山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第23回:その1/2

2008-07-11 04:20:40 | くるま旅くらしの話

第23日 <5月21日()    

道の駅:折爪 → (R340・県道) → 二戸市・呑香稲荷神社・会輔舎探訪 → (R4・県道) → 浄法寺歴史民俗資料館(二戸市) → 天台寺(二戸市)→(県道・R4) → 一戸町内スーパー駐車場 → (R4・県道) → 根反(ねぞり)の大珪化木 → (県道・R4R282)→ 道の駅:西根(泊)  <133km

このところ起床は3時頃である。携帯でのブログ投稿にも少し慣れてきて、2千字を超えるレベルでも何とか2時間以内に終わるようになった。もっと慣れれば後30分は短縮できるかも知れない。もう3時になれば小鳥達のさえずりが聞こえてくる。今日も天気は良さそうである。

月曜日は、日本国中の殆どの博物館の類の施設は休館日である。今日はその月曜日なので、史跡などを中心に見て歩こうと考えている。今日はまず、昨日二戸で聞いた話の現地・現状を訪ねてみようと考えている。その後は未定。

朝食の後、ゆっくりと後片付けをする。いつも駅舎の清掃をされているおばさんたちが居るのだが、先日泊まった時に邦子どのがお礼に母が作った小物をプレゼントしたので、少し親しくなっていた。今日はそのおばさんたちを車の中に案内してお茶などを飲みながら歓談していた。自分はその間出発の準備を終えて、周辺をぶらぶらする。この道の駅はおばさんたちの力で、とても清潔にして頂いている。おばさんといっても、自分たちよりも少し上の年配の方たちである。邦子どのにとっては、有意義な時間なのだと思った。

時半出発。二戸に向う途中、先日見たしだれ栗の木に寄って見たが、以前は傘のような枝に僅かに芽吹いていた緑が、11日後の今日はかなり濃くなって、大きな緑の傘のようになっていた。時間の経つのは早く、そして生物の生長も早い。遅いのは自分の頭の回転だけなのか?

  

  かなり緑が増した枝垂れ栗の木。やっぱりとても栗の木とは思えない。(九戸村)

二戸のスーパーで飲料水を補給すべく駐車場に車を停め、ついでに近くの呑香(とんこう)稲荷神社に参詣する。ここが二戸のその昔の学問の中心地であったようだ。

  

  呑香稲荷神社の鳥居と境内の景観(二戸市)

階段を上りかけた左側に、昨日話に聞いた会輔社の学び舎である槻蔭舎が保存されていた。思ったよりも小さな建物で、質素な佇まいをしていた。先人たちはこのような所で、命を削る様な努力をしながら志を育てていたのかと思うと、本当に頭が下がる。

  

  二戸市の文化の原点。呑香稲荷社境内への石段左側にある槻陰舎の景観。小さいけど中身の濃い学び舎であった。

階段を上がって、神社に参詣の後、境内を散策する。本殿の脇に大作神社というのがあり、相馬大作が祀られていた。また、その隣に稲荷文庫跡というのがあり、会輔社の活動の一環として開かれた、往時の盛岡藩最初の私設図書館で、会輔社の関係者のみならず広く地域の人たちにも貸し出され、人材育成や地域振興に寄与したとのことだった。また、境内の中には、ローマ字の普及にも尽力されたという田中館愛橘博士の歌が、ローマ字で記された碑があった。「心ある 人の宴の 夜神楽に こだまにぎおう 呑香の杜」。多才の、行動の科学者であられたのだなと思った。

二戸にはもう一箇所寄らなければならないところがある。それは天台寺である。このお寺は浄法寺(じょうぼうじ)町にあるのだが、二戸市と合併したので、今は二戸市にあるという訳だ。天台寺は、瀬戸内寂聴師の説法の場所として有名だ。どうしてこのような東北の山寺で説法などをされるのかなと思っていたのだが、以前はここの住職をされていたことを知り、そのようなことも知らずに疑問を抱いていた自分に恥じ入るばかりである。

(その2/2へ続く)

