山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

最も悪質な犯罪

2008-09-10 04:17:10 | 宵宵妄話

全く、この世の中はどうなってしまっているのか! 企業に倫理観はあるのか? その従業者の良心はどうなってしまっているのか? 経営者は、本気で社会的責任など絵空事と思っているのか? 実に、実に腹の底から怒りがこみ上げて来る。

旅に出ている間は、新聞やTVを殆ど読んだり見たりしないので、世間の出来事からは疎(うと)くなって、その分善事からも悪事のニュースからも遠ざかることが多いのだが、在宅の場合はそうは行かない。知りたくもないことが勝手に目に耳に飛び込み、届いてくる。最近では心温まるような話は殆ど見聞したことが無い。届くのは碌(ろく)でもない、この世も終わりなのかと思うような話ばかりである。

世の中に悪用ということばがある。様々な悪用があり、そのどれ一つとて断じて許されるものではないが、中でも一番酷い犯罪は、食に関する悪用だと思う。食というのは、人間が生きてゆくためには、必要欠くべからざる最重要のものであり、この摂取を誤ると、人間は生命を脅かされることになる。食に関わる業に携(たずさ)わる企業も人も、安全と健康には、殊更に万全を期して臨まなければならない。そのための設備や環境を整えるのも重要だが、最も重要なのは、企業であれば経営トップの社会的責任の完璧な遂行、その従業者であれば一人ひとりの倫理観(=良心)に基づく職務の遂行ではないか。これらが欠けたり歪んだりすると、例えそれがたった一人の関係者の行為であっても、世の中に重大な危害と脅威を与えるからである。

今、毎日のニュースで問題となっている事件の一つに、事故米を食品加工用に転売したという話がある。三笠フーズとかいうかいう会社が、政府から安く買った事故米を食品加工用の米として転売したという悪事だ。社長自らの指示によるものだとか、或いは九州の方の工場長がやったことだとか、勝手な言い分が流れている。偉い人といわれる会社の幹部の全てが関わって悪事を為したに違いないのに、いざとなると責任を誰かに転嫁したがり、往生際の悪いこと甚(はなは)だしい

この会社の犯罪は、その社会的責任という意味において断固糾弾されるべきである。かつての雪印乳業の安全欠損の事件や、食肉偽装のミーとホープ社の事件、或いは京都の老舗吉兆や伊勢の赤福などの食材や商品の使い回し事件など、食に関する忌まわしい事件の記憶は、まだ耳に新しいけど、今回のこの会社の事件は、二重に社会を欺(あざむ)く重犯罪事件である。

先ずは用途の限定されている事故米を、法を無視して食品加工用に転売したという、性質(たち)の悪い契約違反。バレなければ法など無視しても構わないという勝手なやり方は、違反というよりも無視であり、国も国民も愚弄(ぐろう)されていることを意味している。そしてもう一つは食の安全の無視・軽視という世の中全体を愚弄した行為である。利益を上げれば、最終顧客などどうなっても構わないという企業エゴがそこにはある。世の中の正義・邪悪の分別を忘れ果てた、犯罪者の精神が横溢(おういつ)している。

TVを見ていると、そんなに悪くもなさそうな人が、ごめんなさいと謝っているが、謝って済むような話ではなく、会社を潰すだけで済むような話でもない。この会社の中には、社長や工場長よりも往生際の悪い奴がいて、勝手に食の安全基準を作って、転用しても大丈夫だったかのような詭弁(きべん)を弄(ろう)しているのには驚いた。国が食用には危険と判断し用途を限定したものを、しばらく在庫させておくと何とか言う毒やカビなどが無くなったなどと言っているのだ。在庫の米の全てに対して100%の検査を行なったのなら科学的には理屈が通るかも知れないけど、そのような検査は不可能だ。一粒の米も残らず検査をするなどできるはずがない。食の安全というのは、もともと100%のレベルでなければならないものだと思う。

食の安全に関して言えば、今の世の中には、完璧に安全といえるような食品など無いといえるかも知れない。安全なのか危険なのか判断基準の無い食材や食に関わる薬品類はゴマンとあるだろうし、これから先どんな危険な症状が出てくるかも分らないものを、うまい、うまいと毎日食べている人がいるのかも知れない。毒というのは、ある条件・状況においては、薬となるという話もあるから、食の安全というのは実に微妙な問題を含んでいるに違いない。

しかし、今回の事件は、その米を使って造った酒や焼酎や煎餅などを食べても、死ぬようなことは無いということで、どこかに安心感に似た安易感があるように思う。これは問題だと思う。恐らく似たような事件が再発するに違いない。というよりも、バレていないのを良いことにして、安全基準など無視して、いい加減な食材や加工法で食品を扱っている会社などが、今現在もどこかに存在しているのかも知れない。類似の事件が後を絶たないのは、食品加工に関わる企業や従業者に、そのような安易感があるからなのだと思う。

このような愚かな考え方を、痛切に反省、破却せしめなければならないと思う。経営者は、従業員の生活を保証する為にも、何とか利益を生み出そうと考え、常に苦しい判断を強いられるというのは理解できるけどが、それがどのようなものであっても、善悪の物差しに反する判断は、結局は世の中、世間から見放され、従業者を路頭に迷わす結果となるのである。

今回の事件も発覚の元となったのは、恐らく内部告白によるものだったのではないかと思う。告白者が告白することに面白みを感じているような者であれば論外だけど、そうではない良心の持ち主だったとすれば、それは苦しいぎりぎりの判断に基づく行為であったに違いない。告白を裏切りと見るならば、そのような行為を賞賛する気にはなれないけど、矛盾の刃を己の腹に呑み込んでの、やむにやまれぬ行為であったとしたら、その勇気は讃えられるべきであろう。

毎々、やめておこうかと思いながら、ついつい悲嘆めいた話を続けてしまうこの頃である。早く旅に出かけたいものである。

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