山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第3日)

2009-03-04 02:21:30 | くるま旅くらしの話

第3日 <4月26日()

道の駅:大江→(羽州街道・新庄経由・鶴岡街道)→道の駅:戸沢(山形県戸沢村)→(最上峡)→(R345経由)→道の駅:鳥海(山形県遊佐町)→十六羅漢(山形県遊佐町)→(酒田街道)→道の駅:象潟(秋田県象潟町)→(本庄市経由・本庄街道)→八塩いこいの森(秋田県東由利町)→道の駅:東由利(秋田県東由利町)(泊)<218km>

今回の旅では、あちらこちらと余り動き回らずに一気に角館辺りに行ってしまって、そこでゆっくりしょうかなと考えている。先ずは日本海へ抜けて秋田方面を目指すことにして出発。羽州街道を北上し、新庄から鶴岡街道を通って、雪解けの水を満々と湛えて流れる最上川に沿って走り、最上峡を垣間見ながら酒田手前から遊佐に向う国道345号を走って道の駅:鳥海へ到着。10時。いつもここで山菜を手に入れるのだが、今年は冬が長くて未だ本格化していないようである。良さそうな山菜を集めて我が酒飲みの親友に少々送る。

一休みの後、すぐ近くの海岸にある十六羅漢を訪ねた後、酒田街道を北上して象潟の道の駅に到着。昼少し前の頃着いたのだが、久しぶりに4階にある日本海を望む温泉に入ることにする。さすがにこの時間の入浴者は少なく、好き勝手にゆったりと時間を過ごす。風呂の反対側には、かつては海にあった九十九島を俯瞰でき、その向こうには鳥海山の雄大な眺めが広がっている。いつもと同じように感動する。贅沢な時間だった。

今日は東由利の道の駅に泊まることに決め、本庄に向って出発。本庄から本庄街道を西進して山の中にある東由利町に。道の駅に落ち着く前に、八塩山麓にある黄桜を売りにしている八塩いこいの森を覗く。未だ黄桜どころかソメイヨシノも2分咲き程度でここの春は遠い。道の駅にて一夜を過ごす。

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この当時の旅ではあまり写真を撮っていないので、使う写真がありません。そでれ、そのような日には、この旅で拾ったエッセーを紹介させて頂くことにします。

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娘(おやこ) 艶 姿

東北春旅の始まりは、隣県福島は三春の滝桜からだったといってよい。旅に出たいと願いながら、今年の桜は棲家近くの公園をちょっと覗いたくらいで、どこへも出かけなかった。だから何としても先ずは滝桜を観たかったのである。

東北には幾つかの桜の名所があり、今回の旅も勿論何ヶ所かを訪ねるつもりであるが、三春の滝桜は別格である。去年、初めてその千年を越える桜に会ったのだが、既に花は終わっており、逞しい濃緑の葉を茂らせていた。その時、満開の花を想像して、それだけで感動したのを憶えている。今回の旅の出発のタイミングを、密かに滝桜の開花に照準を合わせて計っていたのである。

滝桜は日本全国の桜の樹木の固体の中で、3本の指に挙げられる存在である。未だ行ったことはないが、岐阜県の根尾の薄墨桜、山梨県の神代桜とこの滝桜がそれであり、夫々千年を越える古木である。日本の地上に生息する生命の中で、最長寿は縄文杉だと思うが、以前その樹に挨拶に行ったとき、その風格の凄さに言い得ぬ感動を覚えたのを忘れることが出来ない。その感動と同種のものをこの滝桜に覚えるのである。

開花情報などをチエックしているので、今年はジャストタイミングで見ることが出来ると確信をもっていた。只、大勢の観光客が訪れるので、よほど早く行かないと駐車できないと考えた。その点、我がSUN号は極めて機能的であり、最善の方法は前日から駐車場に泊まっておればいい。だけどそれでは行き過ぎかと思い、前日は三春町近くの高速道のSAに泊まって、早朝5時半には駐車場に到着した。

