山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今日から北海道の旅に出かけます

2008-07-17 04:53:43 | くるま旅くらしの話

「へのへのの旅」の連載がようやく終了しました。お読みくださった方には心からお礼申し上げます。いわば練習のような旅でしたので、中途半端は否めません。又、機会を見つけてチャレンジしたいと思っています。

ところで、今年は夏の北海道行は無理かなと半ば諦めていたのですが、幸運にも4週間ほど時間が取れることになりました。少し短いのですが、このチャンスを見逃すことなく、今日出発することにしました。

旅の様子は、ブログでお知らせしたいと思っています。携帯電話からの投稿となりますので、文字も操作ができず見にくいものとなってしまいます。写真も小さいものしか載せられませんので、よほどのことがない限り、写真は載せないことにします。

なお、旅から戻ってから、記録を整理し、その後で写真入で旅の出来事などを報告させて頂く予定です。  山本馬骨拝

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へのへのの旅(07東北春旅)第30回(最終回)

2008-07-17 04:52:10 | くるま旅くらしの話

第30日 <5月28日()    

道の駅:楢葉 → 大津港魚屋店 → (R6R354R294) → 自宅  <197km

今回の旅もいよいよ今日で終り。早く帰りたいような、帰りたくないような気持ちは、いつもの旅の終わりの時と同じである。そして、結局は一挙に我が家を目指すというのがいつものパターンである。今日も同じこととなるに違いない。

昨日からの雨は朝になっても降り止まず、ここにぐずぐずしていてもしょうがないと思い早めの出発となる。今日はさっさと家に帰るだけの行程である。7時前楢葉の道の駅を出発して、勿来の関の県境を越えたのは8時ごろか。福島県との県境を越えると天候が違うことを何度も実感しているが、今回も茨城県に入った時は雨は止み、少し日差しが出てきて空が明るさを増したような感じだった。

店が開いていたら、大津港の魚屋さんで何か買ってゆこうと思っていたが、早すぎるので、未だ開店しているかどうか心配だった。行ってみたら、丁度店を開け始めたところだった。旅の間、とにかく魚に関しては惨めな状況だったので、ここで何かをゲットして、家に帰ったら今までの挽回をするつもりでいる。店内を廻っていると、丁度カツオを捌き始めているのに気がついた。今年は未だ初鰹を存分には食べていなかった。もう少し時期外れの感はあるが、それでも美味さには変わりはなかろうと、半身を注文した。家に帰ったら、半分は刺身で、残りは漬け(醤油に切り身を浸したもの)にして食べようと思う。マグロの漬けも良いけど、カツオも引けを取らない。以前高知でそれを知って以来、その素朴な食べ方に自信を持った。旅の最後に良いものをゲットできて満足である。

その後は、順調な車の流れに乗って走り続け、土浦からR354に入り、R294に出て我が家に着いたのは、13時少し前だった。全行程3,464kmの旅だった。ヤレヤレである。

<旅から戻って> 

旅から戻って、いつも一番驚かされるのは、植物たちの生長のスピードの速さである。今回も庭の樹木や草たちの生長ぶりに、たった一ヶ月の時間の速さを教えられたような気がした。早春を彩って目を和ませてくれた野草たちはもう終末期に入り、頼りなさそうに芽生え出したばかりだった木立ダリアや百合たちは、既に1m近い高さになっていた。未だ葉の生え変わらなかったクロガネモチやソヨゴは、豊かな新緑の葉をなびかせていた。ブルーベリーも青い実を膨らませていた。

  

  帰宅時の前庭の様子:樹木や草花たちで狭い庭は埋め尽くされた感があった

畑に行って見ると、芽を出したばかりだったラディッシュは紅い大玉の根を輝かせていたし、心配したジャガイモも畑一面を覆うように育っていた。旅の中でたくさんの癒しを貰った樹木や花たちの生命と同じように、我が家の身近な植物たちも競って生命の春を謳歌していた。

