第14日 <5月7日(土)>
道の駅:大野→道の駅:折爪(岩手県九戸村)→道の駅:南郷(青森県南郷村)→(名川階上線・陸羽街道)→道の駅:十和田(青森県十和田市)→道の駅:七戸<東八甲田温泉>(青森県七戸町)(泊)<90km>
夜来の雨となった。しかも半端ではない本降りである。これでは海側に行ってもしょうがないので、たくさんのいい温泉がある小川原湖畔の上北町辺りを目指して北上することにした。今日中に着かなくてもいいから、途中道の駅などを辿りながらちんたらと行くことにして出発。雨の中を先ずは九戸村にある道の駅を目指す。
九戸の道の駅「おりつめ」は折爪岳の山麓にあり、そこに「オドデ館」という妙な名前の施設があった。何だろうと調べると、オドデさまという民話の主人公から取って付けた名称らしい。上半身がフクロウ、下半身が人間というオドデ様をかたどった巾着袋などが売られていた。それを見て我がでこぼこコンビの邦子どのにそっくりなのに気がついた。笑ってはいけないよ。ホントなんだから。
オドデグッズ。民話の中に出てくる主人公のオドデ様に似せて作っている。古布を巧みにつなぎ合わせて作ってあり、なかなか愛嬌があって面白い。
雨は依然としてまだ降り続いている。青森県に入って南郷、十和田の道の駅などを経由して昼過ぎ七戸の道の駅に到着。まだ雨は止まない。今回の旅ではこの道の駅は2度目となるが、近くにいい温泉もあり今日はこのままここに泊まることを早々と決め、ゆっくりすることにした。少し寒いほどだ。午睡の後、温泉に入ってとにかくくつろぐ。
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<旅のエッセー>
二 人 の 「オドデ」 さ ま
先ずは青森県に隣接する岩手県は九戸で拾った民話を紹介しょう。南部氏が東北北部をを支配していた時代、一戸から九戸まで(四戸というのは残っていないが)という、区割りをしたらしい地名が残っている。その中で、村はこの九戸だけで、他は市や町である。だから民話を紹介するというわけではない。偶々そこで出会った「オドデさま」にまつわる話なのである。
……昔々、江刺家折爪岳の草刈り場で村の若者が牛まぶりをしていました。夏の日が沈む頃、若者は藪の中にうす気味悪く光る目玉に気がつきました。 やがてそれが二本の足を揃えて、ピヨン、ピヨンと跳びながら若者に近づいてきました。大きさは魔法瓶くらい、上半身はフクロー、下半身は人間のように見えました。 この不思議なものは、若者の心に思ったことをそっくりそのままに言葉に表したかと思うとやがて遠のき、藪の中に消えていきました。 ところが数日して、名主様が持ち山の見回りに山へ入ったところ、それらしきものが倒れているのを見つけ、縄で縛り家に持ち帰り、庭のすみに置いておきました。ところがいつの間にか姿が見えなくなり、よく見ると神棚の上に大きな目を開いてキチンと立っていたのです。 村の人々は、このめずらしい物を一目見ようと、つぎつぎに名主を訪れました。山で見た若者も来て「ドデン、ドデンと大きな声を出したのがこの鳥だ」と言ったので、この鳥は「ドデ」とよばれるようになりました。 この鳥は時々「明日は晴れだ」とか「夕方雨だ」とか叫び、それがまたピタリと当たるので、村人達は、自分の運勢、失せ物、縁談、病気などを聞きに訪れ、名主の家は大繁盛するようになりました。 この「ドデ」は、毎日天井ばかり見て暮らしていましたが、ある日、下を見ると名主は羽織袴で座っている。その前に村人達が頭を下げている。 賽銭箱にはお金が沢山つまっている。それを見た「ドデ」は、「シラン、シラン、ドデン、ドデン」と叫びながら森深く飛び去ってしまいました。その後、二度と姿を見せなくなりましたが、今でも近くの森で、それらしい声を聞くといいます。…… (九戸郡誌より)
九戸村の北はずれの西の方に、隣の二戸市や軽米町と境界を共有する折爪岳という標高852mの山がある。それは地図を見て知っているだけで、初めて九戸村の道の駅を訪れた日は終日雨が降り続き、折爪岳は麓の一部しか見えず、どのような山容なのかはさっぱり分からなかった。今年新しくオープンした道の駅には、産直品を紹介、販売するオドデ館というのがあった。この妙な名前の由来は、一体どこから来ているのだろう?と館内を歩きながら、何か説明資料はないかと探していたら、上記のオドデさまの民話を紹介したものがあり、そこから名付けたものであることがわかった。
東北には柳田國男の遠野物語などで紹介されているように、たくさんの民話がある。このオドデさまの話もその一つなのであろう。どうやらフクロウをモデルにした予言者の存在をイメージした物語のようであった。タイトルもストーリーもいかにも東北らしい朴訥さがある。「ダヂヅデド」は東北の標準語の基(もとい)である。現地の人同士がこの標準語で話し出すと、我々にはさっぱりわからなくなるけど、その内容は何か温かく伝わってくるような気がする。又そのことばの音には、素晴らしいバイタリティ込められていて、東北の人の持つ底力を感ずるのである。
その資料にはオドデさまのイメージ像が描かれていたが、それは上半身がフクロウ、下半身が人間といったものだった。そして、それをモデルにしたらしいグッズとして、手作りの巾着が売られていた。古着の布を利用して作っているものらしく、それがいかにも東北の田舎の温かさというか、味を出していた。我が相棒はその巾着がすっかり気に入って購入していた。
ところで、その時何か変だなと思ったのは、そのオドデさまなる民話の主人公の姿を、どうもはじめて見る様な気がしなかったのである。そして気がついてよく見れば、オドデさまというのは、何と隣にいる我が相棒の体形に実によく似ているではないか。彼女は、旅に出ると「もんぺ」のようなのを着ていることが多い。普通の装いの上にそれを引っ掛けて着ているので、それでなくとも膨らみ出した体形は一層膨らんで見えるようになる。本人はそのことを意識して着ているのかどうかよく分からないが、時々珍しがって声を掛けてくれる人がいるので、結構満足しているのかもしれない。服装などには全く関心の無い自分にはそのような心理は解らない。
「なあんだ、オドデさまのそっくりさんがここにいるじゃないか」と思わず手を打ってしまった。体形だけではなく、よく考えてみれば予知能力も結構高いのだ。自分があまり悪さをして来なかったのは、相棒の予知能力が枷(かせ)となっていたのかもしれない。オドデさまと決定的に違うのは、お賽銭などが貯まったとしても、決して「シラン、シラン」などと言いながら消え去ったりはしないということであろうか。
いやはや、何とも驚いた出会いであった。旅のそれから以降しばらくは、相棒のことをオドデさまと呼ぶことにした。怒るかと思って本人にそのことを言ったら、意外と素直に認めたのにはこれまた驚くと同時に少しがっかりした。とても句作は出来ない。そこで川柳の駄作を一句。
日に増してオドデさまなる妻を見る 馬骨