山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

老人ホーム火災死亡事件に思う

2009-03-30 00:41:48 | 宵宵妄話

群馬県渋川市の「静養ホームたまゆら」の火災事故で10人の死者が出たことが、様々な形で問題となっています。この問題の背景には、自分自身を含めたこれからの高齢化社会をどう生きるか、老人をどう面倒を見るかという、個人と国家運営の基幹に関わる重要なテーマが幾つか潜んでいるように思います。このことについて少し触れて見たいと思います。

新聞記事やTVのニュースを見ていて、やたらに施設の建物や設備の方に話題が行っているのを、何だか問題の本質からズレたことを騒いでいるなと思わずにはいられません。建物や設備がきちんと必要条件を具備し、安全確保の運営が出来ておればこのような惨事には至らなかったという考え方は、それはもうあたりまえのことです。火災要因や死亡要因についての調べが進むにつれて、あれこれと欠陥の指摘が報道され、運営者の非が責められていますが、それは正しいとしても、真の問題解決のためには、何だか見当違いのような気がするのです。

10人もの死者を出したということは、運営者としてその責任や非を追及されても当然のことであり、責めを負わなければならないことに違いありません。安易に許されるはずなどあり得ないことです。しかし、何だかそれだけではないような気がするのです。もし運営者サイドに経済的な余裕があったとしたら、このような施設や設備は造らなかっただろうし、管理のあり方も違っていたのではないかと思うのです。TVに出て謝罪している責任者の老人の顔を見ていると、この人を責めても意味が無いような気がしました。

欠格だと分かっていながら敢えて粗末な建物を立て、老人を受け入れ、不十分な管理に甘んじているのは、心底からの悪心の為せることではないように感じました。不正のことは承知していても、やりたくても出来ないので、何とか出来る範囲のことを目一杯やろうとしていたに過ぎなかったように思えるのです。そして、その背景には、多少の不備はあったとしても、とにかく何とか入所を引き受けて貰って、面倒を見て欲しいという強いニーズの現実があるに違いありません。

私はこの事件の本質というか、背景には姨捨山伝説と同じものが横たわっていると感じています。姨捨山伝説すなわち棄老伝説には幾つかがありますが、もっとも有名なのは長野県千曲近郊(現筑北町)の姨捨山(=冠着山:かむりきやま)伝説ではないかと思います。これは深澤七郎の小説「楢山節考」を読むとイメージが膨らみます。70歳を迎えると、糊口を減らすために楢山という姨捨山に入定(にゅうじょう=死ぬこと)のために向わねばならぬという、真に悲しくもおぞましい、貧しい地域社会の掟のような慣習を、深澤七郎は小説の形で語ったのですが、これを読むと、人間社会の本質は必ずしもビューティフルなものではないという、厳しい現実を突きつけられた感がします。

余談ですが、先日旅の途中で安曇野から千曲に抜けるR403を通った時、聖高原から千曲高原へ出て、千曲川を見下ろす高台から川中島の辺りを見渡して、往時の信玄と謙信の戦のことなどを思ったのですが、その坂を下りた所に「姨捨」という名の駅があるのに気がつき、そうか、此処がかの姨捨伝説の近くなのかと思い当たり、その駅を訪ねたのでした。結局どこにあるのか訪ね当てることが出来ずに諦めたのでした。未だお前はちょっぴり姨捨のことを考えるのは早いという、天の啓示のような気もしたのでした。

後で地図を見ると、千曲高原の南東に少し行った所に姨捨山(=冠着山1,252m)というのがあるのを知ったのでした。この地方はその昔、恐らくやっとの思いで生きている農民たちの小さな集落が幾つかあったのかも知れません。今でも天に届くような棚田が山の斜面に張り付いて広がっています。往時は、ただただ貧しさ、貧困のどん底にあったが故に、口減らしのために働く力がなくなった者を除かざるを得なかったのだと思います。そうしないと、全員の命が途絶えてしまい兼ねなかったのでしょう。真に哀しい話であります。

