山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08北海道行: 第4日

2008-07-21 06:04:53 | くるま旅くらしの話
真狩には何にもないけど、良い所だ。大自然がいい。雄大な羊蹄山と父祖人々が汗を流された大地がいい。安眠が当然に保証されるのは、そのお陰なのかも知れない。とにかく良い一晩を過ごした。
今日は北上を続けて旭川辺りまで行き、明日には美瑛入りしょうかと考えている。先ずは真狩の湧水を汲むべく、7時過ぎ出発。すぐに到着。早朝からかなりの人が水汲みに来ていた。羊蹄山の湧水は幾つかあるが、自分たちは真狩が一番気に入っている。汲み易いからである。20分ほどで、車もペットボトルも満水とやる。朝食はニセコの道の駅でと、出発。
ニセコの駅にはかなりの車がいた。キャンピングカーも数台混ざっていた。皆さん泊まりだったのかも知れない。野菜売り場の開店する8時半までの間にミキサーでキャベツとトマトのジュースを作り、これが自分の朝食。相棒はコーヒーとパン。ミキサーは昨日ホームセンターで2千円弱で買ったもの。150Wなのでエンジンをかけなくても安心だ。ジュースはホントはバナナとキャベツがベターなのだが、真狩には買えるものが無かったので、代わりにトマトを入れた。美味い筈はないけど、バリウムよりはずっと良いし、健康には最高の食べ物。この辺の理屈はまたあとで。
新鮮な野菜をゲットしたあとは、余市の道の駅に向かう。
9時半過ぎ道の駅到着。連休の中日のせいか、駐車している車が多い。ひとまず休憩の後、いつもの柿崎商店へ買い物へ。バナナも買う。食堂も開いていたので、混む前にと早めの昼食。ナメタ定食。焼いたナメタカレイが2匹と味噌汁とたくあん2切れの素朴なものだが、美味い。そして安い。相棒はホッキ丼と宗八カレイをオーダー。二人分で千3百円ほどなのだ。ウニなどの高価なメニューもあるけど、相棒には我慢して貰う。満腹になった後は、ニッカウヰスキーの工場へ。工場と言っても静かな公園の趣がある。ニッカの駐車場の方が落ち着いているので、車を移動する。
相棒はせっせと出掛けて行った。この間お湯を沸かし、アスパラとブロッコリーを茹でる。今夜の肴の用意である。その後地図を眺めながらこれからのコースを検討する。旭川を目指すのだけど、石狩から日本海側を通っても、滝川の方へ行けるなと気づき、それなら厚田のHMCCの集まりに顔を出せるなと思ったのである。というのも、余市に着いた時から冷蔵庫のガスの点火が出来なくなってしまい。電気に頼らざるを得ない状況になってしまっているのである。HMCCは知恵者の集団でもあるので、行けば何とかなるかも知れないと考えた次第。一旦出席を遠慮しようと決めたのに、動機不純である。戻ってきた相棒に話すと、これまた動機不純で大賛成。誠にいい加減なコンビではある。
というわけで、挨拶を兼ねてお知恵を授かろと、厚田の港を目指して出発。
厚田の港には、15時過ぎに到着。HMCCの皆さんの居場所は直ぐに分かった。知っている方はいないかと近づいたら、何と大阪から塩田画伯がお見えになっておられた。よかったー。塩田さんを介して、メンバーの皆さんをご紹介頂いた。早速冷蔵庫のトラブルを話すると、直ぐに解決に取り組んでくださった。結局は、電気の電源スイッチに問題があり、ガスの方には問題ないことが判った。来ていきなりの相談なのに、あっという間に解決して頂き、感激である。ここへ来て良かった。皆さんありがとうございました。
冷蔵庫の心配がなくなったからには、急ぐこともないので、今夜は皆さんとご一緒させて頂くことにした。
それから後は、美味しい海の幸と美味い酒と、気さくなメンバーの皆さんと一緒に楽しい歓談の時を過ごした。その嬉しさは、とてもここには書き尽くせない。井上さんには本当に失礼してしまった。改めてお詫びとお礼を申し上げます。
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08北海道行: 第3日

