大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年03月05日 | 写詩・写歌・写俳

<2257> 余聞、余話 「梅の花の盛りに思う」

       花は時 時の賜物 移ろへる時にして斯く花はあるなり

 大和地方はいよいよ梅の花の盛りを迎え、そこここでその花が見られる。公園の梅林はもとより、民家の庭や道端などでも思いがけないところにその花を見かけることがある。今日は雨模様でその気分にないが、昨日は絶好の花日和になって、梅林には多くの人出があった。艶やかな紅梅は目を引き、人気の的であるが、陽光を受けて輝くように花を開く白梅もいいもので、雅な枝垂れも日本庭園などでは周囲の景観によくマッチして楽しめる。また、梅には匂やかな花が多く、この花の芳香も桜にはない梅の花の特徴としてあげられる。

 ところで、『万葉集』の歌に詠み込まれている植物の中で、梅は萩、楮(こうぞ)に次いで三番目に多く、萩の百四十二首、楮の百二十七首に次いで、百十九首に見える。楮はたへ、たく、ゆふの名で登場し、衣などにする材として採り上げられているので季節に直接関わる歌は少ないのに比べ、萩では約八十六首に花が詠まれ、梅ではほぼ百パーセントが花に関わる歌として見える。

 「花は時間に属している」とは万葉学者中西進の言葉であるが、この言葉を借りて言えば、万葉の花の双壁は梅と萩ということになり、三番目に橘の六十九首(花に関わる歌はうち五十首)が見られ、四十四首すべてが花に関わる歌である桜がこれに続き、四十五首のうち約二十八首が穂状の花に関わる歌として薄(尾花・旗すすき)が見える。つまり、これらの花に関わる歌は花の咲く時期をもって詠まれているということになる。

              

  という次第で、梅の花は早春であり、萩の花は初秋で、橘の花は初夏ということになる。つまり、これらの花は季節の節目、即ち、季節到来の時期に咲く花の意味を持っている。四番手の桜の花は春たけなわのころであり、薄の花(尾花)は秋真っ盛りから晩秋のころの花と言える。これら『万葉集』に登場回数の多い花を見ていると、早春、初夏、初秋の花が群を抜いて多く、二十首以上に花が詠まれている植物を見ても、晩春、初夏の藤(二十六首)や空木(卯の花・二十四首)、初秋の撫子(河原撫子・二十六首)ということになり、季節の移ろいを告げる花の多いことがわかる。

  これらの花の登場回数の状況は何を示しているのか、それは日本が四季の国で、自然の移ろいに身を委ね、それに接しながらその自然によって自らの情趣を育んで来たという日本人の特性を示すもので、万葉人の四季の花に寄せて詠まれた歌にその感性が透けて見えるということで、これが登場回数の多い花に現れている。つまり、このようにして自然に寄り添う暮らしの中で培われた万葉人の感性が日本人の心の基盤として現代にも継がれているということが万葉歌の花の歌からは読み解くことが出来る。

 万葉当時の人々にとって季節の変わり目、つまり、季節の到来の時期は気分の転換を意味する時であり、自然に寄り添って暮していた当時にあってはそれへの思いが現代人以上に強くあったことが想像される。この四季の移ろいに対する思いが、時間に属する花に象徴されているのが『万葉集』に登場する花の歌の特徴で、その花の歌の傾向に透けて見えるということになる。次の歌などはこのことをよく表し、万葉歌自身がいみじくもその傾向に触れ、示したものになっていると言ってよい。

      人皆は萩を秋と云ふよし吾は尾花が末を秋とは言はむ                                                             巻10 (2110) 詠人未詳

 「尾花が末」とは薄が花を終えて銀白色の穂(これも花序の姿であるから、一般には花と捉えられる)を靡かせ、一面に輝くころを言うもので、この歌の詠み人は十月も半ばを過ぎたころの薄の姿に秋を一番感じると言っているわけである。現代人にはこの歌に賛同する人は結構多かろう。だが、万葉人の大半は初秋一番に秋の到来を告げて咲く萩の花をもって秋の花の代表と見なしていたのである。この観点からしていえば、この2110番の歌の詠人は当時の少数派だったということになる。

  萩の花が多く詠まれたということについては、所謂、時間に属する花として萩の花が秋の到来を告げるタイミングに咲く花だったことが理由づけとして成り立つ。梅の花が桜の花よりも多く詠まれているのもこの季節の到来時期に関わっていると見て取れる。もちろん、梅が庭などの身近に植えられ、花を愛でる機会に恵まれていたことも影響したに違いなく、また、梅は中国から渡来した舶来植物であるということも考慮しなければならないが、当時における萩の花の状況を梅の花に重ねて見ると、季節の到来に敏感だった人々の暮らしにおける感性の実態が見え、その実態において万葉の花はその姿を見せ、かかる状況になったことが思えて来る次第である。 写真は梅林の梅の花(馬見丘陵公園)。