山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第27回:その2/2

2008-07-14 02:28:51 | くるま旅くらしの話

一関市郊外の本寺という所が、国の重要文化的景観の指定を受けたというのを、先日の岩手県立博物館を訪ねた時に知り、それを是非一度見てみたいと思ったのだが、その場所を調べたら、これから行く厳美渓の先の方にあるのが分かっている。毛越寺をパスした分だけ時間が余っているので、今日はそこの下見に行ってみることにした。国指定重要文化的景観などというものがあることを初めて知ったが、それは一体どのようなものなのか興味深い。

一先ず厳美渓の道に車を停め、本寺地区の案内資料のようなものは無いかと探してみた。壁に貼ってある案内絵図があったが、持参するわけには行かないので、困って売店の人に訊いたら1枚プレゼントしてくれた。その人から本寺は、昔は骨寺と呼ばれていたと聞き、なるほどそれが今は本寺になったのだなと納得した。骨寺というのは如何にも不気味な地名である。

道の駅に隣接して立派な建物があり、覗いてみたら、何と一関市立博物館だった。訪ねたいと思っていた場所の一つである。未だ時間があるので、本寺の下見を先にした後、入館することにして出発。雨は依然降り止まない。案内図を頼りに駒形根神社という所まで行ってみた。

  

  骨寺村荘園遺跡(といっても現役でもある)の案内板。骨寺は今は本寺と書かれ、呼ばれているようだ。

小さな鳥居の脇に本寺地区の文化財・史跡の案内板があった。重要文化的景観というからには、眺めのことを言うのだと思うが、何しろかなりの雨降りで、風も強く、景観どころではない。諦めて明日の好天を願いつつ、来た道を戻って博物館へ。

博物館では、骨寺のことはさほど取り上げてはおらず、郷土の生んだ偉人のコーナーが目立った。幕末から明治という近世日本の文化の発展に大きく貢献した人たちがここ一関出身と知り驚いた。特に大槻玄沢、磐渓、文彦と三代に亘る一族の貢献は素晴らしい。以前、大槻文彦のことを書いた「言葉の海へ」という本を読んで感銘を受けたことがあるが、その文彦という方が蘭学で有名な玄沢の孫であるのを知り、血のつながりというものがあるのかなと思ったりした。その他一関が和算に大きく関わっている所だったということにも興味を惹かれた。和算の内容の方はさっぱりわからない。博物館内にはその他たくさんの資料が展示されていたが、残念なことに照明が暗すぎて、書かれている説明文などが良く見えない。まさか省エネのためというのではないと思うけど、立派な資料も読めないような展示の仕方では、本末転倒ではないかと思い、アンケートにその旨を記した。

天気が悪いせいなのか、館内が暗い所為なのか、ここに勤務されている人たちも静かで、暗い感じがした。でも邦子どのが骨寺のことを尋ねたら、「平泉の文化遺産を世界遺産へ」という立派なDVDを無料でプレゼントしてくれた。ありがたい。

館を出て、隣の道の駅の駐車場に車を入れて夜を迎える。雨は終夜降り続き、明け方になってようやく止んだようである。明日は是非ともどんど晴れとなって欲しい。

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