2008-07-20 06:35:03 | くるま旅くらしの話
恵山地区では、早朝3時半頃になると、昆布などの出漁に関する情報を町の大型出力スピーカーで流すので、必ず目を覚まさなければならなくなる。今朝も何事かと目を覚ましてしまった。昨夜はぐっすり眠って、今までの疲れは拭い去られている。渡辺さんご夫妻のお蔭である。
今日も天気はダメみたいだけど、霧はかかっていない。北海道の梅雨を益々確信した。
食事の後、渡辺さん宅を再訪問して、工房と作品を見せて頂く。渡辺さん(ご主人)の趣味は、木工なのだ。様々な力作が無造作に置かれていた。しばらくご無沙汰している間に、かなり腕を上げられているのを知った。もの作りは、結果がはっきりしているのが素晴らしい。
恵山を出発して、先ずは温泉に入ることにして、鹿部の先の東大沼にある留の湯という所に向かう。留の湯は我々のひいきの温泉である。1時間ほどで到着。留の湯は温泉旅館なのだが、公衆浴場も経営している。我々は少し贅沢して、ここでは安政の湯という内風呂にいつも入ることにしている。今日は全くの貸切状態だった。何とも言えない柔らかいお湯なのである。身体のみならず心の芯まで癒やしてくれるお湯のように思う。1時間ほどお湯に浸かって、この2日間の疲れを取り去った。
さて、このあとどうするか。しばし迷った。近くの東大沼のキャンプ場に行き、風呂上がりの一杯を楽しんで、一眠りするかとも考えたが、グータラをするには早過ぎると思い直し、とにかく北上することにする。
今日から北海道HMCCの集まりが開かれるとの井上さんからの情報があったけど、昨夜1ケ月前にも北海道に先着して、木工クラフトに励んでいるHMCCメンバーの多田さんに予定を伺ったところ、今回は集まりには出られないという話だった。多田さん以外には良く知った方も居ないことなので、メンバーでもない自分たちが参加するのはどうかというためらいがあり、せっかくのお話だけど、今回は参加は見送りさせて頂くことにした。井上さんごめんなさい。
留の湯から鹿部に戻りR278を森町に向かう。海岸線を走る道は、所々海霧がかかって、暑さは感じない。森町のJR駅に寄り名物駅弁イカ飯を買う。もうとっくに昼飯時は過ぎているけど、この先長万部でカニ飯を手に入れてから昼食にすることにしている。カニ飯は相棒の大好物。イカ飯は自分達の方。
R5を快調に走る。スピードを控え目にと思っても、重量物を積んだトラックでさえ、時速70km超で走っているので、逆らうのは難しい。北海道ではこれが普通なの?少し疑問に思った。
途中八雲町の宇佐美で給油。ついでに隣接するホームセンターで帽子を買う。出発の際に、何といつもかぶっているのを忘れて来てしまった。最近はもの忘れが多い。要注意である。
引き続きしばらく走って長万部でカニ飯を買う。いつも鈴木商店というのが相棒の気に入りらしい。既に14時を回っているので、ここで昼食休憩とする。湯を沸かし、お茶を淹れてカニとイカの弁当を頂きまーす。その前に記念写真を撮る。弁当の写真を撮るのには、平和を感ずる。
昼食休憩が済んで、北上開始。長万部を過ぎると、R5の車の数は急に減る。トラックなどの多くは、噴火湾沿いを走るR37を利用するようだ。
起伏の多い山の中の道をしばらく走ると、間もなく黒松内の道の駅に着いた。ここの道の駅は、畜産品とパンが有名。我が家ではいつもパンを買うことが多い。肉類は相棒は好きだけど、自分はあまり関心がないので、だんだん少なくなってきているようだ。今日もパンだけ。
更に北上を続けて、次の道の駅蘭越に立ち寄る。今日の泊まりは真狩の道の駅にしようと決め、少し早いので、時間をつぶそうと寄ったのだが、10分も持たなかった。魅力的なものは皆無と言いたいほど何もなかった。やむなくすぐ出発。
次の道の駅はニセコである。ニセコは北海道に最も相応しい名前の町だと思っている。その理由はカタカナの名称だからである。アイヌ語の地名を表すには、カタカナが相応しい。「仁瀬古」と書いてもニセコになるけど、それは大和言葉のまやかしのような気がする。ニセコが正解なのだと思う。
ニセコの道の駅には優れた地産品の売り場がある。今日は遅いので、明日朝一番で新鮮な野菜などを買う予定。開店が8時半なのを確かめて、真狩の道の駅へ。途中真狩湧水の側を通ったが、水汲みは明日の予定。
ミキサーで作る野菜ジュースに入れるバナナを探したが、やっと見つけた店のそれは、明日まで持ちそうもないアバタの代物だったので、買うのを諦めた。一軒あるコンビニに行ってみたが、バナナはあるはずも無く、氷だけ買って夜に備えた。
道の駅の夜は静かで、心地よい眠りの時間を過ごすことができた。
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08北海道行: 第2日

2008-07-19 06:22:25 | くるま旅くらしの話
昨夜は遅くなって雨となった。早朝の2時頃には雷までが鳴りだして、安眠は破壊されてしまった。ブログを書いた後、もう一度眠ることにしたが、中途半端でスッキリしない目覚めとなった。
石鳥谷の道の駅は、杜氏の里を売りにしている。美味しいお酒もあるのだけれど、夜遅く着いて、朝早い出発では、手も足も出ず残念。小降りの雨の中を、いつもの点検・準備(トイレ処理、給水、ガスのチェックなど)をして、7時15分出発。
今日も移動日で、ひたすら大間を目指して走り、16時10分発の函館行フェリーに乗ることを考えている。天気の状態は良くなさそうだ。
盛岡に近づくにつれて、次第に車が増え出した。所々で渋滞が起き出した。この辺では、車での通勤が当たり前なのかも知れない。やがて盛岡を過ぎ、滝沢という所の宇佐美のスタンドで給油をする。今回も8千円台だ。しかし入れなければ走れないのだから、どうしようもない。
しばらく走って旧玉山村(その前は渋民村)のバイパスへ。ここは石川啄木の出た所である。今はとうとう盛岡市となってしまった。啄木さんが知ったらどんな顔をされるだろうか。「かにかくに渋民村は恋しけれ思い出の山思い出の川」の風情はまだ残っているのに、現在はこの表現では当てはまらなくなってしまった。時代は地名などお構いなしに消え去らせて進んでゆくようだ。又啄木記念館の近くに大きいスーパーが出現していたのには驚かされた。
岩手町の道の駅に寄り小休止の後しばらく走って、三戸の町中の郵便局に寄る。これは相棒からの要請によるもの。三戸ではもう一つ、相棒の知人の愛子さんの所にも寄って声をかけたのだが、ご不在だった。愛子さんは地元で手広く農業を営んでおり、今は最繁忙期なので、迷惑をかけないよう、そのまま失礼した。
三戸からしばらく走って、十和田道の駅に寄る。相棒がパンを買いたいというので寄ったのだが、買いたかったパンの全てが、今日が賞味期限だったのでダメだったとのこと。食べるのは明日以降なのだ。ここでは、どんな在庫管理や仕入れをしているのかなと思った。駅の隣にテレトラックというのがあり、最初は何だろうと思ったのだが、それが場外馬券売り場と知ってガッカリした。今日はどこの競馬も休みのようで、静かだった。道の駅にこの手の施設を併設しているのが幾つかあるが、財源はバクチから吸い上げるのが、手っ取り早いということなのだろうか。悪賢い施策だなと思った。
十和田市郊外のバイパスを走り抜け、七戸の道の駅に寄る。野菜を買うため。野菜類はこの道の駅が一番と思って、今日は他の道の駅では買いたい衝動を抑えてきたのだったが、思っていたほど良くなかったのは、朝からの時間が経ってしまったからなのか。でもまだ11半である。悪い日もあるのかも。近くに新幹線の駅ができると聞いたが、工事はかなり進んだようだけど、駅舎らしい建物は見えなかった。その新幹線に乗って、この駅に降りることは、我が残りの人生の中では無いであろう。
昼食は横浜町の道の駅で、ホタテコロッケを買って食べることにしょうと急ぐ。1時間ほどで到着。売り切れを心配したが、セーフだった。13時を過ぎており、16時10分発のフェリーに乗るためには、少し急いだ方が良かろうと、走りながらの昼飯となった。大間到着15時。1時間前の到着は理想的だ。直ぐに乗船券を買う。お客は思ったより少なくて、我が車はトラック類では先頭だった。
フェリーは予定通りの運航だったが、今日の津軽海峡は霧が深くて、何度もフェリーが警笛を鳴らしていた。もう9年もこのフェリーにお世話になっているけど、警笛を聞くのは初めてのことである。相棒はたちまち衝突などの不安に駆られていたようだ。何もすることがないので、ひたすらブログの原稿を書き続けている内に函館に到着。
いよいよ北海道上陸である。6時少し前の函館は、梅雨の真っ最中の空模様だった。しかし上陸して少し走ると、意外に湿気が少ないのに気づいた。内地の蒸し暑さから解放されて、ホッとした感がする。上陸の後は、恵山の道の駅を目指す。駅近くにお住まいの渡辺さんにご挨拶するのが、毎年のお勤め(?)である。北海道で真っ先に会わなければならない大切な知人なのだ。でもまだ何の連絡もしていない。今日は遅いので、挨拶だけで済まそうと考えており、びっくりして頂こうという気持ちも少しある。
函館の市街地を抜け海岸線に沿って走っていると、次第に霧が濃くなり出して来た。恵山に近づくにつれ、益々視界は閉ざされ、50mほどとなってしまった。慎重に運転して、駐車場に車を停める。19時丁度だった。外に出て見ると寒い。う~、寒うである。昨夜の石鳥谷とは大分に違う夜となりそうだ。
早速渡辺さんに電話をする。これからお邪魔したいと話すと、びっくりされたようだ。突然で申し訳けありません。奥さんも在宅されていてよかった。玄関を開けて入らせて頂くと、一年ぶりの懐かしいお顔があった。お元気そうで何よりである。さあ、それからはちょっと挨拶だけのつもりだったのに、渡辺さんが今日釣ってきた、チカのフライを揚げて頂き、ビールをご馳走になったりして話が弾み、20時半過ぎまで、あっという間に経ってしまった。あわてて辞す。突然のお邪魔だったのに心からのご歓待を頂き、嬉しいと一緒に誠に申し訳けなく、恐縮千万でありました。ありがとうございました。
おかげさまで、その後はぐっすり眠ることができて、2日間の疲れを吹き飛ばすことができました。
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08北海道行: 第1日