歩くこと5分、日の出前ではあるが、満開に白く輝く滝桜の姿が目に飛び込んできた。それだけでもう感動である。何という姿であろう。まさに流れ落ちる滝のような幾筋もの花の流れが、逞しい古木の幹を包んでそこにあった。滝桜とは何と素晴らしい呼び名であろう。何百年もの間、この一本の桜の大樹の開花を敬って来た人々が思わず口にした尊称に相応しい名だなと思った。

滝桜は、なだらかな丘の窪地の、丁度パラボラアンテナの芯のような位置にどっしりと居を構えている。丘をぐるーっと周って何度も何度もシャッターを切ったが、そのどこから見ても風格は変わらない。どこから見ても優雅で美しい。やがては写真を撮るのは止めて、しばしじっくりと眺め呆けることにした。呆けながら眺めることがこの桜の最高の観方なのではないかとその時思った。やたらに理屈をつけて観てしまうのが、自分の習い性なので、気をつけなければならない。

呆けて眺めていると、滝桜がそよ風に吹かれて春のいのちの芽吹きを歓ぶ舞いを静かに舞っているように見えた。その優雅な舞は、満席の観客を少しも意識していないように、静かに、静かに所作を続けていた。自分だけに見えるその舞姿を、しばらくうっとりと見とれた。不断、舞などには一切無関心な、いとムクツケきジジイの自分が、このように呆けられるのを不思議に思った。滝桜の秘めた力によるのであろう。

   

   夜明け直前の滝桜の優雅な姿(推定樹齢1000年)

2時間ほど滝桜の美しい舞い姿などに打たれた後、次の目的地に出発したのだが、隣町を通っていると、「地蔵桜」という案内板が目に入った。今さっき、もうこれ以上の桜は無いと感動して別れて来たばかりなのに、何故かその桜も観たくなって、案内板に従って行ってみることにした。このような気持ちにどうしてなるのかはよく分からない。

 そこに到着すると、これはもう滝桜と較べて明らかに若い樹の紅枝垂れ桜が、足元のお地蔵さんの祠を優しく包んで、満開の花を広げていた。滝桜と較べて花の色が濃く、一段と艶やかだった。側に地蔵桜縁起という立派な石版があり、それを読むと、故人である木目沢伝重郎という方が、滝桜には実生の子孫がいるに違いないと気づき、滝桜を中心に半径10kmの野山を農事の合間に歩き、根回り1m以上のものに限定してついに420本の子孫を確認、確定したということである。その中でこの地蔵桜が筆頭なのだという。それゆえ、この地蔵桜は滝桜の娘と呼ばれているらしい。樹齢は400年くらいであろうか。大木である。

   

   色艶やかな地蔵桜の姿(推定樹齢400年)

写真は相棒に任せて数枚で止め、ここでもしばし呆けて眺めることにした。同じように、この娘も母に似た舞いを舞っていた。母親の年季の入った、優雅で重厚な舞いに較べ、娘の方は未だおきゃんで、お化粧を始め出した年頃のような躍動感のある舞いで、それは舞いというよりはむしろ踊りといった方がいいのかも知れない。どちらの舞いも夫々の美しさが溢れていて、素晴らしいものであった。この母と娘が並んで一緒の舞台に立てないのが残念だけど、それは仕方がない。別々の舞台でも、この競演は心に残るものであった。

この土地に棲む人たちは、420もの美しい娘達の艶姿を毎年見ているのかと思うと、心底羨ましいと思った。来年はもっと違った娘にも逢ってみたいものだと、又一つ歳をとるジジイであることも忘れて、そこを離れたのであった。

滝桜早暁の天を独占す   馬骨

千寿桜先ずは今年の春を舞う  馬骨

群人を染め包みたる滝桜   馬骨

化粧して春舞う地蔵桜かな  馬骨

コメント
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