山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

卯の花の季節

2011-05-04 04:36:12 | 宵宵妄話

 

 散歩の途中で見つけた卯の花。丁度咲き始めて4分咲きといった頃合いか。卯の花垣もめったに見られなくなってしまっている。

 

 

 この頃は卯の花を見ることが少なくなった感じがします。昨日散歩の中で、少し横道にそれて通った場所に卯の花がありました。ちょっと目には白っぽい、はっきりしない感じの花に見えますが、良く見ると愛らしい純白の花がぎっしりと詰まって、その空間をおぼろに(かも)しています。

 卯の花というのはウツギ(=空木)の花のことです。ウツギというのはユキノシタ科の落葉低木で空木と書き、その呼び名は木の幹が中空となっていることから来ているようです。アジサイと同じ仲間の木ですが、花は全く違っており、アジサイのような派手さのない小さな白い花をつけます。

 「卯の花」を辞書で引くと、大別して二つの意味の説明があります。一つは樹木としてのウツギの花のことであり、もう一つは豆腐の搾りかすのオカラのことです。全く異質のものがどうして同じ呼び方をされるのかといえば、それはウツギの花を見れば一目瞭然でしょう。白い花の(かたまり)は、しぼりたてのオカラとよく似ています。

 日本人は昔からこの花をとても愛し、親しんできたようです。日本中どこにもあって、(北海道や沖縄は別かもしれません) この花が咲きだすと、春の深まりと夏を迎える際のちょっとしたメランコリーを覚えるのかもしれません。というのも、この花は晴天ではなく、曇天に似合う花としての印象が強いからです。それは、梅雨時の水を精一杯吸い込んで真っ白な花を咲かせている、この花へ向けられた人々の思いと一緒だったのかもしれません。

 そのような先人の思いを消し去るかのように、この頃はこの花を見かけることが少なくなりました。同じ仲間のアジサイの方は、その派手さを売り物にして益々繁盛しているようですが、目立たない小さな花を咲かせるだけのウツギの方は、名前はまだ残っていても、その存在を知らない人が次第に増えているようです。

日本人というのは、どこへ行くのかなと、この頃時々思います。私の人生時計では、80年を寿命としての計算で、これを24間に換算表示すると、只今21時30分近くにいることとなります。24時まであと2時間半くらいしかありません。リミットが迫ると人は過去を思うのかそれとも未来を思うのか、これは面白そうなテーマですが、私の場合は今のところ未来を思うことが多いようです。しかし、それは現在と切り離した理想の未来ではなく、現在とつながった危なっかしい未来となっています。70年以上も人間をやって来ていると、もはやバラ色の未来を描く力は失せ去ったのかもしれません。特にこの度の大震災がもたらした、二次的大人災の原発事故などの成り行きを見ていると、この国の行く先に不安を覚えずにはいられません。

やはり大切なのは原点に戻るということなのでしょう。気づくのは、それしかないように思います。日本人は日本人の原点に戻るということが、国際的にも一番大切な感じがします。グローバルぶって無理をするのではなく、素直な日本人に気付き、そこに戻って出発することがこの国を真の意味で豊かにしてゆくのではないかと思うのです。

久しぶりに卯の花をみつけて、しばし道端に佇んで、花から教えられたことはそのようなことでした。卯の花はアジサイなど気にしないし、ましてやハナミズキなどを羨ましく思ったりなどしないのだと思います。卯の花を愛した日本人の心の中に、この国の未来を豊かにするヒントが潜んでいるように思ったのでした。

コメント
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