2008-07-18 06:09:42 | くるま旅くらしの話
今年はいろんなことがあって、夏の北海道行は諦めていたのだが、事情が少し好転して、3週間余り時間を得ることができた。少し迷ったけど、やっぱり夏の北海道の空気を吸いたくて、出掛けることにした。事情好転の話があってから、決めるまで数分。思いはコンドルが獲物を狙うよりも強いかも。
諸準備を終えて17日朝7時出発。今回の往路は、先ずはR6を仙台まで行き、その後ひたすらにR4を北上して野辺地から下北半島を大間に向かい、大間から函館行きのフェリーで北海道に渡る予定である。
というのも、当初は青森まで行って、高速船で函館に渡ろうと考えていたのだか、ネットで予約の手続きをしたら、この車種ダメということなのである。面白くない。それならば今まで通りで行くワイ!と意地を張った次第。とにかくフェリー会社には、追って一言文句を言いたい。
7時の出発は、結果的には失敗だった。R6を福島県の県境迄行くのに5時間も掛かってしまった。というのも、途中土浦や水戸近辺では通勤時の渋滞に巻き込まれてしまい、遅々として進まず、イライラの出だしとなってしまった。
東海村の宇佐美で最初の給油をする。満タン57lで8千円を超える。驚くべき金額である。先が思いやられる。
給油している時、携帯のメールが鳴る。京都の井上さんからだった。京都は今祇園祭のピークを迎えているとか。居ながらにして、伝統の祭りを楽しめる方が羨ましい。又、仲間の方たちが北海道に旅立っているとの情報も頂戴した。ありがとうございます。
その後日立市内を走り抜け、北茨城市の大津港の魚屋でお昼用の寿司などをゲット。カツオのかなり型の良いのが1匹千5百円で売っていた。これが帰路なら飛びつくのになあ~、と我慢する。食への欲望と執念を抑えるのは、この歳になっても大へんだ。
勿来の海岸辺りで昼食にしようと思って走ったのだが、その海岸がいつまで走っても現れない。いつの間にかいわき市のバイパスに入ってしまった。こうなるともう走り抜けるしかない。お昼をお預けにして、30分ほど走ると、いわき市の平の中心街を通過して、やがて海が近づいて来た。久之浜というのが考えていた場所だった。いやはや1年も通っていないと、頭の中と実際はかなりのズレが生じてしまうものだ。我ながら情けない。
海岸線には海霧が掛かっていて、そのせいか、少し気温が低いようだ。しかし蒸し暑さは相変わらずである。風光明媚の景観を楽しみながら、ようやく用意したお昼をパクつく。ウメエ~、である。
30分ほど休憩の後、さらに北に向かい出発。1時間ほど走ると急に睡魔が襲ってきた。少し我慢しながら走って、道の駅:南相馬に到着。新しい道の駅のようだ。確認する間もなく寝床にもぐり込む。あっという間に天国へ。40分後に目覚めた時はもうスッキリとした気分である。顔を洗って、再び運転作業へ。7時間も走っているのに、まだ仙台にも届いていない。
走り続けて、仙台を通過したのは17時近くになっていた。今日はとにかく行ける所まで行く考えでいる。最初は一関市の厳美渓の道の駅に泊まろかと考えていたが、地震の被災のこともあり、パスして先に行くことにした。となると、R4の次の道の駅は石鳥谷しかない。まだかなりあるけど、とにかく目指すことにして、走り続ける。
暗くなり、点灯して走るのは久しぶりだ。水沢・平泉(奥州市)を過ぎ、北上市、花巻市を通過して、石鳥谷の道の駅に着いたのは、20時15分だった。走行距離470km。休憩を除いた運転時間は11時間くらいか。疲れた。条件の悪い助手席の相棒はもっと疲れたのかも知れない。とにかく思いは北海道にあり。疲れは彼の地で癒せばよい。今日はここ迄。
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今日から北海道の旅に出かけます

