山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

関の羅漢槙に会う

2010-05-16 03:23:52 | くるま旅くらしの話

関の羅漢槙などといっても知る人はごく限られた人だけで、知らない人の方が圧倒的に多いと思います。関と名の付く樹木ならば、何といって松でしょう。三保が関の民謡「関の五本松」は有名です。「関の五本松一本伐りゃ四本 あとは伐られぬ夫婦松」という文句は、なぜかその民謡を歌えぬ私でもちゃんと覚えています。しかし、今日の話は松ではなく羅漢という名の付いた槙(まき)の木の話で、しかも一本です。

この頃は時々思いついて房総を訪ねています。家内の実家が千葉県(千葉市)で、房総は茨城県の守谷からも比較的近いので、なんとなく行きやすい場所となっています。今夏の北海道行に備えて、家内のリハビリを兼ねて1~2泊の旅をするには、あつらえ向きのコースとなっています。それで先週の連休明けにちょいと出かけてきました。連休中の旅を避けるのはいつものことです。今日はその時の話の一つです。

実は今年の春先にも房総を訪ねているのですが、その時に九十九里海岸に近い外房の白子町という所に、羅漢槙の大木があるというので、それを見ようと訪ねたのですが、どうしても探し当てることができず、悔しい思いをしました。事前の調査が甘く、又紹介されていた本の案内内容が不正確だったため、近くに行って誰かに訊けば直ぐに判るだろうと高を括って行ったため、思惑が外れての大失敗だったのでした。山の中ではない場所の名木や大木は、神社やお寺の境内などにあることが多く、大体の見当を付けてゆけば、たどり着けるのですが、この羅漢槙は大木といっても樹高もさほどではなく、しかも個人の所有物らしく、見当をつける物差しが見当たらなかったのでした。田舎の日中は、人を見かけることが滅多になく、家を訪ねても不在の家が多かったりして、やっと見かけて声を掛けても殆どはご老人であり、話を聞いても要領を得ないことが多くて、この時も訊いた人の話がさっぱり判らず、ついにギブアップした次第です。

旅から戻った後に、もう一度徹底的にネットの地図などでチエックして判ったのは、ホンの少し脇道に入れば良かったものをと、己の軽薄さを罵ったのでした。ですから今回はその仇討ちのような気分で、何としても会わなければならないと固く心に誓っての訪問だったのです。

白子町付近では、羅漢槙の栽培が盛んだったそうで、町に入ると至る所に生垣や庭木として植えられている槙の木が目立ちます。我が家の垣根の一部にも槙の木を植えていますが、これはイヌ槙という品種です。羅漢槙というのは中国や九州南部に自生する常緑喬木で、この地が比較的温暖なことから何時の時代か判りませんが、向うから移入されたものなのでありましょう。槙といえば高野山の高野槙が有名ですが、正直言って私にはそれらの品種の区分を正確に言い当てることはできません。皆同じように見えてしまいます。

辞典などによれば、羅漢槙というのはイヌ槙の変種で、イヌ槙より枝が多くて葉が密生するというタイプであり、それが衣を着た羅漢様のように見えるところから呼ばれたというようなことが書かれていました。恐らくその姿というのは、整枝などせずに自然に生育したまま大きくなった樹の様子から来ているのだと思いますが、実際の槇の木は、多くの場合人間の手で整枝されており、羅漢様のような姿を見るのは稀なようです。

関の羅漢槙の「関」というのは、白子町の地名の一つで、町の略中央部の海からは3kmほど離れた所に位置しています。前回にはこの付近を1時間近くも車や歩きでぐるぐると回りましたので、肝心の槙の木を除けば、結構いろいろと土地勘を鍛えるのに役立ったのでした。目的地に至らなくても、迷いの中にいろいろな気づきや発見があるということを、旅の経験の中で知ってしまっているものですから、迷うことに対して必ずしも困惑するというような気分だけではないのです。効率主義の発想からはとんでもないムダということになるのでしょうが、見方を切り替えれば、目的が達成できなくても、迷いや障害の中に新たな楽しみなどを発見できれば、場合によっては本来の目的以上の喜びを感じることだってできるのです。これは必ずしも負け惜しみではありません。くるま旅の中では、そのような楽しみを付加してゆくことが、とても大切なのだとこの頃は思っています。

