山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今年の夏の過ごし方(予楽:北海道上陸まで:その3)

2011-05-18 04:25:17 | くるま旅くらしの話

 さて翌日(6/18)ですが、この日をどう過ごすかちょっぴり迷っています。例年ですとさっさと大間に向かって、そこから直ぐフェリーに乗る算段を考えるのですが、今回はもう少しゆっくりと北上したいと考えており、特に予定も入れない休養日にしようかなどと考えています。旅の中での休養日などというのは、何だか変な感じがしますが、長期のくるま旅くらしでは、無目的の、何をする当てもないこのような時間があってもいいのではないかと思っています。黒石市のこみせ通りの散策もいいし、こけし博物も気になります。それに隣の尾上町(今は平川市)の名庭園の盛美園を訪ねるのもいいな、ここに行けば関東とは少し開花期のずれたツツジなどの花が見られるのではないかと思っています。

それから忘れてならないのは、旅の道連れに不可欠なお酒も手に入れる必要があり、これはもう弘前の名酒「豊盃」(三浦酒造)と決めており、造り酒屋さんを訪ねる必要もあります。三浦酒造のお母さんには以前蔵の中をご案内頂き、酒造りの工程をご案内頂きました。又酒造り用の美味しい井戸水も頂戴しました。これはもうご尊顔を拝さなければならないと思っています。こうなると相当に忙しくなってしまい、休養どころではなくなってしまいそうです。楽しみは膨らむばかりです。とにかく思いつくままに時間を過ごして、この日は道の駅:浅虫温泉に泊ることにしたいと思っています。本当は青森市内にも寄りたい場所が幾つかあるのですが、今回はパスすることにします。

翌日(6/19)は北海道に渡る最後の日とする考えです。まず大間に向かって出発しますが、最初の目的地は道の駅:よこはまです。その前にちょっとだけ。途中の野辺地町は幕末の戊辰戦争の後で、一時的に会津藩が転封(てんぽう)された斗南(となみ)藩の一部ではなかったかと、以前町の民俗資料館を訪ねたことがあるのですが、その関係資料は殆んど何も残されておらず、がっかりというか、あの斗南藩というのは、この地ではほんの一瞬通り過ぎた風のような出来事に過ぎなかったのだと気づかされたのを思い出します。今、「会津士魂」を読んでいますので、それを再び思い出したのでした。ついでに言えば、会津藩の人たちのその後は、青森県の歴史の中では殆どその痕跡を残してはおらず、新しい政体の下では、斗南エリアからは殆どが引き揚げたということなのでしょうか。よく判りません。

話がずれましたが、道の駅:よこはまは気に入っている場所の一つです。どうしてかといえば、二つ理由があり、その一は何と言っても菜の花。そしてもう一つは地元産ホタテを使ったコロッケです。菜の花はこの町の一番の売りで、この花の黄色は町の色ともなっているようです。日本一の菜の花畑は、今は北海道の滝川だったかに作付け面積では譲ったという話を聞きましたが、それより何より菜の花を愛する人がたくさんいるという点ではやはり日本一のような気がします。以前町のボランティアの方に町に点在する菜の花畑を車で紹介して頂いたことがありますが、何しろ広大で、見物が終了するまでには2時間以上、50km近くも走り廻り、終わった時には夕暮れ間近かになってしまって、驚かされたことがあります。今回は時期的に少し遅れてしまうかもしれませんが咲いていてくれることを願っています。又ホタテコロッケの方は、毎度ここを通る時の楽しみで、超美味なのです。これは外せません。今回の大震災でホタテの養殖が被害を受けていなければいいなと思っています。