2008-07-17 04:53:43 | くるま旅くらしの話

「へのへのの旅」の連載がようやく終了しました。お読みくださった方には心からお礼申し上げます。いわば練習のような旅でしたので、中途半端は否めません。又、機会を見つけてチャレンジしたいと思っています。

ところで、今年は夏の北海道行は無理かなと半ば諦めていたのですが、幸運にも4週間ほど時間が取れることになりました。少し短いのですが、このチャンスを見逃すことなく、今日出発することにしました。

旅の様子は、ブログでお知らせしたいと思っています。携帯電話からの投稿となりますので、文字も操作ができず見にくいものとなってしまいます。写真も小さいものしか載せられませんので、よほどのことがない限り、写真は載せないことにします。

なお、旅から戻ってから、記録を整理し、その後で写真入で旅の出来事などを報告させて頂く予定です。  山本馬骨拝

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へのへのの旅(07東北春旅)第30回(最終回)

2008-07-17 04:52:10 | くるま旅くらしの話

第30日 <5月28日()    

道の駅:楢葉 → 大津港魚屋店 → (R6R354R294) → 自宅  <197km

今回の旅もいよいよ今日で終り。早く帰りたいような、帰りたくないような気持ちは、いつもの旅の終わりの時と同じである。そして、結局は一挙に我が家を目指すというのがいつものパターンである。今日も同じこととなるに違いない。

昨日からの雨は朝になっても降り止まず、ここにぐずぐずしていてもしょうがないと思い早めの出発となる。今日はさっさと家に帰るだけの行程である。7時前楢葉の道の駅を出発して、勿来の関の県境を越えたのは8時ごろか。福島県との県境を越えると天候が違うことを何度も実感しているが、今回も茨城県に入った時は雨は止み、少し日差しが出てきて空が明るさを増したような感じだった。

店が開いていたら、大津港の魚屋さんで何か買ってゆこうと思っていたが、早すぎるので、未だ開店しているかどうか心配だった。行ってみたら、丁度店を開け始めたところだった。旅の間、とにかく魚に関しては惨めな状況だったので、ここで何かをゲットして、家に帰ったら今までの挽回をするつもりでいる。店内を廻っていると、丁度カツオを捌き始めているのに気がついた。今年は未だ初鰹を存分には食べていなかった。もう少し時期外れの感はあるが、それでも美味さには変わりはなかろうと、半身を注文した。家に帰ったら、半分は刺身で、残りは漬け(醤油に切り身を浸したもの)にして食べようと思う。マグロの漬けも良いけど、カツオも引けを取らない。以前高知でそれを知って以来、その素朴な食べ方に自信を持った。旅の最後に良いものをゲットできて満足である。

その後は、順調な車の流れに乗って走り続け、土浦からR354に入り、R294に出て我が家に着いたのは、13時少し前だった。全行程3,464kmの旅だった。ヤレヤレである。

<旅から戻って> 

旅から戻って、いつも一番驚かされるのは、植物たちの生長のスピードの速さである。今回も庭の樹木や草たちの生長ぶりに、たった一ヶ月の時間の速さを教えられたような気がした。早春を彩って目を和ませてくれた野草たちはもう終末期に入り、頼りなさそうに芽生え出したばかりだった木立ダリアや百合たちは、既に1m近い高さになっていた。未だ葉の生え変わらなかったクロガネモチやソヨゴは、豊かな新緑の葉をなびかせていた。ブルーベリーも青い実を膨らませていた。

  

  帰宅時の前庭の様子:樹木や草花たちで狭い庭は埋め尽くされた感があった

畑に行って見ると、芽を出したばかりだったラディッシュは紅い大玉の根を輝かせていたし、心配したジャガイモも畑一面を覆うように育っていた。旅の中でたくさんの癒しを貰った樹木や花たちの生命と同じように、我が家の身近な植物たちも競って生命の春を謳歌していた。

人間の好みで、草たちを雑草とそうでないものとに選り分け、雑草を排除するのに2日ほどかかったが、これはいつもの行事なので、止むを得ないことである。

今回の旅では、とにかくやたらに走り回るタイプの旅から脱却しようと努めたのだが、それでも1日平均115kmも走った結果となった。しかし内容としては、それぞれの訪問地で過ごす時間を、今までと較べればかなり増やした旅となったと思う。自宅から青森までを往復すれば、何処へも寄らなくても1,400kmは走ることになり、これだけでも1日平均46kmほどになるのだから、ま、この程度の時間の使い方で良いようにも思う。

今回の旅は何といっても「へのへのの旅」の下見という考えが中心となった。博物館や資料館などの見学や市役所・役場への訪問などという旅の仕方は、今まで殆どしてはおらず、時々相棒に付き合う程度のものだったが、今回は積極的に訪ねることを心がけた。一戸から拾戸(=遠野)までのことを知ろうとするなら、その地の歴史や文化のことを除外することはできない。景色や地形を知ったところで、或いは有名観光地などを訪れたところで、そこに住み、住んだ人たちのことがわかる筈がないからである。

