<766> 万葉の花 (110) ももよぐさ (母々余具佐) = キク (菊)
野菊咲く 遠き昔を 思はせて
父母が殿の後方(しりへ)の百代草(ももよぐさ)百代いでませわが来たるまで 巻二十 (4326) 生玉部足國
この歌は、巻二十に登場する防人の歌で、原文では「父母我 等能々志利弊乃 母々余具佐 母々与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖 」と表記されている。題詞によれば、天平勝宝七年(七五五年)に防人の交代が行なわれ、このとき交代要員の防人に歌を作らせ、提出された中のものである。
これは、『万葉集』を手がけた大伴家持が前年の天平勝宝六年に防人を取り仕切る兵部少輔に任ぜられたことによるもので、歌の左注によれば、遠江国(静岡県)佐野郡(さやぐん)の生玉部足國(いくたまへのたりくに・未詳)によって詠まれたもので、二月六日に遠江国の担当役人によりまとめて奏上された十八首中の採用七首の中の一首である。
歌意は「家の裏の百代草ではないが、お父さんもお母さんもどうか百代までも長生きしてください。私が防人から帰って来るまで」というもので、防人の厳しさが垣間見られる歌であるが、歌は遠江の佐野郡(静岡県掛川市付近)での出発に際しての歌ということになる。「ももよぐさ」(母々余具佐)は百代草のことで、その後に続く「百代」を導く詞として用いられているのがわかる。
『万葉集』に「ももよぐさ」が見える歌はこの防人の一首だけで、如何なる植物か、キク、ヨモギ、ムカシヨモギ、ツユクサ、マツなどの諸説が見られる。これだけの名があげられていることは、「ももよぐさ」が如何なる植物か定かでない証であるが、この歌から考えると、候補として一番近いのはキクということになる。キクには「ももよぐさ」の別名があり、歌の内容にもぴったり来るところがある。
だが、イエギクと呼ばれる栽培ギクは中国からの渡来で、万葉時代にはまだ我が国に導入されていなかったようで、わずか『懐風藻』の漢詩の中にキクの馥郁たる香によって見られる程度に過ぎない。それも、これはキクの知識のみで詠まれたと考える向きもあり、実際キクに接して詠まれたものかどうかははっきりしない。ましてや、万葉のこの歌は遠江の田舎の事情にして詠んだものであるから、この栽培ギクというのは見解として当てはめ難しい面が覗える。
ここで、昔から自生している野菊が思われる次第である。野菊には主に二系統があって、葉の細長いシオン属のノコンギクやヨメナの類と葉が円形に近く、深い切れ込みのあるキク属のリュウノウギクのようなキクに分けることが出来る。遠江の田舎に見られるとすれば、キクでも野菊が考えられるところで、「ももよぐさ」との関わりで見れば、シオン属の野菊は除かれ、ここでは自生分布の観点から、白い花を咲かせるリュウノウギクか黄色い花を咲かせるアワコガネギクが候補として考えられる次第である。
しかし、これにしても「ももよぐさ」からすれば、推察の域を出るものではなく、はっきりしないということになる。写真は野菊。遠江国(静岡県)も分布域の白い花を咲かせるリュウノウギクと黄色い花のアワコガネギク(いずれも奈良県南部で)。