山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の思い出から:円満造翁の話

2008-03-30 00:36:36 | くるま旅くらしの話

 秋田県北部出身者の方なら、円満造翁のことを知らない人は少ないだろう。円満造(えまぞう)などという名は知らないとしても、ドンパン節は知っているに違いない。ドンパン節を知らない秋田県人は、インチキだと思う。尤も、最近の若者の中には、最初から故郷意識など無い者も現れているから、無理な話かも知れない。オリンピックでも国歌を歌うのを知らないスポーツバカのような奴も出てきている世の中なのだから、昔のジジくさい話などは、ジジババ世界の限定版なのかもしれない。

 今日は東北の旅で毎度お世話になっている、中仙町の道の駅のシンボルの円満造ジサマのことを取り上げてみたい。中仙町は、合併して大仙市となったが、これ又今は仙北市となった角館町の隣町に位置するエリアである。中仙の道の駅に寄ると、その入口に妙な塔のようなものが建っており、その天辺(てっぺん)に米俵に腰掛けた変なジサマの人形がある。この塔は、実はからくり時計で、変なジサマというのが円満造翁のモデル人形なのである。

  

  道の駅:中仙のシンボルのからくり時計。そのてっぺんに米俵に腰掛けた、円満造ジサマが中仙町を見下ろしている。

 円満造翁は、この地の出身でドンパン節の元唄の作者である。ドンパン節というのは、この円満造翁が即興で作った甚句を元にして、民謡編曲家の故黒沢三一という方が大衆向けに直して世に広められたものだという。ドンパン節は有名だが、実のところ、円満造甚句などというものは、ここを訪ねて、それと気がつくまでは全く知らなかった。

 円満造翁は、勿論実在の人物で、本名は高橋市蔵さん。慶応4年生まれで、昭和20年に77歳でこの世を去られている。宮大工であったが、彫刻も巧みで東北の左甚五郎と呼ばれていたとか。この方は唄作りの方にも才能があったらしく、即興で甚句などを唄い上げるのに巧みであったという。建築の現場で、作業をしながら即興の唄を唄い、棟上式の祝いの時などはそれを一同の前で披瀝し、その巧みな唄が次第に評判となって一帯に伝わっていったのだと思う。これを取り上げてドンパン節に替えて世に広めた黒沢三一という方も素晴らしい。

  

  円満造甚句の碑(ドンパン節の元唄)  

 さて、このジサマはどうやら変人でもあったらしい。身長150cmというから、当時でも小柄な人だったのであろう。何時も普通の人の2倍もある大きさの手製の杉下駄を履き、中折帽のフチを取って山高帽のようにした帽子をかぶり、藤の様に巻いた杖をついて歩いていた姿がずっと語り草となっていたとか。からくり時計の下にその写真とプロフィルが紹介されている。現代ではこのような恰好の人物は珍しくも無く、東京の繁華街へ行けば、チンドン屋さんも顔負けというような風体(ふうてい)の若者は掃いて捨てるほどいるから驚く話ではないが、円満造ジサマと若者の決定的な違いは、その中身であろう。空っぽと万金の知恵が詰まった重さとでは比べものにもならない。

 このような人物が好きである。好きになると会いたくなるのが自分の欠点でもある。先ずはその生家を訪ねた。というよりも町の中を歩いていたら偶然ぶつかったというのが本当のことなのだ。このような時は、何時も不思議に思うのだが、然()して熱心に調べたわけでもないのに、情報が自然と飛び込んでくるというのは、何か特別な縁のようなものがあるのではないか。もし円満造翁がご存命であれば、お会いして面白い話が聞けたような気がするし、一杯やらせて頂くことも出来たような感じがするのである。まだこの方の創られた建造物を訪ねていないので、これからの旅の楽しみにしている。

   

  円満造翁の生家の景観。現在もその子孫の方が住まわれている。

 ドンパン節というのは、即興の替え唄などが無数に追加されて歌われているようだ。面白い表現形式だと思う。現代と違って、当時は楽器など無く、車座になって手拍子をとりながら、即興で甚句の文句を歌いつなげてゆく形だった。50年位前までは、人が集まった時の唄というのは、そのような素朴な形式が主流だった。どんな唄でも手拍子は付きものだった。カラオケなどはずーっと後になって普及したものだ。このような車座の中で即興で唄の文句を作ってゆくというのは、相当ハイレベルな知恵が働かないと出来るものではない。円満造翁はいつもその車座の中心にいて、自在に即興の甚句を作って披瀝されていたのであろう。それが地域で評判となるというのは、凄い才能なのだと思う。

 ドンパン節の替え歌にはいろいろあるが、現在自分に一番縁のある替え歌は、「うちの親父はハゲ頭 隣の親父もハゲ頭 ハゲとハゲとが喧嘩して どちらも怪我(=毛が)無()でよがったな」だろうと思っている。本当に顔が下に行ってしまって、てっぺんが輝きだしている。時々ケンカしたがるのも似たところがある。イヤハヤ。それで、ついでに自分で一つ替え歌の文句を追加してみた。

 うちの母(がが)さはおしゃべりだ

 隣の母(がが)さもおしゃべりだ

 おしゃべり(=シャベル)過ぎるど危ねえど 

 掘った穴っこに落っこちる

さて、どんなものだろうか。30点くらいかな? 最近は手拍子を打ちながらの唄はめっきり少なくなった。

コメント
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