最初は少し戸惑いもあったが、何箇所も訪問して資料や展示品を眺めていると、次第にその地の人たちの暮らしぶりや思いといったものが見えてくるような気がした。今回の下見の旅で解ったことは、ホンの僅かだけど、へのへののエリアは勿論治世者であった南部氏と深く関わっており、枝分かれした南部各氏の相克の上に歴史が刻まれてきたということである。それら各南部氏と被治世者である民衆がどのような係わり合いを持ったのかはよくわからない。一体に武士階級と農民との関係が実際どのようなものであったのかは、自分にはよくわからないのである。勉強不足といわざるをえない。

本番のへのへのの旅ができるのかどうかはわからない。わからないけど、一つの旅のあり方を見出だすきっかけにはなったように思う。旅先を理解する旅というのは、旅の基本の様な気がしている。快楽と愉悦だけを求める旅も悪くはないが、自分としては様々なこの世の謎を解くような気分で、旅先を理解する旅をこれから心がけてみたいと思っている。

民話の収集のことも念頭にあったが、収集した民話をどう扱うのかがあまりはっきりしていないので、やや惰性的な集め方になったように思う。300篇くらいの話が集った(ブログでは500などといってしまったが、これは間違いだった)が、未だ全部読んでいないので、重複している話もあるだろうからもっと少なくなるのではないかと思う。民話というのは、読むのではなく聴くものなのだということが、遠野などへ行くと理解できる。言葉の重さというか、声に出したその声の表情を辿ると、民話の伝えようとしている思いがわかるような気がするのだが、それは東北のその地の風土や時代背景のことを知らなければ、到底理解することはできないのではないか。

民話を読むとすれば、普通の書物を読むような調子ではなく、例えば長い冬の夜に、コタツに入って時々吹く風の音や、或いは全くの静寂の時間の中で、往時に思いを馳せながら、今は亡き爺さんやばあさんに登場して貰って、その声で読むという様な心構えが必要のような気がする。そしてその民話が何を伝えようとしているのか、伝わってくるものを今の時代にどう使ってゆけばよいのか、を考えなければならない様に思うのである。

少し難しげな話となった。今回の旅では上北町の温泉を堪能するつもりだったが、まあまあだった。二つの温泉だけだったので、次回はもう少し広げてその良さを味わいたいと思っている。

また、観光地では何といっても浄土ヶ浜は素晴らしかった。一戸から九戸への旅を経て拾戸(遠野)の旅を終えた者が、早池峰に連なる山を越えて、心の洗濯をする場所として、この地は真に相応しいと思った。機会を作って、何度でも訪ねてみたい名勝地の一つだと思った。

旅の中では、いつものようにたくさんの出会いがあって、多くの感動と癒しを頂戴したように思う。その全ての方たち、ものたちに心からお礼を申し上げたい。(了)  (6.16.2007記)

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へのへのの旅(07東北春旅)第29回

2008-07-16 04:16:21 | くるま旅くらしの話

第29日 <5月27日()    

道の駅:三本木 → (R4・県道) → 多賀城政庁跡探訪 → 塩竃神社 → (R45R4R6) → 道の駅:相馬(福島県・相馬市) → 道の駅:楢葉(福島県楢葉町)(泊)  <178km

あっという間に朝になった。昨夜は遅くまでやってしまい、少し飲みすぎの感がするが、頭はスッキリしている。お酒にあまり強くないらしい伊東さんは大丈夫だろうかと少し心配になる。でも大丈夫のようだったので安心した。伊東さんご夫妻は、この地にあるパークゴルフ場で、今日一日プレーを楽しむ予定ということで、少し早く出発されて行った。奥さんの五十肩も山を越されたようで、パークゴルフが出来るようになれば先ずは安心だ。又の再開を約してお別れする。伊東さんありがとうございました。

さて、我々の方は、もうひたすらに帰るばかりである。今日中にも帰宅は可能だけど、29日の旅というのは如何にも中途半端なような気がするので、帰りを1日延ばし明日にすることにし、今日は多賀城にあったという古代の中央政権の奥州における出先の中心となった政庁後を訪ねることにした。多賀城のことは、へのへのの旅の下見でも、良く出てくる名称だったので、気にはなっていたのである。良い機会なので今日はそれを実現させたい。

仙台郊外で県道を左折してしばらく走って多賀城政庁後近くの駐車場に到着。丁度政庁跡の裏側の駐車場だったらしく、車を置いて散策の開始は政庁跡を上から下るというコースとなった。

  

      多賀城跡政庁推定復原模型:青緑色が台地で、その上の黒っぽいのが政庁の建物

いい天気で陽射しが厳しい。ところどころにある解説板を見ながら、スケールの大きい政庁跡をゆっくり散策する。ここからは太平洋を望見できるようなレイアウトになっており、その昔の中央政権の力の強さを思わせるものを感じた。その昔の蝦夷の人たちの抵抗には、坂上田村麻呂が制定するまでは、何度も攻防の戦いがあったのであろう。蝦夷の人たちから見れば、往時の朝廷などは、とんだ侵略者であったに違いない。どちらの肩を持つわけでもないが、現代ではとにもかくにも平和の下に暮らしているのはありがたいことである。

   

多賀城跡の景観:左は正面階(石)段から見た所。右は政庁中心部の跡

下の方の政庁への階段の入り口辺りに来た頃、急に腹がさし込んで来て、トイレに行きたくなりだした。それを我慢しながら彼の有名な多賀城碑(壷の碑)を見る。俳聖芭蕉もこの碑を感慨深く見たのであろう。そのままでは読み取るのは難しいが、解説の資料には全文載っているので、その内容については理解することが出来た。

他にも幾つかじっくり見たいものはあるのだが、とにかく腹の痛みは差し迫ってきた。ボランティアの方が近づいてこられて、いろいろ親切に説明されようとするのを振り切るのに往生した。やっとの思いで駐車場に戻り、傍にあったトイレに直行。ヤレヤレ危機一発であった。人間何といっても生理的欲求には勝てないものだなと改めて思った。それにしてもこの腹痛は想定外のことであり、原因も良くわからない。トイレから出て、トラブルは収まったが、もう一度仕切りなおしをする気にもなれず、とんだ多賀城探訪となってしまった。