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へのへのの旅(07東北春旅)第23回:その2/2

2008-07-11 04:18:26 | くるま旅くらしの話

(1/2からの続き

呑香稲荷神社を出て、30分弱で、天台寺参道の入口傍にある浄法寺歴史民俗資料館に到着。ここも見たかったけど今日は休みなので、車だけ駐車場に置かせて貰い、早速参道を登り始める。急な坂道がかなり長く続いている。階段の昇降は、邦子どのにはかなり応えているようだ。それでも新緑の中を歩くのは気持ちがいい。10分ほど登って、山門を潜り本堂へ。

  

  天台寺本堂。ここで瀬戸内寂聴師の説教が開かれている。

天台寺は、奈良時代の創建とか。本堂がいつ建てられたのかは知らないけど、千年を超える名刹の趣き十分の雰囲気があった。本道の中には観音さまなのか、むき出しのままの木像が置かれていて、親しみを感じさせる。しばし般若心経を誦して合掌する。

本堂の後ろの方に宝物殿のようなものがあり、そこを見学する。国の重文指定の仏像の他、鎌倉時代につくられたという舞楽面が10面も陳列されていた。珍しいので、それぞれを写真に収めた。このお寺の歴史の古さを改めて実感した。お寺の周辺は杉の木が多いが、桂の木も混ざっており、それが緑を一層鮮やかにしている。裏手の林の中を散策していたら、姥杉という杉の大木を復元したものがあった。直径5mもあったとか。屋久島のウイルソン株などを思い起こした。ここにもこのような巨木があったのだ。明治時代に火の不始末で消失してしまったとか。真に残念である。人間というのは、取り返しのつかない馬鹿なことをやるものだ。

この静まった空間の中で、寂聴師の説法を聞くというのは、心躍るものがあるのではないかと思った。説法の日には、大勢の人が全国から押し寄せると言うことだが、解る様な気がする。何もしないお坊さんが多い中で、素晴らしいことだと思う。

山を降り、麓にある漆工芸の店で休憩。浄法寺町は、浄法寺塗りという漆器で有名な所らしい。店内に入り見て廻ったが、良い盃があった。欲しいと思ったけど、予算不足。手が届くまでには数年()はかかるのではないか。

浄法寺を後にして、へのへのの旅の下見の最後は、一戸町となる。ここは先日御所野縄文公園へ行っただけで、その外は道が狭く、駐車場も無いので何の成果も得られなかった所だ。まずは昼食にしようと、小型ショッピングモールの駐車場へ。うどんなどを作って食す。役場へでも行ってみようかとも思ったが、そこへ行くまでの道が細いように思え、しかも町の中を流れる川の向こう側にあるので、なんだか嫌気がさして、今回はパスすることにした。今日はこの後南下を続け、盛岡近くの道の駅に泊って、明日は県立の博物館を見ようかと考える。

出発した後、R4沿いに「根反の大珪化木」という案内板がやはり気になり、又道が細いのではないかと思いつつもそこへ行ってみることにした。珪化木というのは、石になっている木のことで、火山などと関連があるらしいが、詳しいことはわからない。この辺りにはその珪化木が多く見られるらしいので、一度は覗いてみたいと思っていた。案の定道は細くなって、対向車が来ないかとヒヤヒヤしながら行ったのだが、その木の近くになって更に道は細くなってしまった。仕方がないので、車を少し広そうな所に停め、歩いて行くことにした。邦子どのは、興味ないらしく、車に残るという。とにかく早くこの細道から抜け出したいらしい。

100mほど歩いた所に小川が流れており、その川の向こうにその大珪化木というのがあった。横たわっているのかなと思って行ったのだが、なんと立っていたので驚いた。確かに大きい。重そうである。直径は2mほど、周囲は7mほどあるという。約1,700万年前の出来事の遺産だというから、気の遠くなるような時間をかけて、ここに残っているわけだ。国指定特別天然記念物に相応しいものだなと思った。

  

  一戸町郊外根反地区にある大珪化木。木であって木でない、石となった木がそのまま残っている。

車に戻り、大急ぎでR4目指して走らせる。結局すれ違った車は無く、落ち着かない見学だったことが、何か損をしたような気分だった。その後はR4をひたすら走って、途中盛岡の郊外で給油をして、結局は先日立ち寄った道の駅:西根に泊ることとなった。岩手山がよく見える。今日もよく歩いて、眠るのに時間はかからなかった。

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