第23日 <5月21日(月)>
道の駅:折爪 → (R340・県道) → 二戸市・呑香稲荷神社・会輔舎探訪 → (R4・県道) → 浄法寺歴史民俗資料館(二戸市) → 天台寺(二戸市)→(県道・R4) → 一戸町内スーパー駐車場 → (R4・県道) → 根反(ねぞり)の大珪化木 → (県道・R4・R282)→ 道の駅:西根(泊) <133km>
このところ起床は3時頃である。携帯でのブログ投稿にも少し慣れてきて、2千字を超えるレベルでも何とか2時間以内に終わるようになった。もっと慣れれば後30分は短縮できるかも知れない。もう3時になれば小鳥達のさえずりが聞こえてくる。今日も天気は良さそうである。
月曜日は、日本国中の殆どの博物館の類の施設は休館日である。今日はその月曜日なので、史跡などを中心に見て歩こうと考えている。今日はまず、昨日二戸で聞いた話の現地・現状を訪ねてみようと考えている。その後は未定。
朝食の後、ゆっくりと後片付けをする。いつも駅舎の清掃をされているおばさんたちが居るのだが、先日泊まった時に邦子どのがお礼に母が作った小物をプレゼントしたので、少し親しくなっていた。今日はそのおばさんたちを車の中に案内してお茶などを飲みながら歓談していた。自分はその間出発の準備を終えて、周辺をぶらぶらする。この道の駅はおばさんたちの力で、とても清潔にして頂いている。おばさんといっても、自分たちよりも少し上の年配の方たちである。邦子どのにとっては、有意義な時間なのだと思った。
9時半出発。二戸に向う途中、先日見たしだれ栗の木に寄って見たが、以前は傘のような枝に僅かに芽吹いていた緑が、11日後の今日はかなり濃くなって、大きな緑の傘のようになっていた。時間の経つのは早く、そして生物の生長も早い。遅いのは自分の頭の回転だけなのか?
かなり緑が増した枝垂れ栗の木。やっぱりとても栗の木とは思えない。(九戸村)
二戸のスーパーで飲料水を補給すべく駐車場に車を停め、ついでに近くの呑香(とんこう)稲荷神社に参詣する。ここが二戸のその昔の学問の中心地であったようだ。
呑香稲荷神社の鳥居と境内の景観(二戸市)
階段を上りかけた左側に、昨日話に聞いた会輔社の学び舎である槻蔭舎が保存されていた。思ったよりも小さな建物で、質素な佇まいをしていた。先人たちはこのような所で、命を削る様な努力をしながら志を育てていたのかと思うと、本当に頭が下がる。
二戸市の文化の原点。呑香稲荷社境内への石段左側にある槻陰舎の景観。小さいけど中身の濃い学び舎であった。
階段を上がって、神社に参詣の後、境内を散策する。本殿の脇に大作神社というのがあり、相馬大作が祀られていた。また、その隣に稲荷文庫跡というのがあり、会輔社の活動の一環として開かれた、往時の盛岡藩最初の私設図書館で、会輔社の関係者のみならず広く地域の人たちにも貸し出され、人材育成や地域振興に寄与したとのことだった。また、境内の中には、ローマ字の普及にも尽力されたという田中館愛橘博士の歌が、ローマ字で記された碑があった。「心ある 人の宴の 夜神楽に こだまにぎおう 呑香の杜」。多才の、行動の科学者であられたのだなと思った。
二戸にはもう一箇所寄らなければならないところがある。それは天台寺である。このお寺は浄法寺(じょうぼうじ)町にあるのだが、二戸市と合併したので、今は二戸市にあるという訳だ。天台寺は、瀬戸内寂聴師の説法の場所として有名だ。どうしてこのような東北の山寺で説法などをされるのかなと思っていたのだが、以前はここの住職をされていたことを知り、そのようなことも知らずに疑問を抱いていた自分に恥じ入るばかりである。
(その2/2へ続く)