何時の間には空模様が怪しくなりだし、先ほどまでの暑さはどこかに吹き飛んでしまった感じである。ここまで来ているのだから、隣の塩竃神社にも参拝して行くことにして出発。塩竃神社には未だ行ったことはない。狭い道に戸惑いながら、ようやく神社の駐車場へ到着。この頃から雨がポツポツと落ち出してきた。傘を持ちながら参拝に。

  

  塩竃神社の鳥居と掲額:鬱蒼たる樹木に囲まれた境内の中に社殿が点在している

塩竃神社はさすがに陸奥の国の一宮といわれるだけあって、大きな森に囲まれたスケールの大きい荘厳な佇まいをしていた。日曜とあってか参拝者も多い。丁度1組の結婚式なども行なわれていて、庶民的な雰囲気もある、神社だった。

  

  塩竃神社拝殿:日曜日とあって、大勢の参拝の人たちが行き交っていた

何という社か知らないけど、その神前に献魚台というのがあるのを見つけ、これは何だろうと思ったのだが、振り返って境内の下の方を見渡すと、直ぐそばに塩竃の港が見えたので、あっ、そうかとその謎が解けたような気がした。古くからの漁業の守り神でもあったのではないかと思った。同じ神社の境内に志波彦神社というのがあり、これは塩竃神社の神様を支援する神様なのだという。こちらの方は明治に入ってから建てられたということだが、神様の中にも役割や力関係などがあって、日本の信仰はややこしくてわかりにくい。

大した雨ではなかったのだけれど、参拝を終えて車に戻る頃には本降りとなりだした。この後はひたすら南下をするだけなのだが、今回はR4ではなく、久しぶりにR6を行くことにした。郊外のバイパスを走り抜け、亘理町の幸楽苑にて昼食。この店だけが邦子どのと一致するメニューがあり、唯一立ち寄ることが出来るファミレスである。他は全部ダメ。

食事の後しばらく走って、道の駅:相馬に到着。ここで大休止とする。何もすることがないので、2時間ばかり昼寝をする。

相馬氏というのは、もともと守谷の近くに住んでいた一族で、何時、どういうわけなのか知らないけど、こちらに移ったらしい。茨城県には北相馬郡という郡部があり、守谷もその中の町の一つであったが、今度の合併で、北相馬郡の町村は利根町一つとなってしまった。その内に茨城県からは相馬という地名はなくなってしまうのかもしれない。

昼寝から目覚めて、気分転換に売店などを覗いてみたが、特に興味を惹くようなものは見当たらなかった。雨は降ったり止んだりのような状態である。今夜の泊りは楢葉の道の駅にすることにして、出発。

17時半近く到着。ここに来るのも久しぶりだ。駅舎の中を覗いたら、売店などが新しくなっていて、建物が一つ増えたようだ。温泉があるが、今日は入るのは止めにして、早く寝ることにした。雨のみならず風も少し強くなってきた。逃げ出すようなことにはならないだろうけど、旅の最後の夜は穏やかであって欲しいと願うばかりである。

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へのへのの旅(07東北春旅)第28回

2008-07-15 03:51:42 | くるま旅くらしの話

第28日 <5月26日()    

道の駅:厳美渓 → 厳美渓散策 → 本寺地区探訪・散策 → (R342R4) → 道の駅:三本木(宮城県・大崎市)(泊)  <96km

朝の3時少し前に起床。日記を書いたりブログの投稿記事を書いたりしている内に夜が明けてしまった。外を見るとどうやら雨は上がって、天気は回復するらしい。そのような空模様だった。

少し早めの朝食の後、厳美渓の散策に出かける。以前この道の駅に寄ったことはあるのだが、その時には厳美渓には行かなかったので、名前だけで一体どんな所なのか知らないのである。道の駅から200mほど歩くと、厳美渓の景観を造り出している磐井川の岸に出た。直ぐ傍が厳美渓だった。川の流れが石の大地を浸蝕して、奇岩の立ち並ぶ渓谷を造っており、昨日降った雨が白い泡を吹く濁流となって流れていた。水が澄めば清流の渓谷となるのであろう。川岸には貞山桜と呼ばれるエドヒガンの老木が何本か、既に花を終わらせて立っていた。貞山(ていざん)とは、伊達正宗公の雅号とか。そういえばここは伊達藩の所領だったのである。川岸に沿って、遊歩道が造られており、1時間ほど時間をかけて散策した。

  

  変化に富んだ厳美渓(げんびけい)の景観。

川が急に狭くなったり、小さな自然の堰のようになっている箇所があったりして、なかなか変化に富んだ景観だった。名物の空飛ぶ団子の場所もわかったが、早朝で営業開始前なので、団子を買うことは出来なかった。面白いアイデアだなと思った。それにしても、大自然というのは、想像もつかないような不思議をつくり出すものなのだなと思った。

道の駅に戻り出発の準備を済ませ、本寺地区に向って出発。好い天気で、昨日の暗い天気がウソのように明るい。途中に鳥海山の大きな姿が見えたので、車を止めて写真と撮ったりする。その先、昨日下見をしているのに地区への入口を間違えて見落とし、かなり先まで行って何か変だと気がついて引き返し、やっと昨日の駒形根神社に到着。

先ずは神社に参詣する。鳥居を潜り石段を登ると小さな本殿があった。境内には鐘楼などもあり、往時は神仏混淆の宗教だったことを思わせる。境内の下の方には、道祖神やいろいろ願い事をしたらしい奉納の石碑や石板などがたくさんあって、この神社がその昔から村人の信仰を集めていたことを窺わせた。今日は好い天気で見晴らしも最高である。国指定重要文化的景観とはどのようなものかじっくりと歩いてみようと思った。

この地区が何故そのような指定を受けたのかといえば、ここがその昔の平安時代から荘園として存在していた所であり、中尊寺の別当の何とかいう人が藤原家から褒美としてこの荘園を貰った時に、渡された絵地図が残っており、現在のこの地区の景観が往時とあまり変わらない形で残っているからなのだという。詳しいことはよくわからないけど、日本の中でもこのような形で残っている所は極めて少なく珍しいらしい。現在中尊寺などと合わせて世界遺産登録の働きかけをしているとのことである。

