第25日(最終日)<5月17日(火)>
道の駅:喜多の郷→(米沢街道・越後街道・茨城街道経由)→道の駅:東山道伊王野(栃木県那須町)→道の駅:下妻(茨城県下妻市) →自宅 <243km>
今日はひたすら帰りの道を辿るだけである。折角ここまで来ているのだから、ついでに西会津の道の駅などにも寄っていってはどうかな、などとも思ったが、きっぱりと取り止めた。
朝の周辺散歩はいつもの習慣だが、近くの山に入ってゆくと切り倒された雑木林の中に春(しゅん)ランの大株があった。開発のためなのか木を切り倒されたのでは、この春ランたちは生きては行けないのではと勝手に考え、家に連れてゆくことにした。罪の意識はない。木を切る奴が反省すべきだなどと思っている。
我が家の野草園の春ラン。喜多方の山から連れて来て4回目の春を迎えたが、益々元気でたくさんの花芽を膨らませてくれている。(3.25.2009撮影)
喜多方のラーメンも酒も(無理に)見向きもせずに南下し、越後街道(国道49号線)から茨城街道(国道294号線)に入る。何とこの道は我が棲家のある守谷市まで続いているのだ。今日はずーっとこの道を辿ってゆくことにする。地図では猪苗代湖が左手にあるのだが、全く見えない。山中の道を下り続けて行くと白河市に入る。この市街地は整備が遅れていて、いつも道が分からなくなって迷う。何度も来ているのだが今回も少し迷った。
この町はあまり好きではない。その最大の理由は町にあるのではなく、かつての江戸時代のこの藩の治世者であった白河候、松平定信という人物が好きでないからである。名君などという人もいるらしいが、将軍になり損ねた怨念を田沼意次に歪めて振り向けた人物であり、田沼贔屓の拓には性が合わないのである。この町の道がくねっているのも彼の根性の悪さがもたらしたものなのではないかなどと勘繰ってしまう。(しかし、地元の方にはとんでもない偏見と映るのは間違いなく、本当はこのようなことは黙っていた方が無難だということは承知してはいるのだけど、……)消えてしまった国道294号を探し当てて更に南下を続ける。
白河市を過ぎると茨城街道は旧陸羽街道と名が変わる。昔は東山道と言ったのかも。那須町にある東山道伊王野という道の駅で小休止。ここは栃木県なので東北道の駅スタンプラリーとは関係なし。黒羽町、小川町、烏山町、茂木町と南下を続ける。これらのエリアはその昔の戦国時代には常陸の守護大名佐竹氏が切り取りに苦労した場所である。群雄割拠の時代は、全国規模の争いだけではなく、小豪族の争いも熾烈(しれつ)を極めていたのだろう。のんびりと田畑の広がる景色を見ながらいろいろなことを思った。
やがて茨城県に入り下館(今は筑西市となった)から下妻に来て、ここの道の駅で最後の小休止。ここまで来れば家まではもう1時間もかからない。周りの田んぼに植えられた稲の青さが東北のそれと大分に違っているのに気づく。緑の色が数段濃い。
その後は一気呵成(かせい)(?)に我が家へ。到着は14時20分。これで旅は終りとなる。
<旅を終えて>
24日目の我が家に戻って驚いたことが幾つかある。我が家の庭の植物達も我々と同じように、この地で迎える初めて春である。出かけるときには未だ芽を出さない奴や、なかなか新しい葉に生え変わらない木があって、大丈夫なのかと心配したのだが、それらの様子が一変していて、殆どの木々や苗たちが生き生きと息づいているのに感動した。
その中でも特に驚いたのが3つある。その第一は桃色タンポポ。これは去年の晩秋に旅先の鳥取県大栄町で買ってきたものだが、冬を越して春になっても一向に花を咲かせる気配が無く、今まで見たことの無いタンポポだったので、どのような花を咲かせるのかが楽しみだった。しかし出かける前はとうとう花を見せず、うなだれた蕾が頼りなさそうに風に吹かれていたのである。それが帰ってみると、思わず「えっ!これはなんだ!」と指差して叫んだほどインパクトのあるたくさんの花を咲かせて待っていたのである。確かに桃色のタンポポの花なのだが、道端のタンポポのイメージからはほど遠くて、群がって伸びたかなりの背丈(50cmほど)の先に一斉に花を咲かせているのである。そうか、こんな奴だったのかと不思議な感動に打たれたのであった。
次に驚いたのは、これも同じ大栄町で買ってきたイチゴである。10鉢の苗を玄関先の生垣の前に植えたのだが、それらが大きく育って、たくさんの熟れた赤い実をつけていたのだ。冬の間中、なかなか大きくなってくれなくて、これでは実をつけることが出来ないのではと心配したのだが、今は逞しく幾つものランナー(蔓)を出して、結構大きな実をつけていた。早速口に入れるとやや酸味の強い甘さの味と香りが口の中いっぱいに拡がった。
もう一つ驚いたのがある。それはやはり去年の同じ旅の途中、九州の大分でやっと見つけて手に入れた「木立ダリヤ」という南国の花の苗木である。持ち帰った時は、既にかなり弱っていて、とても冬は越せないだろうと思いながらも、自分なりに懸命に藁などで包んでやって大切に扱ったのだが、春先にはすっかり枯れてしまって、その残骸を切り去っていたのである。ところがその同じ場所に紛れも無くあの木立ダリヤの茎と葉をしっかりつけた新しい生命が生え育っているではないか!大丈夫だったんだ、と改めて植物の生命(いのち)は、地上表面だけにあるのではないということを思い知らされた次第である。
この他にもクロガネモチやソヨゴなどの葉も生え変わって、つやつやと新緑に輝いていた。東北の春も素晴らしかったが、我が家の春もそれ以上にすばらしいということを思い知らされたのであった。
今年こそはゆっくりと旅くらしを楽しもうと思いながら、又しても走り回り過ぎを反省する結果となったが、少しずつ東北の良さが分かりかけてきたように思う。今回は北東北地区中心の旅だったが、下北や津軽、そして早池峰などの山奥を訪ねてみて、まだまだ知られていな美しい日本の姿があるなと思った。特に東北の山々は桜が美しい。大好きな山桜は東北では殆どが大山桜で、その美しさは吉野のそれにも引けを取らず、むしろそれ以上に楚々とした艶やかさがあるように思う。それは東北に住む人たちの心の美しさと繋がっているのかもしれない。今回幾つもの山桜に逢って、ついにはその苗木までも買い求めることが出来て大満足である。来年もまた是非、東北に純粋な日本の春を訪ねたいと思う。