日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

花見は何処でもできる

2015-04-05 22:33:28 | 日記

 今朝、目覚めたとき、妙に目が腫れぼったい感じがした。どうしてかなー、と思い起こしてみると、昨日の草取りの疲れしか思い当たらない。午前中一時間半、午後二時間、これしきのことでまいるとは! 

 屈んで草取りの姿勢を続けると、立ち上がった時に腰が痛くて伸びない。昔の農家のおばあさんの腰が、「く」の字に曲がっている理由がよくわかる。しかし、気になる昨日の続きを少しでもやっておきたく、今日も屈んで、腰の違和感を感じながら、なんとか一時間半くらい草取りをした。これが限界、無理をすると後悔する羽目になると思い、やめた。時間があったら、一日中母の家で庭仕事をしながら過ごしたいと思っていたが、そんなことをしたらカラダを壊すに違いない。もう年なんだから。

 

 秋に蒔いた百花、又の名をマンバ、高菜、というアクの強い野菜が、葉っぱを収穫する機会もなく花が咲こうとしている。薹がたったものを朝漬にすると美味しいというが、ピリッと辛いのが私は苦手なので、薹と硬そうな葉っぱをいっしょに茹でて煮てみよう。一般に、冬、外側の葉を一枚一枚収穫して煮て食べる。豆腐と一緒に煮たものを、香川の郷土料理、お雪花、読み方はおせっか、という。

 庭のアケビの花も満開

 隣の休耕田の菜の花畑も満開。遊んでいるこの土地、私が借り受けたいといえば喜んで貸してくれるだろうが、借りるのではなく、買って果樹でも植えたいと思っている。しかし、このあたり一帯、規格整備しているし、農地であるから買うことはできないらしい。

 車で走っていても、桜の木って本当に多いなあと思う。どうしてこんなに桜を植えたがるんだろう。こどもの頃、春の遠足は、1,2キロ歩いて神社、仏閣、公園などの桜の花見だったように思う。桜はそのような場所にしかなかった。今、池のほとり、田んぼの畔、ふつうの道端、あらゆるところに1本、2本の桜が植えられている。生活が豊かになったからだろうか。実のなる木のほうが楽しくない? かつて、農家の屋敷にはどこの家も柿を植えていた。母の家にも7本あったと思う。今は実りの少ない木が1本あるだけ。果樹を植えて実りをいただこうという時代ではなくなったのか、果物はお店で買うものなのか。私は、山を歩いているとき、ヤマモモや桑やキイチゴの実をみつけると、とてもうれしくなる。自然とともに生きているという気がするからだ。

 


山菜採りがはじまる

2015-04-04 22:16:04 | 日記

 桜は一気に満開というのにお天気がパッとしない。今夜は皆既月食らしいが、こちらは雨、それも雷さんまで参加である。

 昨日、私は午前中に友人と花見を済ませた。午後からは予報通り雨が降ってきた。私たちの花見は、花より団子、花は二の次である。一番の目的は山菜採りである。桜の頃に蕨が採れるスポットがある。雨が落ちてくる前に急げや急げ、貧相な二級品から見事な特級品まで、かなりの量の収穫があった。まだまだいくつかのスポットへ採りにいかなくてはいけない。春は山菜取りで大忙しである。私が山菜取りに興じる理由は、料理してお客様にお出しするのが二割、自分が食べたいのが一割、あとの七割は見つけて採る楽しさである。なので、こんなにたくさんの蕨どうする?というほど採っては、人にも配る。

 コロちゃんはもうすぐ二歳になる。みすぼらしい捨て猫から、こんなに立派でりりしいイケメンになった。体重200グラムから7キロに増えた。このあいだワクチン接種に病院へ連れて行ったとき、獣医さんから

 「大きくなったねー、これ以上増えないように」

といわれた。看板ネコ、ウェイと全然性格が異なり、おとっちゃまでシャイなので、たまにしかお客さまの見送りに出てこない。先日、お客様から

 「きれいなネコだね」

とお褒めの言葉をいただいて、二番手、看板ネコを務めている。