その後はむつ市に向かい、市街の途中から県道を東通村の尻屋崎を目指します。尻屋崎は、斧のような形をした下北半島の東端の岬で、岬らしさを実感させてくれる雰囲気のある場所です。ここには南部藩時代からの馬の放牧場があり、半野生化したような形で馬が草を食んでいます。つまり牧場といっても柵などはなく、馬たちは好き勝手に歩きまわっているというわけです。人間が近づいても一向に気にもせず、彼らの世界を保っている感じがします。宮崎県の都井岬にも同じような野生の馬がいましたが、尻屋崎の馬は彼らよりは大型で、足腰がしっかりした逞しさを感じます。それはこの地が風雪の厳しい冬を持っており、その中を自力で生き抜くという試練に耐えて来た、その強靭な生命力の証であるように思いました。この馬のことを、地元の学校の校長先生がS45年(1970)年頭の書き初め会で寒立馬(かんだちめ)と歌に詠まれて以来、その呼び名が一般化されているという話は有名です。

東通村には原発があり、未だ建設中のものもあるのではないかと思いますが、さて今回の大地震の後の事故の現状を目の当たりにして、村の人々は今後どう対処しようとするのでしょうか。気になるところです。隣の六ヶ所村には原子力燃料サイクル施設などがあり、そこへ行って見ると村のチグハグな豊かさに気づかされるのですが、この二つの村では、これから先再び原発の安全性や核燃料等についての様々な物議が醸し出されるのではないでしょうか。勿論そのような施設などを見に行く気は全くなく、ただ岬の荒野に屯(たむろ)する半野生化した馬たちを見に行くだけです。何しろ私は馬の骨を大事にしている者なのですから。

尻屋崎を後にしてからは、本州での最後の夜を最北端の大間崎にあるキャンプ場で過ごす予定です。その前に大間温泉に浸るのもいいなと思っています。大間はマグロの一本釣り漁で有名ですが、その殆どは大消費地の東京などへ行ってしまいますので、地元でマグロを堪能するというのは難しいようです。まだ一度もお目にかかったことがありません。

キャンプ場は岬の海辺に近いところにあるので、ちょっぴり心配です。もし又大地震でも発生して津波などに襲われたら大ごとです。まさかのことを考えて逃げ道を確保しながら泊ることにしたいと思っています。状況によっては違う場所を選ぶかも。くるま旅の宿泊場所は、安易に決めるのではなく、まさかのことを考えて慎重に選ぶことが大切だということを、今回の大震災は改めて教えてくれているように思います。

さて、翌日は朝一番の便で函館に向います。ここまで10日間をかける計画です。もっと時間をかけても良いような気もしますが、目的は北海道での質素な暮らしなのですから、途中はほどほどにしなければならないと思っています。ま、これぐらいがちょうどいいというところでしょう。

このようにあれこれ書きながら旅の予楽を味わっています。一応このように書いていますが、旅の実際はおそらく違うものになることでしょう。それは出会いの実際によっても変わりますし、出会いの作り方によっても変わるからです。出会いの実際はそこに行ってみないとわかりませんが、出会いの作り方としては、これから通過予定の各地方の歴史や地理などをざっと調べたりしますので、そこで気づいたことによっては、或いは相棒の要望などによっては、旅の道筋は大いに変わってくることになります。ま、今回紹介させて頂いた行程はいわばタタキ台のようなものであり、大枠は変わらないものの、その中身はどうなるのか自分でも判りません。それが旅の楽しさなのだと思っています。

これから準備を本格化しなければなりません。まずは旅車の点検整備をしなければならず、これは専門の車屋さんにお願いすることになります。次は旅のライフラインの確認関係です。電気、ガス、水それにトイレなどの各機能も異常が無いか、安全に問題はないか等をチエックします。それから情報入手のためのTVやラジオなどについても点検が必要です。最小の携行品で間に合うような工夫も必要です。何しろ3カ月もの長旅ですので、あれもこれもなどとやっていると身動きの取れない状態となりかねません。馴れているとはいえ、ときどきポカをやりますので、メモなど用意して漏れのないよう準備を進めたいと思います。

以上、3回に分けて予楽などといって、勝手な御託(ごたく)を並べました。実際の状況については、今回は携帯電話でブログに簡単に紹介したいと考えています。さて、どうなりますやら。出発まであと25日です。

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