人間の好みで、草たちを雑草とそうでないものとに選り分け、雑草を排除するのに2日ほどかかったが、これはいつもの行事なので、止むを得ないことである。

今回の旅では、とにかくやたらに走り回るタイプの旅から脱却しようと努めたのだが、それでも1日平均115kmも走った結果となった。しかし内容としては、それぞれの訪問地で過ごす時間を、今までと較べればかなり増やした旅となったと思う。自宅から青森までを往復すれば、何処へも寄らなくても1,400kmは走ることになり、これだけでも1日平均46kmほどになるのだから、ま、この程度の時間の使い方で良いようにも思う。

今回の旅は何といっても「へのへのの旅」の下見という考えが中心となった。博物館や資料館などの見学や市役所・役場への訪問などという旅の仕方は、今まで殆どしてはおらず、時々相棒に付き合う程度のものだったが、今回は積極的に訪ねることを心がけた。一戸から拾戸(=遠野)までのことを知ろうとするなら、その地の歴史や文化のことを除外することはできない。景色や地形を知ったところで、或いは有名観光地などを訪れたところで、そこに住み、住んだ人たちのことがわかる筈がないからである。

最初は少し戸惑いもあったが、何箇所も訪問して資料や展示品を眺めていると、次第にその地の人たちの暮らしぶりや思いといったものが見えてくるような気がした。今回の下見の旅で解ったことは、ホンの僅かだけど、へのへののエリアは勿論治世者であった南部氏と深く関わっており、枝分かれした南部各氏の相克の上に歴史が刻まれてきたということである。それら各南部氏と被治世者である民衆がどのような係わり合いを持ったのかはよくわからない。一体に武士階級と農民との関係が実際どのようなものであったのかは、自分にはよくわからないのである。勉強不足といわざるをえない。

本番のへのへのの旅ができるのかどうかはわからない。わからないけど、一つの旅のあり方を見出だすきっかけにはなったように思う。旅先を理解する旅というのは、旅の基本の様な気がしている。快楽と愉悦だけを求める旅も悪くはないが、自分としては様々なこの世の謎を解くような気分で、旅先を理解する旅をこれから心がけてみたいと思っている。

民話の収集のことも念頭にあったが、収集した民話をどう扱うのかがあまりはっきりしていないので、やや惰性的な集め方になったように思う。300篇くらいの話が集った(ブログでは500などといってしまったが、これは間違いだった)が、未だ全部読んでいないので、重複している話もあるだろうからもっと少なくなるのではないかと思う。民話というのは、読むのではなく聴くものなのだということが、遠野などへ行くと理解できる。言葉の重さというか、声に出したその声の表情を辿ると、民話の伝えようとしている思いがわかるような気がするのだが、それは東北のその地の風土や時代背景のことを知らなければ、到底理解することはできないのではないか。

民話を読むとすれば、普通の書物を読むような調子ではなく、例えば長い冬の夜に、コタツに入って時々吹く風の音や、或いは全くの静寂の時間の中で、往時に思いを馳せながら、今は亡き爺さんやばあさんに登場して貰って、その声で読むという様な心構えが必要のような気がする。そしてその民話が何を伝えようとしているのか、伝わってくるものを今の時代にどう使ってゆけばよいのか、を考えなければならない様に思うのである。

少し難しげな話となった。今回の旅では上北町の温泉を堪能するつもりだったが、まあまあだった。二つの温泉だけだったので、次回はもう少し広げてその良さを味わいたいと思っている。

また、観光地では何といっても浄土ヶ浜は素晴らしかった。一戸から九戸への旅を経て拾戸(遠野)の旅を終えた者が、早池峰に連なる山を越えて、心の洗濯をする場所として、この地は真に相応しいと思った。機会を作って、何度でも訪ねてみたい名勝地の一つだと思った。

旅の中では、いつものようにたくさんの出会いがあって、多くの感動と癒しを頂戴したように思う。その全ての方たち、ものたちに心からお礼を申し上げたい。(了)  (6.16.2007記)

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