山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

継続と依存(清原事件に思う)

2016-02-08 05:49:52 | 宵宵妄話

 「続ける」ということばを表わす二つの用語があります。一つは「継続」であり、もう一つは「依存」です。この二つのことばの本質は同じと思うのですが、ニュアンスはかなり違って、「継続」が前向きであるのに対して、「依存」は後ろ向きのようです。「継続」は己の意思で目的的に続けることを表わしますが、「依存」の方はその逆で続けるのを止めようと思っても一時の苦難回避や快楽のために続けざるを得ない状況を表わしています。

 巷では時恰(あたか)も、依存の話で沸き返っています。超有名な元プロ野球人が、覚せい剤使用で逮捕されるというニュースです。この事件は、今は「依存」のテーマには至っていませんが、間もなく彼が「依存」に係わる状況だったということが話題の中に明確になることかと思います。覚せい剤というものが「依存」を本質とする薬剤であるからです。その「依存」が心身の破滅につながるようなものでなければ何も問題にはならないのだと思いますが、「依存」が「中毒」と呼ばれる心身の破壊作用につながるものであることは明らかなことであり、それゆえに法で厳しく律されているわけです。

 元プロ野球人の超有名人物であっても、所詮は一人の人間であり、彼が何をどうしようと大騒ぎすようなことではないのかもしれません。しかし、多くの人々の憬れや希望や尊敬などを裏切り、落胆させた責任は、超有名人であっただけに影響の大きいことでありましょう。

それでも世の中の善人の多くは、彼にある種の同情のようなものを抱くのかも知れません。突っ張らないと生きてゆけない、可哀そうな人だったとか、息抜きにはそんなことも多少はあってもいいんじゃないかなどと、寛大心を誤って使っている人さえいる感じがします。

私のような真老世代の人間となると、そのような同情心など欠片(かけら)も浮かんできません。「バカモン!」と大声で怒鳴りつけたい気持でいっぱいです。この元プロ野球超有名人が嫌いなわけではありません。嫌いでなくても許せないことは無限にあるものです。

準老世代(65歳以下)よりも前の世代の人間には、成功経験のある人ほど、時として「思い上がり」に気づかない者を見受けることが多いようです。そのような人でも更に歳を重ねると己の思い上がりや突っ張りの愚かさに気づくものなのですが、50歳前の超有名人の立場では、善にも悪にも都合のいいように踊らされて、己の思い上がりに気づかないこともあるのかもしれません。このような人を「愚か者」というのでありましょう。彼は真正正明の愚か者だと思います。愚か者というのは、人間として成長することを止め、過去の一時の栄光に浸っているものを言うのです。

世の中には、時として「愚か者になりたい」などという妙なあこがれがあるようですが、麻薬類に溺れるような愚か者があこがれであったら、この世の未来はただの堕落と廃頽だけの姿になってしまいます。今回の事件は、愛すべき愚か者では済まされない、重大且つ深刻な情報過剰時代の癌として受けとめ、再発を厳しく防ぐ必要を感じます。同じような予備軍を作らないように、特に芸能界とかいうのに係わる人たちには厳しく留意して欲しいものです。ちゃらちゃらと半端な芸をTVで振り回させて、一時の人気で使い捨てにしているような体質は、愚か者を生み出す温床の一つとなっている感がします。これら芸人の卵の中には、ヒヨコになる前に麻薬に手を出したくなるような気持の若者も多く混ざっていると思いますので、プロダクションとやらの経営者や幹部は、ただの道具的な人間の使い方は止めて、しっかりと人間としての扱いをしてやって欲しいものです。ま、これら業界のあり様については、老人が口出しするようなことではないのかもしれませんが。

話は「依存」に偏ってしまいましたが、私は人間に本当に必要なのは「継続」という「続ける気持・精神・心」なのだと思っています。同じ続けるでも「依存」は病の分類に入るものであり、「継続」は健康の証なのではないかと思います。

今までの自分の人生を振り返って、生きる上で何が一番有用だったかと思うと、それは「何かを続けたこと即ち継続すること」ではなかったと思うのです。その最大のものは、就職だったかもしれません。最初の就職先を最後まで勤め続けたことが、自分の人生を安定たらしめたということなのですが、一方で決して満足しているわけではなく、違うチャンスをモノにすべきだったという思いもどこかには残っているのです。しかし、真老の今となって見れば、タラレバ(=もし○○だったら、もし○○なれば)は幻想にすぎず、己の人生は、最初の就職先での仕事を続けたことにあるという確信があるのです。

その確信というのは、仕事の継続を通して自分自身を僅かながらも成長させて来ることができたからです。もし継続がもたらすものが成長につながらなかったとすれば、それはただの依存に過ぎず、繰り返しの執着に過ぎないのです。継続は必ず成長という結果をもたらしてくれるものなのです。

元プロ野球人の清原氏には、現状の真実を明らかにした上で、依存の世界から脱出し、新たな成長を期してしっかりとした目標を立ててこれからの人生を運んで行って欲しいと思います。まさに継続は力であることを証明して欲しいと思います。

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