詩聖 杜甫の七言絶句です。
江南 逢李亀
岐王宅裏尋常見
崔九堂前幾度聞
正是江南好風景
落花時節又逢君
江南ニテ李亀年に逢フ
岐王ノ宅裏 尋常ニ見
崔九ノ堂前 幾度カ聞ク
正ニ是レ 江南ノ好風景
落花ノ時節 又君ニ逢フ
「訳」
昔、岐王様の館でしょっちゅうお目にかかりましたし、
崔九様の座敷の前では 何度もあなたの歌を聞きました。
今はちょうど、都から遠く離れた江南地方の晩春の好風景の中にいる。
はらはらと花びらの散るこの時節に、またあなたに出会うとは思いもかけないことでした。
「鑑賞」
770年春の作、この時、杜甫59歳、安禄山の乱後、家族ともども足かけ十二年の遍歴を
つづけ、潭州(湖北省長沙市)に滞在していました。ここで催された宴会の席上、久々に玄宗に愛された名歌手李亀年の歌を聞いて作られた詩です。前半二句では、安禄山の乱以前のはなやかだった長安時代をふりかえり、今をときめく皇族や貴族の邸宅で、すばらしい歌声を披露し、栄光の絶頂にあった李亀年の姿が会葬されました。後半二句は一転して、時移りやむなくドサまわりの歌手となった李亀年と、地方の有力者の宴席で再会した驚きが歌われます。目前にあるのは長安ならぬ江南の美しい自然、ここではらはらと花が舞い落ちる季節に、又きみに逢うとは、と。古来、論者がつとに指摘するように、末句のこの「又」という字が詩全体に無限の磁力をおよぼしています。李亀年のイメージに、転変を繰り返した作者自身の姿を重ねたこの哀切な詩は、まさに人の心をうつ絶唱です。ちなみに、杜甫はこの詩を作った数か月後、この世を去りました。
井波律子 「中国名詩集」岩波書店
江南 逢李亀
岐王宅裏尋常見
崔九堂前幾度聞
正是江南好風景
落花時節又逢君
江南ニテ李亀年に逢フ
岐王ノ宅裏 尋常ニ見
崔九ノ堂前 幾度カ聞ク
正ニ是レ 江南ノ好風景
落花ノ時節 又君ニ逢フ
「訳」
昔、岐王様の館でしょっちゅうお目にかかりましたし、
崔九様の座敷の前では 何度もあなたの歌を聞きました。
今はちょうど、都から遠く離れた江南地方の晩春の好風景の中にいる。
はらはらと花びらの散るこの時節に、またあなたに出会うとは思いもかけないことでした。
「鑑賞」
770年春の作、この時、杜甫59歳、安禄山の乱後、家族ともども足かけ十二年の遍歴を
つづけ、潭州(湖北省長沙市)に滞在していました。ここで催された宴会の席上、久々に玄宗に愛された名歌手李亀年の歌を聞いて作られた詩です。前半二句では、安禄山の乱以前のはなやかだった長安時代をふりかえり、今をときめく皇族や貴族の邸宅で、すばらしい歌声を披露し、栄光の絶頂にあった李亀年の姿が会葬されました。後半二句は一転して、時移りやむなくドサまわりの歌手となった李亀年と、地方の有力者の宴席で再会した驚きが歌われます。目前にあるのは長安ならぬ江南の美しい自然、ここではらはらと花が舞い落ちる季節に、又きみに逢うとは、と。古来、論者がつとに指摘するように、末句のこの「又」という字が詩全体に無限の磁力をおよぼしています。李亀年のイメージに、転変を繰り返した作者自身の姿を重ねたこの哀切な詩は、まさに人の心をうつ絶唱です。ちなみに、杜甫はこの詩を作った数か月後、この世を去りました。
井波律子 「中国名詩集」岩波書店
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