山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08北海道行: 第5日

2008-07-22 09:12:50 | くるま旅くらしの話
昨夜は北海道HMCC有志メンバーの皆さんとの充実した歓談の時間を過ごしたのだけと、終わりの頃は相棒の世界となったらしく、自分と言えば、酔って車に戻り、そのまま寝てしまい、気がついた時は3時過ぎだった。眠り足りて満足なのだが、少しアルコールは残っている感じ。起き出してブログに取り組む。6時過ぎ終了。
今日は美瑛方面に向かうつもりでいるが、この厚田港のお祭りで、船のパレードがあるというので、それを見物してから出発することにしたい。相棒はHMCCの皆さんと一緒に船に乗せて頂けるというので、張り切っている。自分といえば、船には弱く、酒に酔う以上に悪酔いの傾向があるので、あとの車の運転のことなども考え、船には乗らず、陸から見物することにした。
祭りは8時頃から始まるという。その間、早朝から開かれている市場の店で、ホタテを買う。ホタテはもう終わっているのかと思い込んで、殻を剥く用具を持参しなかったのは失敗だった。終わりというのは、別海の方の話であり、北海道は広いのだ。今度からは常備することにしよう。おまけとして、ホタテの稚貝を1袋頂いたが、かなりの量に驚いた。
嬉しいことが一つ増えた。塩田画伯お手製の北海道の地図とキタキツネをデザイン化したラベルを我がSUN号の壁面に貼るべくプレゼントして下さるという。そして画伯ご自身の手で貼って下さったのには、恐縮した。画伯は童話の絵もお描きになるとお聞きしているが、その作品には何とも言えない温かさ優しさがあって、思わず人の心を和ませてくれる力を秘めている。相棒は大ファンで、天にも昇る喜び様だった。ありがとうございました。
8時過ぎパレードが始まった。お囃しが流れる中、軽トラに乗ってやって来た神輿が船に載せられ、合図の花火が一発空に鳴り響いて、一番船が出発。船には国旗や大漁旗が何本も賑やかにはためき、お囃しと一緒に海の男の演歌が流れ、船には持ち主の親戚や知人たちが大勢乗り込んで、真に賑やかな雰囲気である。先頭の船の舳先には神主さんなのか、それらしい装束の人が、お清めなのか酒を撒いていた。神輿の載った船にも神主さんが付き添っていた。昔からのいろいろな決まりや伝えがあるのであろう。一体幾つの船が参加するのだろうと数えてみたら、丁度10隻だった。
港の中ではパレードの様子が判らないので、急いで外海の見える灯台の所まで行った。10隻の船は一列縦隊に並んで、厚田の海を、大きく8の字を描く様に航行して、やがて港に戻って来た。海の恵みに感謝し、豊漁と安全を祈る人々の気持ちが伝わってくる景観である。石油の急激な値上がりで、苦しい操業を余儀なくされている人たちに、一日も早く安心がもたらされることを、魚船の一人として、心から願わずには居られない。
8番目の船に乗った相棒も、メンバーの皆さんと満足顔で戻って来た。これで祭りは一区切りとなる。
北海道HMCCの皆さんは、毎月1回集まって、アウトドアライフを楽しんでおられるという。冬にはどうされるのですか?と訊いたら、何とスノーモービルで雪の上を駆けるのだという。十勝岳のてっぺんまで駆け上がるという様な話を伺って、そのスケールの大きさに驚かされた。やることだけではなく、その人生を楽しもうとする遊び心の大きさに圧倒されたのだった。今回は特に5人のメンバーの方々に親しく歓待して頂き、本当に嬉しく、ありがたく、来て良かったとしみじみ思った。
9時半過ぎ、名残を惜しみつつ、皆さんとお別れする。ありがとうございました。
先ずは深川の道の駅を目指すことにする。昨夜は酔いに任せてあまり腹にものを入れていないし、今朝も野菜ジュースしか飲んでいないので、本格的な空腹状態となっている。深川に行けば美味しいご飯にありつける。浜益からR451に入り滝川方面へ。山の中の道をしばらく走って滝川市街に出て、R12を旭川方面へしばらく走ると深川の道の駅に到着。かなりの混雑だった。連休の最後の日を楽しむ人たちで溢れていた。
ゆっくりすることにして、先ずは何か食べようと2階のレストランに行ったのだが、待っている人たちの列ができており、諦めて下で特製おにぎりを買う。深川のブランド米を使った大きなおにぎりは、ここの名物の一つでもある。2個ずつ4個を買い、車に戻ってお湯を沸かしお茶を淹れて、パクつく。梅干しもわさびノリも美味かった。しばらくメモなどの整理をしていると、相棒が眠り出している。お腹が満ち足りて、瞼が重くなったらしい。それならばと自分も午睡を決め込む。旅車ならではの特典である。30分ほど眠って、スッキリ目覚める。外は雲が割れて来て、強烈な夏の日差しが照りつけていた。ソーラー活躍の時である。
美瑛に向け出発。R12を旭川市街手前で環状路に入り、しばらく走ってR237に入り、まもなく美瑛町へ。入った途端に渋滞となる。30分もかかって、ようやく白金方面に行く道路の交差点に辿り着く。北西の丘展望台に行くかどうか迷ったが、混雑していて駐車出来ない時は、諦めて白金の先にある町営自然の村に直行して休むことにしよと決める。
行ってみると、混み合ってはいたけど、どうにか空きスペースに駐車することができた。この際に北九州から旅に来られている方が、親切に入庫のガイドをして下さり助かった。我が車は、図体が大きいので、狭い場所での取り回しには苦労が多い。ありがとうございました。
1年ぶりの美瑛の丘の景観は少し変わっているような気がした。今まであまり見られなかった蕎麦畑が増え、柔らかい淡い緑と白の景色を増やしていた。相棒はいつものガラス工芸の店に出掛けて行った。思い思いの時間を楽しんだ後、赤い色の麦畑を復活させた所があるというのが観光案内パンフにあったので、そこを見てみようと出発。
丘の畑の中の道をしばらく走ったが、それらしき畑は見当たらなかった。もう刈り入れが終わってしまったのかも知れない。丘を走りながら気づいたのは、休耕地なのか或いは耕作放棄の土地なのか、雑草の繁るに任せた荒れ地が増えているように思った。農業経営の難しさが影響していなければいいがと思う。
丘を一回りした後は、一路自然の村を目指す。自然の村は、昨年いろいろとお世話になった思い出の場所でもある。熊騒動などもあった。詳しいことは書けないけど、管理人さん親子には助けられたのだった。まずは、白金の方のキャンプ場の管理人をしている息子さんの方を訪ねて挨拶をする。元気で仕事に励んでおられるようで安心した。お父さんも自然の村の方で今年も管理人の仕事をされていると聞き、何故か安堵した。
自然の村に着くと、管理人の落合さんがお孫さんと一緒に迎えて下さった。お孫さんが大きくなられて、たくさん話をされているのに驚かされた。子供の成長は早い。おじいちゃんは、お孫さんと一緒の時間をとても嬉しそうに楽しんでおられるようだった。
受付を済ませ、車を置く場所まで案内して頂いた。誠に閑静な自然林に囲まれた山のキャンプ場である。今日と明日、ここでゆっくり、のんびり過ごすつもりでいる。ここさ携帯電話のつながらない圏外のエリアなので、ブログの発信は山を下りて白金まで行かなければならず、少し不便である。投稿は遅くなるかも知れない。
コメント (1)
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