山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

スキャナーを使う

2008-03-04 00:20:19 | 宵宵妄話

私は少し長期間の旅が終わると、その記録を小冊子にまとめて残すことにしている。自分自身の書く訓練のための一つの作業と心得ており、本当は印刷などしなくてもそのままパソコンの中に残しておけば良いのだが、やはり最後は手にとって見られるものを作りたいと、印刷費用がかさむのも省みず、多いときには100ページくらいの冊子を20冊ほど作成している。

これを始めたのは、5年ほど前からだったが、最初は冊子ではなく、記録メモのレベルだった。旅の途中で立ち寄った拠点を中心に、家内とのやり取りを中心とした旅日記メモを綴っただけのものだった。何度か書いているうちに、つまらなくなり、やっぱり冊子風にまとめる必要があると感じたのだった。ただ、記録であるから、日記風に時系列を追っての記述の線は崩さないことにした。そして、せっかくなので、家内の撮った写真を巻末に付加することにしたのである。

自分だけが冊子を保有しているだけでは、単なる自己満足で終わってしまうと考え、知人や旅で知り合った方にその記録を送ったり、配ったりさせて頂くことにした。他人の評価を聞くことは自分の励みや力となるからである。単なる旅の記録なので、あまり厳しいコメントを頂戴したことはなく、その分の甘さが自分を横着にしているのではないかと思っている。あまり進歩がない。

この他人から頂くコメントの中で、最大の要請は地図を入れて欲しいということだった。このことは自分でも気づいていたのだが、いつもの通り、パソコンでそれを行うということに抵抗というか、何故か気が乗らないのである。自分は文章を書く修練のために記録を作っているのであり、読んで貰うためにあれこれ余計なことをする必要はないという考えがどこかにあって、地図を見たければどうぞ自由にご自分で用意して見て下さい、という黙念の主張を通してきたのだった。パソコンにかぶれて、これでもか、これでもかとやっていると、文章などとは遠くかけ離れた賑やかな雑誌のような旅の記録となってしまいそうで、それが自分としては気に入らないのである。

少し横道にズレるけど、最近の読者というのは、押し並べて横着だ。文字を読んでイメージを膨らませるのが面倒くさいのか、画像(写真・動画)を欲しがり、イラストなどをやたらに欲しがっている。旅の案内誌はそれでいいのだろうが、人に思いを伝えるのであれば、必要最小限の画像で充分であり、それ以上のものは却って邪魔になると考えるべきではないか、というのが私の本読み、物書きの基本スタンスなのである。そしてそれを実現させるためには、肝心の文章が画像を必要としないほど、イメージを描きたてるものでなければならない。(我ながら意固地な持論だとは思っている。そのような文章には、はるかに遠いところに居るくせに)

ものを読む楽しみは、その文章から自分なりのイメージを自在に膨らませるところにある、と自分は思っている。写真やイラストや動画は、そのホンの一部を手助けしてくれるだけで良いのであり、それ以上しゃしゃり出て貰わなくても結構なのである。漫画が読み物として書物よりも興味がそがれるのは、漫画作家が必要以上にイメージを作ってしまうからである。しかし漫画という絵に描かないと作者の意図は伝わらないのだから、これは仕方がない。私は、漫画作家の才能は凄いものだと尊敬しているが、それを読んで、読み捨てている読者というのは殆ど評価できない。アホなイメージを書いている作品を「あは、あは、」と読み笑っている奴は、殆ど何の創造力もない人物のような気がする。(これはチョット言い過ぎかもしれない)漫画の読者というのは最初から真剣勝負でその作品を読もうなどと考えてはいないので、つまらない作品ほどその読者をつまらない人間になり下げるような気がしている。今の日本は漫画天国であり、アホな漫画に汚染された、自らの創造(=想像)力を持たない人が相当に溢れている感じがする。

漫画のことを書いたが、その昔少年マガジン(今はどうなっているのかな?)が創刊された頃には、1年以上毎週それを買ってきて漫画の研究(書くのではなく、読む研究)をしたことがある。そのときの結論は、漫画というのは、漫画作家のものであり、漫画読者のものではないなということだった。少年マガジン辺りから漫画はコマを破って暴発的な表現となり、自在性の表現を獲得したが、それは一見読者のためのように見えたけど、その本質は作者だけのもののように思ったのである。漫画らしい漫画が何なのかはよく解らないが、今自分の書棚に残っているたった一冊の漫画の本は、秋竜山の「無人島の快楽」(1995年清流出版)だけである。ある種の哲学書であるけど、笑いは哲学ではない。

さてさて、タイトルとはえらく違った脱線内容となってしまい申し訳もない。今日言いたかったのは、極々単純なことで、わが身の頑固さの一部を解(ほど)いて、地図の取り入れを行うことにしたということだけなのだ。スキャナーを使っての地図の取り込みは、何人もの人からの要請であり、いろいろ出来ない理屈をつけて逃げてきたのだが、最近交友の深まりつつあるA氏から、会う度に地図の話を持ち出され、やっぱりこれは何とかしなければならないのかなあと、ついに取り組む破目になった次第。スキャナー付きのプリンターなのに今までそのような機能を一切無視していたのだが、これからはそれなりに活躍して貰うことになりそうだという話である。参考までに、昨年の北海道の地図と旅の足跡を記したものを付します。

   

  少し見にくいですが、赤の太線が主な行程経路です。昨年は、道央、道東中心の旅でした。

コメント
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