村の両側を小高い山が囲み、平地の中央を本寺川が流れていて、その川の両側には田植えの終わった田んぼの緑が広がっていた。しばらく川に沿って歩いてみた。山裾近くにはイグネ(風除けの林)に守られた民家が点在している。どの家も大木のイグネなので、まるで幾つもの神社が点在しているようにも見えた。冬の間は寒さの厳しい所なのであろう。なるほどこれが重要文化的景観なのだなと思った。

  

  イグネ(風除けの屋敷林)に守られた民家が幾つか点在している本寺村の景観

確かにそこには日本の原風景がしっかり残っているように思った。

    

  丁度田植え時で、水を張った田んぼが広がっている。重要文化的景観を感じさせる風景

この他にも幾つかの史跡があるのだが、道が狭いため、車で行くのは無理な所が多いので、今回はこの景色を味わっただけで、あとは次の機会にすることにして出発。

旅の始まりに一泊させた頂いた福島の伊東さんも、そのあと東北めぐりの旅に出掛けたと聞いているので、今頃は何処に居られるのかと電話をしてみたら、何と毛越寺あたりの観光をされているとか。我々はこれから三本木の道の駅に向うことを話す。上手く行けば会えるかも知れないので、お互い連絡をとりあいましょう、ということで出発。

R4は順調な流れで、思ったよりも早く11時半には到着してしまった。伊東さんも着いているのかも知れないと駐車場を見渡したが、それらしい車は見られなかった。とにかくここで昼食休憩とすることにした。邦子どのの話では、いつも昼の休憩が短くて落ち着かないので、最低でも食後1時間はゆっくりさせて欲しいとのこと。旅の終わり近くになって、どうしてそのような要求を出すのかが良くわからない。とにかく要求を呑んで、こちらはベッドにもぐりこむ。今朝は早かった()ので、何となく眠いのだ。2時過ぎ出発する前に伊東さんに電話をしたら、こちらに向っておられるとのこと。それならば、無理して先を急ぐこともないので、今日はここに泊ることにして、伊東さんが着くのを待つことにした。16時少し前に伊東さんが到着。お互いに再開を喜び合う。

 我々が旅に出発した後、伊東さん夫妻も我慢が出来なくなって()、旅に飛び出されたらしい。それは伊東さんのホームページを覗いていたので解っていたのだが、ここで再開できるとは思ってもいなかった。お話では、盛岡在住の娘さんの引越しを手伝おうと予定して行ったが、娘さんに振られてしまったとかで、時間が余ったとのこと。今年結婚を控えた娘さんのことでは、めでたい中にも親としての心配やご苦労が多いようだ。

それからは伊東さんのでんでん号にお邪魔し、コップを傾けながら、夜遅くまで歓談を続ける。伊東さんにはすっかり散財させてしまい、申しわけありません。でもほんとに楽しい時間でした。ありがとうございました。

<この度の大地震で本寺地区も被災されたようです。心からお見舞い申し上げますとともに一日も早い復興を祈念いたします>

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へのへのの旅(07東北春旅)第27回:その1/2

2008-07-14 02:29:25 | くるま旅くらしの話

第27日 <5月25日()    

道の駅:石鳥谷 → (R4R343) → 黒石寺(水沢市)→ 正法寺(水沢市) → (R343) → 道の駅:水沢 → (R4R342) → 道の駅:厳美渓【本寺地区下見・市立博物館見学】(一関市)(泊)  <122km

早朝散歩から戻って食事の後、出発の準備をしていると小雨が降り出した。今日は天気は期待できないようだ。次第に雨脚が本格化する中を南下開始。今日は平泉などを訪ねながら一関市にある厳美渓の道の駅に泊るつもりでいる。

途中北上市郊外のイオンにて買物をした後、水沢辺りを通っていると、「黒石寺」という案内板が目に入った。このお寺には地図での見覚えがある。マーカーで印をしてあるので、覚えていたのだが、未だ行ったことのない所で、しかもそれが何でマークすることになったのかも覚えていない。邦子どのに聞いても覚えがないという。だったら行ってみようということになり、R4を左折してR343へ。途中北上川の袂に道の駅:水沢があった。ということは、この道は以前来たことがあるから、恐らく黒石寺の前も通っているに違いないのだが、全く覚えていない。何なんだろうと、謎解きのような気分である。

行って見ると黒石寺は古刹の趣のあるお寺だった。案内板によればこのお寺は平安時代初期に創建され、48もの堂宇をもつ大きなお寺だったのが、時代を経るにつれ、それらをことごとく消失して現在は明治時代に建てられた薬師堂のみが残っているとか。

  

  黒石寺本堂:薬師堂が本堂となって残っている。

この寺が有名なのは、蘇民祭という伝統の祭りによるものだった。といっても蘇民祭のことは覚えておらず、邦子どのに聞くと、蘇民将来のことを少し知っていたようだから、以前TVを見ていて、その時に地図にマークを入れたのだろうということになった。今度からマークだけではなく、タイトルくらいは付記しておかなければと思った。蘇民祭は、旧正月の7日から翌朝にかけて行なわれる一大イベントで、男達の裸祭りだということ。厄災を払い五穀豊穣を願っての民衆の予祝行事であり、その祭りの日取りも形も古来からの原形を失っていないところに、ここでの祭りの評判の高さがあるらしい。そのようなことが説明板に書かれていた。そういえば、宮沢賢治記念館の奥にあった胡四王神社の境内にも蘇民祭のことが書かれた説明板があったのを思い出す。何のことかよくわからなかったが、これで黒石寺の謎も、蘇民祭のことも一応の謎は解けたようである。しかし本当のことは蘇民祭を見物し、更には裸になって祭りに参加しなければわからないのであろう。その実現は不可能である。

