東日本大震災の発生以降早くも2か月が過ぎました。月日の経つのは本当に早いものです。いや、早く感ずるのは老人となった証なのかもしれません。被災地の皆さんや未だに避難所での生活を余儀なくされている方々にとっては、時間の経過が遅すぎると感じておられる方も大勢いらっしゃるに違いないのに。そのような一人ひとりの思いとは別に、時間の経過は絶対的なものであり、全ての生きものに対して平等であるという怖さを内包しているようです。
この2ケ月間、私自身は思いを届けることもできず、祈るだけのことしかできませんでしたが、そのような私などとは違って、被災地に出向き、長期間に渡って被災者の皆さんを元気づけ、支援をし続けている方がおられます。以前このブログでも触れました(3月25日「炊き出し隊帰投せり」)が、東京は神田にお住まいのHさんです。Hさんの組織がどのようなものなのか、その中でHさんがどのような立場・役割を担っておられるのか、実のところまだ一度もお会いしたことのない私には全く存じ上げないことなのですが、そのお働きに関しては、何度か頂戴した現地の活動レポートや動画・写真等を通して、実にすばらしいと敬服しています。
そのHさんから一昨日(5/9)最新のレポートを頂戴しました。Hさんは、2度の炊き出し隊活動の後、今度は新しく「おかず一品プロジェクト」を立ち上げ、南相馬市にて避難所の皆さんのための食事への貢献策として、既存のメニューに加えておかず一品を提供するという活動を、4月の11日以降1カ月に渡って現地に滞在されたまま続けておられます。その活動は単におかずの提供だけではなく、地元の人たちの中に溶け込み、漁協の会合へもオブザーバー参加するなど、地に足を据えたものとなっています。
レポートを拝見する度に、現地の実際の様子がTVなどの報道とは大分に違っていることを教えられ、被災地の現状を偏って見てしまうことの危うさに気づかされました。マスコミの報道は客観中立を標榜しながらも、その実は報道者の意図や意思が滲(にじ)んだものとなり、現地の実態とは違った伝え方となることを改めて知ることができ、襟を正すことが出来たような気がします。ありがたいことです。
その最新のレポートでは、Hさんは今地元ではメンチマンと呼ばれていると書かれていました。それは、HさんがひょんなことからTV東京の「ガイアの夜明け」の撮影スタッフと同行して避難所での取材をコーディネートすることになり、避難所の管理事務所に伺った時に、事務所の方からそう呼ばれているということを知らされて知ったとのことです。それは炊き出し最終日のメンチカツが避難所の方々にとても印象に残ったということらしく、親しみと感謝をこめての愛称だったのでありましょう。苦も無く取材のアポイントが取れたとのことです。いずれこの取材の結果は「ガイアの夜明け」の番組の中で放映されることと思いますが、とても楽しみです。
メンチマンというのはとてもいい響きだと思います。人は食べたいものを思いがけずに食べることができた時に無上の嬉しさを感ずるものです。Hさんの提供したメンチカツは、おそらく避難所の多くの人たちの思いがけない嬉しさにつながったに違いありません。否、それだけではなく、ボランティア活動とはいえ、避難所の人たちの気持ちを汲み取って、元気になって欲しいという思いをコツコツと伝え続けたHさんの心が、避難所で何の楽しみもなく過ごさなければならない多くの方たちの心の中に確実に届いた、その感謝がつくり出した愛称に違いありません。すごいなあと思いました。
今回の大震災の被災地の中では、多くのボランティアの方々が、様々な分野で様々なスタイルで活躍されたことだと思います。その中で、Hさんの活躍を逐次教えて頂けた私は本当に幸せ者だと思います。本当なら私自身がご一緒しなければならないと思っているのですが、そうできない事情があってこんなコメント風のことを書くだけで済ませているのは真に申しわけないことです。
2か月にも亘って、これほど身を尽くして活動されておられるボランティアの方はそう多くはないように思います。メンチマンとなられたHさんを心から尊敬します。このような方が本当に被災者の方々の力となっておられるのだと思います。Hさんは間もなく東京に戻られるとのことです。長い間のご尽力に対してご苦労さまを申し上げますと共に深甚なる感謝の念を表します。