黙々とアイスクリームに向かっている様子が見えた。

  それからまた少し時が経ち、沖を砂利運搬船が海面すれすれまで土砂を積んで通り過ぎて行った。焼き玉エンジンの力強い音と波が辺りに変化をもたらしたが、五人は相変わらず会話する様子もなく海を眺めていた。そのうち、誰が促すともなく、五人は徐に立ち上がり、パラソルを畳み始めた。帰るのであろう。また明日からそれぞれの生活が始まるというふうである。海辺は慰安になったろうか。五人は一つになって砂浜を後にした。

        三三五五泳ぐ鴨あり岸よりの冬の家族の視野の中にて

 初冬を迎え、一段と冷え込みが厳しくなり、湖ではいつの間に渡って来たのか、鴨の群が葦原の向こうの水面に陣を成して賑やかにしている。岸にはその鴨の群を見る四人の男女がいた。大人の男女と子供の男女。家族であろう。ドライブの途中に立ち寄ったというふうで、少し離れたところに白いセダンが一台停めてあった。

                                           

  背を丸めてポケットに手を入れた子供たち。コートの襟を立てている父親らしい男。その男に寄り添いながら手の甲を擦っている母親らしい女。みんな寒そうに沖を見ていた。四人の目線の先には鴨の群れる水面があった。水面は白く輝き、そのただ中に、忙しなく泳ぐものと動く気配のないものが雑じり合って影絵のように見えた。人間には寒くても鴨たちには絶好のコンデイ ションなのだと思う。その泳ぎは流麗で、楽しくさえ見えた。

 私は、その光景を眺めながら、人間にも家族があるように鴨にも家族があり、楽しみや喜び、辛さや悲しみといったものが生きる上にはあって、それを家族同士、仲間同士が分かちあっているのに違いないと、そんなことを想像した。すると、そのとき、男の子が足元の石を拾い、鴨の群をめがけて思いっきり投げた。石は葦の繁みを越えたけれども鴨の群には届かず、遙か手前の水面に落ちた。

  男の子は石を拾い直し、何度か試みたが、鴨の居場所に石は一つとして届かず、鴨たちは気にする様子もなく、平然と泳いでいた。多分、男の子は自分が投げた石に鴨が驚いて飛び立つのを見たかったのだろう。鴨たちは自分たちの平和を乱されない岸からの距離を心得ていて、その位置に陣取っているのに違いない。男の子は目的を果たせず、そのうち家族に促されながら岸から立ち去って行った。  写真はいずれもイメージ。

 


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