山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第18日)

2009-03-21 01:51:55 | くるま旅くらしの話

第18日 <5月11日()

道の駅:鶴田→(羽州街道・十和田道)→道の駅:田舎館(青森県田舎館村)→盛美園(青森県尾上町)→(羽州街道)→道の駅:弘前(青森県弘前市)→道の駅:碇ヶ関(青森県碇ヶ関村)→(坂梨峠・津軽街道)→道の駅:かづの(秋田県鹿角市)→東トロコ温泉(秋田県鹿角市・八幡平温泉郷)→道の駅:比内(秋田県比内町)(泊)<170km>

旅も20日近くなり、そろそろ帰りを考える時期になりかかっている。後半は天気に見放されたらしく、雨降りや寒い日が続いている。春は十分楽しんだし、今年から始めた菜園のその後や庭の草木たちのことも気になり始めている。今日辺りからぼちぼち南下することに決める。

鶴田町からはお岩木山が南正面にその雄姿を見せるはずなのだが、今日も曇っていて裾野しか見えない。先ずは先日混んでいてスタンプを貰えなかった田舎館村の道の駅に行くことにした。道の駅に行く途中地図を見ていて、何時だったかTVで尾上町という所に盛美園という立派な庭園があるのを知り、その時につけた印に気がついた。尾上町は田舎館村の隣町だ。それで道の駅に寄った後、その盛美園を見に行くことにした。田舎館の道の駅は、以前の休日とは違って、今日はあの混雑が嘘のように空いていた。

盛美園は素晴らしかった。偶然気がつき訪れたのだが、久しぶりに日本庭園の真髄を見る様な気がして大満足だった。武学流という方式で明治時代に清藤家24代の当主盛美氏が小幡亭樹宗匠という名人を招き明治35年から9年間を費やして造られたというようなことがガイドに書かれていた。当時津軽地方ではこのような庭園が盛んに造られていたとか。庭園の外れに和洋折衷の建築様式の盛美館と呼ばれる美しい建物が残っていた。しばし明治の日本人になったつもりで園内を散策した。

 

盛美園の庭園美(青森県尾上町)

   

   池泉の縁の美 

  

   枯山水の美

   

   築山と東屋の美   

   

   洋館と池泉の美   

   

   緑と花の競演の美

さて、それからは道の駅のスタンプを拾いながら羽州街道を南下し、碇ヶ関から津軽街道を、梨坂峠を越え下って鹿角市に向う。途中梨坂峠辺りの山路の景観も素晴らしかった。小坂町を通り抜け鹿角市へ。昨日は温泉に入っていないので、今日は是非ともと考え、八幡平温泉郷の入口にある東トロコ温泉へ。

東トロコ温泉は、大浴場を一人借切り状態の入浴で、眼前の新緑に染まる山と渓流を見ながらの大満足の時間だった。

温泉に入ったあとは、先ほど来た道を戻り、今日の泊まりは、比内町にある道の駅とする。比内町は秋田の比内鶏の産地として有名である。道の駅に着いたのは18時少し前で、売店には在庫が少なくて邦子どのは念願のプリンを手に入れることができなかった。鶏肉などの製品ではなく、プリンが気に入っているというのが不思議だ。何故あのようなものを食べたがるのか拓にはよく分からない。この道の駅は、拓が先日能代に向って一人旅した時に寄った所である。早めに寝る。

コメント
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