<3683> 作歌ノート 瞑目の軌跡(十一)
種々相にありて思ひのありけるが座標の軸は微動だにせぬ
日々のさまざまな出来事、その様相の中にあって、いかに私たちが悲しく落ちぶれても、いかに誰かが大仰に馬鹿騒ぎをしても、太陽は遍く照らし、四季は滞ることなく巡る。しかし、落胆した心はその不変の営みさえもときとして憂いの中に置き、冷静さをなくした大騒ぎをする心は、その営みの恵み以上に自らの力を錯覚し、幻影を辿る。
見失ってはいけない。どんなに心が揺れ動き、乱れてもその地歩の一歩一歩に確固たる座標軸のあることを。この自然の座標軸。この軸は、私たちにいかなることがあっても決して壊れ失われることはない。このことは、ときに触れていろんな人が言っている。
国破山河在 城春草木深 (杜甫『春望』)
戦争が終っても少しも変らずそこにある緑濃い草木 (三島由紀夫『太陽と鉄』)
今夜も霜は地上のすべてのものを覆って静かに降りている (辻井喬『深夜の読書』)
さびしい時も、悲しい日も、そして苦しい年にも春はくる (前登志夫『吉野山河抄』)
自然だけはまぎれもなく、冬の後に春がくる (田中澄江『雪間の若菜』)
さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも (佐々木幸綱『夏の鏡』)
どんなにつらい目にあっても、その目の前に草は生えている (安永蕗子「受賞談」)
山は昔から山であり、川は昔から川である (毎日新聞朝刊コラム「余祿」)
これらの言葉を見ていると一つの共通点があるのに気づく。それは自然というものをよく見、その不変の自然の座標軸の上に自分という存在を確かめている点である。その座標軸が傾いたと思うような出来事があっても、その傾きは私たちの思いによるもので、なお、その出来事を内包して座標軸は確固としてある。私たちがいかにあっても宇宙的にバランスされた自然の座標軸は傾かず、微動もしない。変化は私たちの側にある。 写真はイメージで、緑溢れる深山。

楽浪(さざなみ)の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ 柿本人麻呂
この歌は、廃都になった近江の地を訪れた柿本人麻呂が眼前の風景に対して天智天皇の近江の宮の往時を偲び詠んだもので、「志賀の辛崎の景色は昔と変わらずあるのに、ここに遊んだ大宮人の船は今いくら待っても見ることが出来ない」と感懐した。つまり、自然が織りなす風景は変わらずあるが、人の世の光景は変遷して変わり行くということを言っているもので、人の世の哀れを詠んだ歌と知れる。では、もう一首。
去年(こぞ)見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離(さ)かる 柿本人麻呂
この歌も同じような内容の歌で、自然は変わりないが、人は変わって行くことをいっているものである。人麻呂の歌は二首とも『万葉集』巻一に見えるが、後にもこの種の歌は登場する。次の歌は『古今和歌集』の歌だが、やはり、思いは一つ。似るところがある。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして 在原業平
今の月は昔の月ではなく、春も昔の春ではないと業平は嘆く。だが、それは逆説的言いであって変わったのはもとの身であると自分では思っている業平自身の心情であることをいうものにほかならず、歌は自分の哀れを詠んでいると知れる。
つまり、自然の座標軸は少しも変わらず、その座標軸上にあって、ときとともに人の心は移ろい、切なくも悲しみは悲しみとして人の心に訪れることを示すもので、業平以後もこの種の歌はそこここに見える。新古今時代の歌をあげてみると次のような歌が見える。
恋しとは便りにつけて云ひやりき年は還りぬ人は帰らず 藤原良経
かへり来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘 式子内親王
わすれじよ月もあはれと思ひ出よわが身の後の行末のあき 藤原定家
業平の月も定家の月も同じ月、その影は見るものの心模様によって変わる。両方とも今というときの思いを詠んだもので、ともにその身の心もとなさ、覚束なさという人生上の意を込めた歌と知れるが、どちらにしても月は不変の存在であり、変わり移ろうのは月を眺める私たちであることが見て取れる。季節は還り来るが、その季節は新たなる心に来たるもので、昔のなつかしさはその新たなる心の中に宿るものである。そして、そこにあわれが感じられるのは、比して月に不変を感得する心があるからにほかならない。
