山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今年の夏の過ごし方(予楽:北海道上陸まで:その1)

2011-05-16 03:27:44 | くるま旅くらしの話

 このブログは、そもそもくるま旅くらしのことを綴るつもりで始めたのですが、このところはずっと主旨に反して身勝手な愚痴ばかりを書いており、我ながらこんなはずではなかったと、疑問と反省を抱きながらの毎日が続いています。何しろ旅をしていないものですから、なかなか書く気分にもなれず、さりとて旧懐談を綴るには少し早すぎるという思いがあり、ちょっぴり悩ましい状況にあります。それで、今日はこの夏の予定などについて少し紹介させて頂こうと思っています。

去る3月11日の東日本大震災の発生は日本国を震撼させ、今も尚二次災害としての原発事故は、収束の見通しすらも立っていません。この日を境にして人生の歩みが大きく変わった人は、直接被災された方をはじめ、原発事故の風評災害に痛めつけられ故もなく生活基盤を揺らがされている人など、多種広範囲に亘っています。そのような中で、私といえば、幸いにして直接の被害は僅少だったものの、やはり心理的には居たたまれないような不安や無力感をなかなか拭うことができませんでした。被災され見通しの立たない避難所暮らしを強いられている方が大勢いるというのに、くるま旅などとノーテンな戯言(たわごと)を抜かしている場合かという罪の意識のようなものまでが覆いかぶさって、とても旅を考える余裕はありませんでした。

旅車は自活できる機能を持っているのですから、本当は被災地に出向いて何らかの支援活動をするべきなのだと思いながらも、家内の体調のことや自分自身の体力のことなどを考えると、行ったは良いものの却って邪魔になって迷惑を掛けるのではないかと思ったりして、とうとう具体的な行動は起こしませんでした。これもまた一つの怠慢というか罪のような感じで自分の中では少し重い気分になっています。

そのような状態で過ごしてきたのですが、ここへきてやはり今年も北海道へ行こうと決めました。というのも被災地へのボランティア活動をするにはやっぱり無理がありますし、一方で原発事故の収束の展望は依然定まらず、この夏の電力不足は多分に計画停電を必要とするのではないかと思われ、そうなると家内の健康保持が猛暑に耐え得るのかという心配もあります。それならいっそのこと早めに北海道へ行ってどこか拠点を決め、そこで静かに過ごすのもいいのではないかと考えた次第です。

私自身はもう古希を過ぎており、この先どれくらいこの世に生を保持できるのか判りませんが、それほど長い時間は残っていないでしょうし、原発事故の影響など大して心配もしていませんが、家内にはまだ私のような考えはないようですし、又持っては欲しくないとも思っています。お互い死ぬまでは活き活きとした生き方を保ちたいと考えており、くるま旅もそのための一つの道と考えて選んだものなのです。

旅というのは移動という動きを原点としていますが、今年の旅は拠点までの移動は別として、基本的にあまり動き回らないことを心がけたいと考えています。北海道の訪問も10回以上を数えており、どこを拠点とするかについては、それほど迷うことはないように思っていますが、時として、現地に行って見ると以前とは様子が変わってしまっているようなケースもあります。そんな時には又新天地を探すのも楽しみとなります。

というようなわけで、現在あれこれとその行程などを考えています。いまのところ北海道への上陸までのコースに思いを馳せており、今日からは予楽として、その概要を書くことにします。

まず出発ですが、6月11日としました。これは同日から翌日まで栃木県の那須高原のキャンプ場で所属のクラブキャンプが行われますので、せっかくですからそれに参加しがてら北海道に向かいたいと思ったわけです。北海道上陸までの主な行程を次の様に考えています。

11日~那須高原キャンプ場

12日~福島県在住の知人Iさん宅訪問

13日~会津若松近郊の歴史史跡を訪ねてどこか道の駅に泊る

(未定)

14日~新潟県三条市の燕三条地場産業振興センターを訪問の後、

至近の道の駅に泊る(未定)

15日~日本海の観光名所笹川流れを訪ねる。その後北上して秋

田県にかほ市の象潟の道の駅に泊る。

16日~ブナの巨樹、「あがりこ大王」に挨拶をした後、能代市の

    北部周辺の道の駅のどれかに泊る(未定)

17日~鰺ヶ沢から岩木山麓を回り、木村秋則さんのりんご農園

を訪問して写真を撮らせて頂く。泊りは弘前近郊の道の駅(未定)

18日~休養日。付近の温泉などでゆっくりする。泊りは道の駅

浅虫温泉辺りか。(未定)

19日~むつ市から東通村尻屋崎の野生馬放牧場を訪ねた後、大

間に向かう。泊りは大間キャンプ場。

20日~大間発7時10分の津軽海峡フェリーに乗船。函館到着

は8時50分の予定。

ざっとこのような行程ですが、10日間を掛けて日本海側をのんびりと北上し、いつものように大間から函館へ上陸というコースです。

高速道を一気に北上して北海道に向かうという考えもありますが、今回は特に往路を旅とし、拠点到着後は静養暮らし、復路は高速道を使っての速やかな帰宅をと考えていますので、北海道上陸までの時間を大事にしたいと思っています。このような考えの場合、コースといえば今までは、日本海側ではなく東北地方の背骨を走る道を行くことが多かったのですが、今回は津波の被災のこともあり、野次馬は止めて久しぶりに日本海側を行くことを考えています。

福島から新潟へ抜けるコースは多くは米沢経由でR113を通って日本海へということが多いのですが、今回は珍しくR49で会津エリアを経由して新潟県を少しウロウロしてから海側を青森県まで北上するという考えです。福島県では大切な知人のIさん宅を訪問した後、会津若松の史跡を見学したいと思っているのは、今も未だ読み続けている「会津士魂」(早乙女貢著)の影響で、改めて藩校日新館や鶴ヶ城などを訪ねたいと思ったからなのです。比較的近くにいながら、会津といえば喜多方市の酒とラーメンと温泉にばかりうつつを抜かし、本家の会津若松市をないがしろにしていたことを反省する意味もあります。史跡を見る目というのはより多面的な情報を得ることによって、奥行きが深くなることを実感したいなと思っています。 (ここから先は明日へ続く)

コメント
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