山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第28回

2008-07-15 03:51:42 | くるま旅くらしの話

第28日 <5月26日()    

道の駅:厳美渓 → 厳美渓散策 → 本寺地区探訪・散策 → (R342R4) → 道の駅:三本木(宮城県・大崎市)(泊)  <96km

朝の3時少し前に起床。日記を書いたりブログの投稿記事を書いたりしている内に夜が明けてしまった。外を見るとどうやら雨は上がって、天気は回復するらしい。そのような空模様だった。

少し早めの朝食の後、厳美渓の散策に出かける。以前この道の駅に寄ったことはあるのだが、その時には厳美渓には行かなかったので、名前だけで一体どんな所なのか知らないのである。道の駅から200mほど歩くと、厳美渓の景観を造り出している磐井川の岸に出た。直ぐ傍が厳美渓だった。川の流れが石の大地を浸蝕して、奇岩の立ち並ぶ渓谷を造っており、昨日降った雨が白い泡を吹く濁流となって流れていた。水が澄めば清流の渓谷となるのであろう。川岸には貞山桜と呼ばれるエドヒガンの老木が何本か、既に花を終わらせて立っていた。貞山(ていざん)とは、伊達正宗公の雅号とか。そういえばここは伊達藩の所領だったのである。川岸に沿って、遊歩道が造られており、1時間ほど時間をかけて散策した。

  

  変化に富んだ厳美渓(げんびけい)の景観。

川が急に狭くなったり、小さな自然の堰のようになっている箇所があったりして、なかなか変化に富んだ景観だった。名物の空飛ぶ団子の場所もわかったが、早朝で営業開始前なので、団子を買うことは出来なかった。面白いアイデアだなと思った。それにしても、大自然というのは、想像もつかないような不思議をつくり出すものなのだなと思った。

道の駅に戻り出発の準備を済ませ、本寺地区に向って出発。好い天気で、昨日の暗い天気がウソのように明るい。途中に鳥海山の大きな姿が見えたので、車を止めて写真と撮ったりする。その先、昨日下見をしているのに地区への入口を間違えて見落とし、かなり先まで行って何か変だと気がついて引き返し、やっと昨日の駒形根神社に到着。

先ずは神社に参詣する。鳥居を潜り石段を登ると小さな本殿があった。境内には鐘楼などもあり、往時は神仏混淆の宗教だったことを思わせる。境内の下の方には、道祖神やいろいろ願い事をしたらしい奉納の石碑や石板などがたくさんあって、この神社がその昔から村人の信仰を集めていたことを窺わせた。今日は好い天気で見晴らしも最高である。国指定重要文化的景観とはどのようなものかじっくりと歩いてみようと思った。

この地区が何故そのような指定を受けたのかといえば、ここがその昔の平安時代から荘園として存在していた所であり、中尊寺の別当の何とかいう人が藤原家から褒美としてこの荘園を貰った時に、渡された絵地図が残っており、現在のこの地区の景観が往時とあまり変わらない形で残っているからなのだという。詳しいことはよくわからないけど、日本の中でもこのような形で残っている所は極めて少なく珍しいらしい。現在中尊寺などと合わせて世界遺産登録の働きかけをしているとのことである。

村の両側を小高い山が囲み、平地の中央を本寺川が流れていて、その川の両側には田植えの終わった田んぼの緑が広がっていた。しばらく川に沿って歩いてみた。山裾近くにはイグネ(風除けの林)に守られた民家が点在している。どの家も大木のイグネなので、まるで幾つもの神社が点在しているようにも見えた。冬の間は寒さの厳しい所なのであろう。なるほどこれが重要文化的景観なのだなと思った。

  

  イグネ(風除けの屋敷林)に守られた民家が幾つか点在している本寺村の景観

確かにそこには日本の原風景がしっかり残っているように思った。

    

  丁度田植え時で、水を張った田んぼが広がっている。重要文化的景観を感じさせる風景

この他にも幾つかの史跡があるのだが、道が狭いため、車で行くのは無理な所が多いので、今回はこの景色を味わっただけで、あとは次の機会にすることにして出発。

旅の始まりに一泊させた頂いた福島の伊東さんも、そのあと東北めぐりの旅に出掛けたと聞いているので、今頃は何処に居られるのかと電話をしてみたら、何と毛越寺あたりの観光をされているとか。我々はこれから三本木の道の駅に向うことを話す。上手く行けば会えるかも知れないので、お互い連絡をとりあいましょう、ということで出発。

R4は順調な流れで、思ったよりも早く11時半には到着してしまった。伊東さんも着いているのかも知れないと駐車場を見渡したが、それらしい車は見られなかった。とにかくここで昼食休憩とすることにした。邦子どのの話では、いつも昼の休憩が短くて落ち着かないので、最低でも食後1時間はゆっくりさせて欲しいとのこと。旅の終わり近くになって、どうしてそのような要求を出すのかが良くわからない。とにかく要求を呑んで、こちらはベッドにもぐりこむ。今朝は早かった()ので、何となく眠いのだ。2時過ぎ出発する前に伊東さんに電話をしたら、こちらに向っておられるとのこと。それならば、無理して先を急ぐこともないので、今日はここに泊ることにして、伊東さんが着くのを待つことにした。16時少し前に伊東さんが到着。お互いに再開を喜び合う。

 我々が旅に出発した後、伊東さん夫妻も我慢が出来なくなって()、旅に飛び出されたらしい。それは伊東さんのホームページを覗いていたので解っていたのだが、ここで再開できるとは思ってもいなかった。お話では、盛岡在住の娘さんの引越しを手伝おうと予定して行ったが、娘さんに振られてしまったとかで、時間が余ったとのこと。今年結婚を控えた娘さんのことでは、めでたい中にも親としての心配やご苦労が多いようだ。

それからは伊東さんのでんでん号にお邪魔し、コップを傾けながら、夜遅くまで歓談を続ける。伊東さんにはすっかり散財させてしまい、申しわけありません。でもほんとに楽しい時間でした。ありがとうございました。

<この度の大地震で本寺地区も被災されたようです。心からお見舞い申し上げますとともに一日も早い復興を祈念いたします>

コメント
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