近くに正法寺というお寺があるらしい。来る道々の角に修行僧らしき銅像のようなものが幾つか建っていたが、どうやらそれは黒石寺というよりも正法寺の案内だったようである。10分足らずで到着。少し離れた駐車場へ行ったが、かなりの混雑で、車を置くのに苦労した。

早速行ってみて驚いた。巨大な萱葺き屋根の本堂があり、その横にこれまた巨大といっていい庫裡らしき建物があった。ここにこのような大きなお寺があるなんて、想像もしていなかった。本堂は屋根を新しく葺き替えて間もないらしい。それに合わせての補修作業なのか、本堂の前の庭の整備は未だ終わっていないようだった。とにかく圧倒される大きさである。国の重要文化財の指定を受けているとの立て札があった。

  

  正法寺本堂の景観。正面の柏の木は開祖が手植えされたものとか。

中に入って資料等を見て初めて知ったのだが、このお寺は曹洞宗の奥州における拠点で、永平寺、総持寺と並ぶ三大本山の一つだとか。知らないままに、今日この三大本山を訪ね終えたことになった次第だった。ここでは修行僧も何人か居られるらしくて、若いお坊さんが多くて、普通のお寺ではない雰囲気がある。時間をかけて庫裡や本堂の中を歩いた。本堂は平成の大修理を終えたばかりで、これからその落成の行事などが行なわれるらしい。

成人式を終えても、お寺については、死者との関わり合いしか考えられなかった自分だったが、その後座禅などをやるようになって、次第に考え方が変わり、今ではお寺というのは100%現世をよりよく生きるために存在しているのだと思うようになっている。その所為なのか、お寺に来ると、暗さや陰気さではない清清しさを感ずるのである。1時間ほどお寺の中で過ごしている内に外の雨も止んだようである。もう一度機会があれば寄って見たいなと思いつつ、車に戻る。いい時間だった。

昼食は水沢の道の駅で摂ることにして立ち寄る。今日はうどんを作ることにしている。手抜きの料理(?)である。先ほど買った玉うどんをお湯で温め、丼に入れ、少しお湯を注いで、そこに角館のあまだれを少しかけ回し、刻んだ葱を多めに振りかけてそれで完成。後は七味などを振りかければよいだけ。このような山賊料理は、勿論邦子どのの出番ではない。しかし味の方は、そこいらの、いい加減なうどん屋のもの何ぞよりは、ずっと上を行ってるなどと手前勝手に思っている。

しばらく休憩した後、出発。又雨が降り出した。R4に戻り、途中前沢の給油所で給油を済ませ、南下を続ける。平泉にかかり、中尊寺は敬遠して毛越寺の庭園でも久しぶりに訪ねようかと駐車場へ行ったのだが、工事中らしくて道はぬかるみ、車もやたらに混んでいて、図体の大きいSUN号を入れるのが煩わしくなり、パスして厳美渓の方へそのまま行くことにした (その2/2に続く)

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へのへのの旅(07東北春旅)第27回:その2/2

2008-07-14 02:28:51 | くるま旅くらしの話

一関市郊外の本寺という所が、国の重要文化的景観の指定を受けたというのを、先日の岩手県立博物館を訪ねた時に知り、それを是非一度見てみたいと思ったのだが、その場所を調べたら、これから行く厳美渓の先の方にあるのが分かっている。毛越寺をパスした分だけ時間が余っているので、今日はそこの下見に行ってみることにした。国指定重要文化的景観などというものがあることを初めて知ったが、それは一体どのようなものなのか興味深い。

一先ず厳美渓の道に車を停め、本寺地区の案内資料のようなものは無いかと探してみた。壁に貼ってある案内絵図があったが、持参するわけには行かないので、困って売店の人に訊いたら1枚プレゼントしてくれた。その人から本寺は、昔は骨寺と呼ばれていたと聞き、なるほどそれが今は本寺になったのだなと納得した。骨寺というのは如何にも不気味な地名である。

道の駅に隣接して立派な建物があり、覗いてみたら、何と一関市立博物館だった。訪ねたいと思っていた場所の一つである。未だ時間があるので、本寺の下見を先にした後、入館することにして出発。雨は依然降り止まない。案内図を頼りに駒形根神社という所まで行ってみた。

  

  骨寺村荘園遺跡(といっても現役でもある)の案内板。骨寺は今は本寺と書かれ、呼ばれているようだ。

小さな鳥居の脇に本寺地区の文化財・史跡の案内板があった。重要文化的景観というからには、眺めのことを言うのだと思うが、何しろかなりの雨降りで、風も強く、景観どころではない。諦めて明日の好天を願いつつ、来た道を戻って博物館へ。

博物館では、骨寺のことはさほど取り上げてはおらず、郷土の生んだ偉人のコーナーが目立った。幕末から明治という近世日本の文化の発展に大きく貢献した人たちがここ一関出身と知り驚いた。特に大槻玄沢、磐渓、文彦と三代に亘る一族の貢献は素晴らしい。以前、大槻文彦のことを書いた「言葉の海へ」という本を読んで感銘を受けたことがあるが、その文彦という方が蘭学で有名な玄沢の孫であるのを知り、血のつながりというものがあるのかなと思ったりした。その他一関が和算に大きく関わっている所だったということにも興味を惹かれた。和算の内容の方はさっぱりわからない。博物館内にはその他たくさんの資料が展示されていたが、残念なことに照明が暗すぎて、書かれている説明文などが良く見えない。まさか省エネのためというのではないと思うけど、立派な資料も読めないような展示の仕方では、本末転倒ではないかと思い、アンケートにその旨を記した。

天気が悪いせいなのか、館内が暗い所為なのか、ここに勤務されている人たちも静かで、暗い感じがした。でも邦子どのが骨寺のことを尋ねたら、「平泉の文化遺産を世界遺産へ」という立派なDVDを無料でプレゼントしてくれた。ありがたい。

館を出て、隣の道の駅の駐車場に車を入れて夜を迎える。雨は終夜降り続き、明け方になってようやく止んだようである。明日は是非ともどんど晴れとなって欲しい。

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