<2695> 余聞、余話 「カモたちが去った池」
行っちまった鴨たち池の面しづか 面(おも)
五月も中旬を過ぎ、奈良盆地の一角にある県営馬見丘陵公園の上池と下池では水面を賑わしていたカモたちが姿を消し、水面に映り込んでいた春の花も一段落して、その風景は夏の佇まいへと移り、今は濃淡の緑を映し込んで静かである。これも池における四季の風景の一端であるが、ずっと池を見て来ている身にはカモたちが去っていない今の池の風景は少し淋しいような感がある。という次第で、句の中の「しづか」を「さみし」とする案もあるかと思えるが、「しづか」に止めた。
帰る雁いまはの心有明に月と花との名こそをしけれ 藤原良経 (『新古今和歌集』巻第一春歌上62)
良経は平安末期から鎌倉時代の人で、九条兼実を父に持つ名門。土御門天皇(後鳥羽上皇)のとき、摂政太政大臣を務めるが、若くして怪死した。歌人としても知られ、『新古今和歌集』に名を連ね、自選による家集『秋篠月清集』がある。カモが去って静かな池の佇まいに接していると、新古今を代表するこの良経の歌を思い出したりする。
この歌は『古今和歌集』の「春霞立つを見すててゆく雁は花なき里に住みやならへる」(巻第一春歌上31・伊勢)を本歌としていると言われ、「雁が有明の月(明け方の空に残る月)と花の美しさを見捨てて(見ずに)帰るのは、月と花との名折れになることで惜しまれる」となる。帰る雁に旅たちを今少し遅らせることは出来ないかと促す心持ちによる歌であると言われる。まこと悩ましい季節の移ろいの光景であり、そこに思いが生まれる心情の歌と知れる。 写真は初夏の青空と周囲の緑を映す馬見丘陵公園の下池。では、今一句。 何処にや花に背いて去りし鴨