さて、その関の羅漢槙なのですが、今回は先回の様な迷いの楽しみなどは無用でした。ストレートにと言いたいところですが、実は関のエリアに着く前に早とちりして道を間違え、ちょっぴり手間取った次第です。ナビなし主義は、5万分の1の地図なら滅多に間違わない自信がありますが、全国万遍なくそのような地図を揃えたら、破産をしてしまって旅には出かけられなくなってしまいますから、出先でネットが使えない現所有のパソコンや携帯では、最後は勘を働かせるか迷うしかないのです。一度迷った後は、一発でその羅漢槙のあるというレストランというか、会席亭のような所につくことができました。そこは、前回さんざん迷った場所からホンの僅か木陰に入った道の脇だったのです。

「まきのきてい」というその店の駐車場に車を止め、中に入りました。昼食を終えた後だったので、庭だけを見せて頂けないか尋ねたところ、OKを頂きましたので、早速入らせて頂きました。イヤア、見事な槙の大木が鎮座していました。今までにこれほど大きな槙の木を見たことはありませんでした。高野山などで見る槙は、喬木に相応しくすんなりと伸びているものが多いのですが、この槙の木は樹高が10m足らずでそれほど高くは無く、又幹周りも3mに満たないのですが、樹木全体はお椀を伏せたように広がっており、その大きさは周囲30m以上はあるように見えました。樹齢は800年ほどとかで、国の天然記念物に指定されているということです。

   

関の羅漢槙の全景。一本の木でこれほど見事に整枝された樹木を見た記憶が無い。自然のままに自生しているものとは又違った親近感のようなものを覚える。

   

この木の幹周りは意外と細い。周囲の枝振りが大きいので、樹木のエネルギーが分散されてバランスをとっているのかなと思ったりした。

この木がほかの巨木や古木などと違うのは、きれいに整枝されているという点です。槙の木の枝を整えて、人間の好みに合わせてその姿形を作り上げるというのは、造園では一般的なこととなっているようですが、これほどの巨木を見たことはありませんでした。近年になって古木が発見されて、それを人間が手入れしたということではなさそうですので、この木は800年の歴史の、その初めに近い時点から、人間たちとの交流を保ちながらここまで生きてきたのではないかと思いました。鎌倉時代の終わりごろには、もう既に人間どもとの付き合いが開始されたようにも思います。つまりはこの頃から体全体を人間どもに整えさせながら、悠々とその後の数百年間をこの地に根を張って生きてきたのだと思います。その勢いは今でも少しも衰えていないように見え、威厳をさえ備えているように思いました。

ま、本当のところはどうだったのか解りませんが、今でも多くの人間に愛され畏敬されている存在であることは変わりません。何度もその周りを巡りながらカメラのシャッターを切りました。この場所は多くの文人にも愛されたらしく、特に俳句には関係が深いようでした。昔の歴史のことはさっぱり解りませんが、近代俳句の巨匠の一人、楠本憲吉の句碑が建っており、そこには「羅漢槙 泰然として 是にあり」と刻まれていました。楠本先生がこの木に会われた時の感動を表わしたものだと思いますが、全く同感です。人間どもの何代に亘る手入れを甘んじて受け入れながら、この木は泰然として今、ここに不動の姿を見せてくれています。一人の人間として、この木の生き様に畏敬を覚えずには入られない、そのような感動は恐らく俳句というものの表現を簡単明瞭にさせるものなのでしょう。そのように思いました。

30分ほどの訪問でしたが、次回は昼時に来て、このお店で提供してくれる料理を頂きながら、この木とじっくりと対話してみたいと思いました。

※ 関の羅漢槙(千葉県長生郡白子町関1822 まきのきてい内)

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