山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第29回

2008-07-16 04:16:21 | くるま旅くらしの話

第29日 <5月27日()    

道の駅:三本木 → (R4・県道) → 多賀城政庁跡探訪 → 塩竃神社 → (R45R4R6) → 道の駅:相馬(福島県・相馬市) → 道の駅:楢葉(福島県楢葉町)(泊)  <178km

あっという間に朝になった。昨夜は遅くまでやってしまい、少し飲みすぎの感がするが、頭はスッキリしている。お酒にあまり強くないらしい伊東さんは大丈夫だろうかと少し心配になる。でも大丈夫のようだったので安心した。伊東さんご夫妻は、この地にあるパークゴルフ場で、今日一日プレーを楽しむ予定ということで、少し早く出発されて行った。奥さんの五十肩も山を越されたようで、パークゴルフが出来るようになれば先ずは安心だ。又の再開を約してお別れする。伊東さんありがとうございました。

さて、我々の方は、もうひたすらに帰るばかりである。今日中にも帰宅は可能だけど、29日の旅というのは如何にも中途半端なような気がするので、帰りを1日延ばし明日にすることにし、今日は多賀城にあったという古代の中央政権の奥州における出先の中心となった政庁後を訪ねることにした。多賀城のことは、へのへのの旅の下見でも、良く出てくる名称だったので、気にはなっていたのである。良い機会なので今日はそれを実現させたい。

仙台郊外で県道を左折してしばらく走って多賀城政庁後近くの駐車場に到着。丁度政庁跡の裏側の駐車場だったらしく、車を置いて散策の開始は政庁跡を上から下るというコースとなった。

  

      多賀城跡政庁推定復原模型:青緑色が台地で、その上の黒っぽいのが政庁の建物

いい天気で陽射しが厳しい。ところどころにある解説板を見ながら、スケールの大きい政庁跡をゆっくり散策する。ここからは太平洋を望見できるようなレイアウトになっており、その昔の中央政権の力の強さを思わせるものを感じた。その昔の蝦夷の人たちの抵抗には、坂上田村麻呂が制定するまでは、何度も攻防の戦いがあったのであろう。蝦夷の人たちから見れば、往時の朝廷などは、とんだ侵略者であったに違いない。どちらの肩を持つわけでもないが、現代ではとにもかくにも平和の下に暮らしているのはありがたいことである。

   

多賀城跡の景観:左は正面階(石)段から見た所。右は政庁中心部の跡

下の方の政庁への階段の入り口辺りに来た頃、急に腹がさし込んで来て、トイレに行きたくなりだした。それを我慢しながら彼の有名な多賀城碑(壷の碑)を見る。俳聖芭蕉もこの碑を感慨深く見たのであろう。そのままでは読み取るのは難しいが、解説の資料には全文載っているので、その内容については理解することが出来た。

他にも幾つかじっくり見たいものはあるのだが、とにかく腹の痛みは差し迫ってきた。ボランティアの方が近づいてこられて、いろいろ親切に説明されようとするのを振り切るのに往生した。やっとの思いで駐車場に戻り、傍にあったトイレに直行。ヤレヤレ危機一発であった。人間何といっても生理的欲求には勝てないものだなと改めて思った。それにしてもこの腹痛は想定外のことであり、原因も良くわからない。トイレから出て、トラブルは収まったが、もう一度仕切りなおしをする気にもなれず、とんだ多賀城探訪となってしまった。

何時の間には空模様が怪しくなりだし、先ほどまでの暑さはどこかに吹き飛んでしまった感じである。ここまで来ているのだから、隣の塩竃神社にも参拝して行くことにして出発。塩竃神社には未だ行ったことはない。狭い道に戸惑いながら、ようやく神社の駐車場へ到着。この頃から雨がポツポツと落ち出してきた。傘を持ちながら参拝に。

  

  塩竃神社の鳥居と掲額:鬱蒼たる樹木に囲まれた境内の中に社殿が点在している

塩竃神社はさすがに陸奥の国の一宮といわれるだけあって、大きな森に囲まれたスケールの大きい荘厳な佇まいをしていた。日曜とあってか参拝者も多い。丁度1組の結婚式なども行なわれていて、庶民的な雰囲気もある、神社だった。

  

  塩竃神社拝殿:日曜日とあって、大勢の参拝の人たちが行き交っていた

何という社か知らないけど、その神前に献魚台というのがあるのを見つけ、これは何だろうと思ったのだが、振り返って境内の下の方を見渡すと、直ぐそばに塩竃の港が見えたので、あっ、そうかとその謎が解けたような気がした。古くからの漁業の守り神でもあったのではないかと思った。同じ神社の境内に志波彦神社というのがあり、これは塩竃神社の神様を支援する神様なのだという。こちらの方は明治に入ってから建てられたということだが、神様の中にも役割や力関係などがあって、日本の信仰はややこしくてわかりにくい。

大した雨ではなかったのだけれど、参拝を終えて車に戻る頃には本降りとなりだした。この後はひたすら南下をするだけなのだが、今回はR4ではなく、久しぶりにR6を行くことにした。郊外のバイパスを走り抜け、亘理町の幸楽苑にて昼食。この店だけが邦子どのと一致するメニューがあり、唯一立ち寄ることが出来るファミレスである。他は全部ダメ。

食事の後しばらく走って、道の駅:相馬に到着。ここで大休止とする。何もすることがないので、2時間ばかり昼寝をする。

相馬氏というのは、もともと守谷の近くに住んでいた一族で、何時、どういうわけなのか知らないけど、こちらに移ったらしい。茨城県には北相馬郡という郡部があり、守谷もその中の町の一つであったが、今度の合併で、北相馬郡の町村は利根町一つとなってしまった。その内に茨城県からは相馬という地名はなくなってしまうのかもしれない。

昼寝から目覚めて、気分転換に売店などを覗いてみたが、特に興味を惹くようなものは見当たらなかった。雨は降ったり止んだりのような状態である。今夜の泊りは楢葉の道の駅にすることにして、出発。

17時半近く到着。ここに来るのも久しぶりだ。駅舎の中を覗いたら、売店などが新しくなっていて、建物が一つ増えたようだ。温泉があるが、今日は入るのは止めにして、早く寝ることにした。雨のみならず風も少し強くなってきた。逃げ出すようなことにはならないだろうけど、旅の最後の夜は穏やかであって欲しいと願うばかりである。

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