<783> 所 感
見よ 聞くがよい 利に敏い者たちよ 黙して語らない者を蔑ろにするな 大いなる者に汝の小賢しさを用いるな
利に走る者は 利に溺れる すべては究極のところ 自然の中にある 直を思うべし 自然に勝る道理はない
この度、ホテルの食材に偽装が発覚した。またかと思う人もいるだろう。この手の話は忘れたころに出て来る。何年か前に老舗の料亭で料理の偽装があった。もちろんのこと、偽装というのはホテルや料亭だけではない。産地偽装などは日常茶飯のようにある。このところ、米でも起きている。国産米に安価な外米を混ぜて、国産米と偽って高く売る手口である。
以前は、ウナギにあった。牛肉にもあった。ほかにもあるだろうと疑いたくなるような事例はその昔から見られることで珍しくはない。だが、名の通ったホテルというのは意外で、世の中の様子がおかしくなっていると思えて来る。偽装に一致する特徴は、私たちの能力でその品物に見分けがつかないということである。食べ物の世界にその偽装が目立つのは、食べ物が偽装しやすいからと言える。どちらにしても、偽装は性懲りなく行なわれ、尽きることがない。
私たちに見極める眼力があれば、このような偽装の仕儀には至り得ないが、偽装は見極める能力に限界のある私たちにつけ入って来る。そして、そこには、今一つ、魂胆というもの、即ち、偽装する者の意志が介在することである。例えば、より利潤を上げ儲けたいというような魂胆が偽装者には働くという次第である。
ところで、最近、この偽装に因果の似たトラブルの起きていることに気づく。福島第一原発事故による汚染水に絡む問題がそれで、論戦にもなっている。事故後、メルトダウン状態にある核燃料の冷却水に地下水が流入し、放射能に汚染された水が増え続け、タンクに汲み取っているのが現状であるが、外にも漏れ出し、防波堤で囲まれた港の内部に流れ出ている。その水が港の入口から外海にも出ているとする問題である。
この漏れ出した汚染水の状況に対し、安倍首相は九月に行なわれた五輪のプレゼンテ―ションにおいて完全にブロックされているので問題はないと発言した。このブロック発言に対し、東電は水が外海にも出て、完全にブロックされているとは言い難い旨の説明をした。誰が考えても、内と外が行き行きになっている出入口のある港では水の入れ替わりが自然に行なわれるのがわかる。ましてや、陸側からどんどんと汚染された水が流入している状況では、最低でも陸側から流入した量の水が防波堤の出入口から外海に流れ出ていることが当然起きていると言える。
この事情を踏まえ、安倍首相の発言に疑義が持ち出され、国会でも質疑の的になった。これに対し、安倍首相は、外海における放射能の測定濃度の低いことをあげて、汚染水はこの港の内部でブロックされている状態にあることをもって繰り返し答弁に当たっている。この度発覚した偽装の内実に似ているというのはここのところにある。
それは、汚染されていない水と汚染された水を見分けることが私たちの眼力では出来ないということである。安倍首相はこの点を旨く利用して話の辻褄を合せている。つまり、首相は外海での測定濃度の低いことが汚染水のブロックされている証のように言っている。だが、これは「大海に小便」という諺と同じで、広大な外海では汚染水は稀釈され、濃度は当然のことながら低くなる。言わば、これは汚染水がブロックされているからではなく、汚染水が膨大な海水によって稀釈されるからというのが正しい見方だと言える。
つまり、濃度が低いのは小便の例に等しいもので、拡散稀釈されているからだと見る方が妥当で、完全ブロックということにはならない。安倍首相の言葉は汚染されていない水と汚染された水の見分けがつかないところを利用して言っているということにほかならず、ここに偽装と同じ質の問題があるというわけである。ゆえに、この度の偽装問題に似るというわけである。この問題をもっとシビアに考えるならば、汚染水に色をつけ、その流れや稀釈の仕方を観察するのがよい。そうすれば、対処も今少しは納得のゆくものになるだろうことが言える。
濃度が低ければ、汚染水を流してもよいとする考えはそういう理屈からして通用しない。肝心なのは、「元を断たなければ駄目」というように、メルトダウン状態の核燃料を一刻も早く完全隔離することが肝心である。それが出来ない以上、完全ブロックなどという言葉は安易に使ってもらいたくないし、その言葉は詭弁としか受け取れない。外海で濃度が低くなっているとしても、海底などに蓄積するケースもあり得るわけで問題は残る。
また、この偽装の話は消費税の増税に言われている増税分を全額社会保障に回すという話の中なんかにも見え隠れしていることが言える。「金に色がついているわけではない」とよく言われるが、この言葉がそれをよく物語っている。増税分が何に使われるかわからないという疑問がそこにはつき纏う。偽装でもないが、つまりは、巧妙な手口による使う方のやりたい放題が懸念されるわけである。まあ、何にしても、無知な者を蔑にし、これにつけ入るという魂胆はあさましいと言わざるを得ない。 写真はイメージ。