<578> 日記とブログの記事
特記なき日記の四月二日かな
昭和五十八年(一九八四年)から久しく日記を認めていた。上記の句は今現在のことを言っているように受け取られそうであるが、日記は既に止めているので、現在を言っているものではなく、当時を思い起こし、イメージして詠んだものであることを最初に断っておかなくてはならない。
このブログは毎日更新しているので、日記のようなものであるが、日記とは違う。日記はその日にあったことを書くのであるが、このブログは私の関心事であれば時事的なことにこだわらず、何でもテーマにして載せることが可能である。で、日記よりも書く内容に幅を持たせることが出来るので、この点で言えはブログの方が困らないかも知れない。しかし、日記の場合は、書くことがなければ「特記することなし」で済ませられるが、このブログではそうは行かないところがある。
どちらが楽かと聞かれれば、どちらも持続するにはそれなりの努力が必要であると言わざるを得ない。文章というものは不思議なもので、すらすらと書けるときがあるかと思えば、全く書けなくなるときがある。すらすら書けるときも要注意であるけれども、書けないときにどうそこを凌ぐかが持続には大切なことだと言える。
日記の場合はそこで「特記することなし」という便利な言葉を用いることが出来るが、連日この言葉を用いるわけにはいかないので、長期に渡って書けない状況が続くと、これではいけないと思ったりするわけである。
で、ときには工夫して、日記に毎日『論語』の一章を書き写し、勉強の足しにしたこともあった。しかし、『論語』はやはり声に出して読むのが一番で、勉強にはあまり役に立たなかったように思われる。とにかく、日記でもブログでも、スランプのとき、そこを如何に潜り抜けて持続するかである。写真は日記の一部。