もちろん、月は一例に過ぎず、私たちの生の根本は、自然の不変の座標軸の上に展開しているということにある。私たちは、日々のさまざまな出来事に惑わされながらも、この座標軸を見開いた目で見据えていかなくてはならない。その目がしっかりとしてあれば、私たちの自負の思いは必ずや幸甚として輝くに違いない。恋歌も挽歌もすべてにおいて。
危ふくも傾斜せむとすいや待てよいや逸れるなよ思ひは半ば
譲れざる思ひを染めて酷暑より幾日か過ぎぬ葉鶏頭(かまつか)の赤
葉鶏頭の赤い葉は、私がいかなる思いにあろうとも、確固たる自然の座標軸と同じ意を持つ存在であって、変わらない赤色である。これを変えようとする思いはあるが、その思いを通そうとすれば、そこに戦ぎが生じるのは自明である。要するに、根本のところは変わることがなく、変わるのは人の思いの方なのである。
不条理の言葉呑みつつそこ過ぎて薹の立ちたる葉牡丹の花
不条理の声もときには聞き及ぶされどここなる風景の道
私たちの心は揺れる。しかし、確固たる自然の座標軸は揺るがない。ときには不条理の声も聞き及ぶが、確固たる自然の営みは、決して曲げられはしない。生きることについて、中島敦は「まったく何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ」と、『山月記』に述べている。自然の座標軸は確固としてあり、決してその意に逆らうことは出来ない。
では、いま一首。
ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる 藤原実定
この歌は『千載和歌集』に初出し、『小倉百人一首』にも選ばれた歌で、その眺めは私たち現代人にも容易に想像出来る。しかし、武家が台頭し、公家が衰退しつつあった平安時代末期に後徳大寺左大臣と称せられ、公家の名門にあった実定の歌であることを考えるとき、この歌が単に実景を詠んだものというに止まらず、内容の深さを感じさせるところがある。
このほととぎすは単に夏を告げる渡り鳥ではなく、有明の月も単なる望月ではない。ほととぎすも月もそれ以上の何か、心象を意味しているように思える。詳しく言えば、ほととぎすを公家の面影とすれば、月は確固たる自然の座標軸に等しい存在の一景である。
つまり、この歌は衰退を宿命づけられた公家である実定の心が見据えたもの。月は実景であろうが、実定の心持ちに思いを致して鑑賞するのが正しかろう。平清盛の福原遷都の後、旧都を訪れた際、異母妹の御所で詠んだ即興の歌とともに心のうちのその思いが伝わって来る一首の感が背景にある。
ふるき都を来てみれば、
浅茅が原とぞ荒れにける。
月のひかりは隈なくて、
秋風のみぞ身にはしむ。
これがその即興の歌で、『源平盛衰記』が伝える有名な詩句であるが、感性の人、実定の心象をうかがい知ることの出来るものと言ってよかろう。つまり、移り行くのは人であり、月は変わらず、隈なく照らし、秋風はその季節にあって吹き荒ぶ。これをいかに感じるかは人の心というもの。変わるのは人であって、自然の座標軸は少しも揺らがないのである。
時代は人がつくり、人が動かすものであるが、時代の変遷にかかわらず、自然の座標軸は少しも変わらずある。そして、歌は一面において時代が人をして生ましめるものであるが、それがいかにあっても、自然の座標軸は決して変わることはない。そして、生きとし生けるもの、その人のあわれがここに纏わる。つまり、私たちの感知の基本に自然の確固たる座標軸がある。これを私たちは真理ともいうが、このことを忘れてはなるまい。
最近、地球温暖化が問題になって、日増しにそれを訴える声が高まっている。これは私たち人類にとって極めて重要な問題だが、ここで勘違いをしてはならない。つまり、温暖化は生物の環境に影響を及ぼすということで、地球の確固としてある座標軸が損なわれるわけではないということである。
つまり、それは地球自体の問題ではなく、地球上に生きるものたちがその変化に右往左往するだけだということであり、それが私たち人類にも及びつつあるということにほかならない。そして、それは、私たち人類に及ぶ前にある種の動植物にすでに深刻な影響を及ぼし、私たち人類に警告しているということである。
危ふさの地球規模なるその意味を問ひ問はれつつあるは人類(にんげん)