この小説を書いた深澤七郎は、当時は良い意味でも悪い意味でも相当に注目され、話題となった人のようですが、私は今の時代では、この作品を通じて優れた問題提起をされた方ではないかと思っています。なぜかといえば、姨捨伝説は現存すると思うからです。早い話が、今回の事件がそれを語っているのではないでしょうか。

「静養ホームたまゆら」の入所者の殆んどは身寄りの無い、或いは身寄りはあっても生活保護を受けているようなご老人だったと聞いています。不幸にして焼け死んでも、心の底からそれを悲しみ、涙を流してくれる人がいたのでしょうか?もしかしたら、そのような恵まれた老人は一人もいなかったのではないでしょうか。ニュースや新聞では、そのようなことには一言も触れていないような気がします。触れてはいけない部分なのかも知れません。

私には、この「静養ホームたまゆら」というのは、現代の姨捨山に他ならないように思えるのです。生きがいもやり甲斐もなく、ただ世の中に害を与えぬように、じっとそのときを待つ場所として、そこが用意されていたのだという気がしてなりません。楢山節考では、おりん婆さんは自ら志願して、冬の山での入定を願ったのですが、今の世では、山ではなくこのような欠陥のある建物に収容されて、その日が来るのを待つということなのでしょう。

しかし、今の世の中をよくよく眺めてみれば、このような姨捨山に住める高齢者は実は真に恵まれているのであって、そこまで辿り着けずに孤独死し、ミイラ化している者だって居るのですから。糊口を凌(しの)げなかったという、貧困ゆえの姨捨ではなく、現代はそれとは異種の姨捨現象が起こりつつあるのではないかと思えてなりません。

一体、その責任は誰にあるのか、なかなか見当がつきませんが、一つはっきりいえることは、現代人の多くが抱えている心の貧しさが根底にあることは間違いないと思うのです。政治などが責任を負うべき社会システムの構築なども、高齢化社会に関しては極めて不明確のような気がします。

渋川の事件は、貧しい運営者の運営するホームに入った貧しい入所者の悲しい出来事だったと私は思います。そして、それはわが国の高齢者問題の現実の、厳しい断片を示しているように思います。この問題は、施設や設備の改善対策だけでは決して解決できない重い課題を内包していると思うのです。

これから先間もなく、わが国の人口構成は、65歳以上の高齢者が4人に1人という現実を迎えることになります。現在のような不況期が到来すれば、この4人に1人が生み出す様々な問題を支える仕組みや財源の確保など不可能となってくるのではないかと心配です。仮に3千万人の内の1%を姨捨対象的な存在とし捉えたとしても、その実数は30万人にもなるのです。恐らく問題を抱える人はそのような少ない数ではあり得ませんから、その対応のあり方をきちんとしておかないと、日本国は老人行政で押しつぶされてしまうことになり兼ねません。

先日認知症に関する講演を聴いた時に、現在その患者が170万人も居り、更に増えつつあると聞き驚きました。この170万人は家族等を含めて少なくともその3倍の関係者に甚大な影響を及ぼすことになると思われ、認知症だけでも間もなく1千万人近くがこの病で振り回されることになるわけです。家族の手に負えなくなった時、最後は姨捨を考えざるを得なくなるのではないでしょうか?諸条件によほど恵まれている人を除けば、多くの家ではとにかく安全などは二の次に、安い費用で面倒を見てくれる施設を探すに違いありません。

このような現実にどう対応するかは難しい問題ですが、基本的には二つの側面があって、その一つは個人の、高齢者としての自覚と取り組みであり、もう一つは社会システムを整備するという立場での政治・行政のあり方ではないかと思っています。この二つの側面の実現に当たって、とりあえず私自身が出来ることは、これから先を高齢者としてどう生きるのかという覚悟だと思っています。如何に安心の内にあの世に行くか。そのために何をどうしなければならないのか、ということです。

渋川のこの事件は、様々なことを自分に考えさせてくれました。対岸の、遠い所の火事ではなかったと思います。何時我が身が姨捨山に担がれるのか、明日はその時かもしれないのです。それにしても「静養ホームたまゆら」とは、よくも名付けたものだと思います。「たまゆら」とは、「束の間、瞬間」といった意味だと思いますが、束の間の静養が焼死に至るとは、……。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りせずにはおられません。  合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする