山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

喜連川の露天風呂

2008-03-14 00:07:49 | くるま旅くらしの話

 昨日(3/12)は喜連川の露天風呂に入った。いつもだとその後は地元の道の駅に行って泊まることにしているのだが、温泉に入ったのにくしゃみが出て、何だか寒気のようなものも感じていたので、明日は早く帰った方がいいと考え、少し離れた芳賀の道の駅に行って泊まったのだった。芳賀の道の駅にもロマンの湯という温泉があるが、このあたりに来た時は何と言っても一番は喜連川の露天風呂と決めている。それに昨日は芳賀の道の駅は定休日だったので、風呂も休みだったから、正解だった。

 実は、木の移植に出発の前夜、階段を下りる時にうっかり足を踏み外し、尻餅をついた際に背骨から腰の辺りをしたたか打ってしまい、少々痛みを我慢しての移植行だったのである。それで打ち身に喜連川の湯が効くのではないかと行ったのだが、花粉の方が悪さをしてくれて、打ち身の方は忘れてしまっていた。打ち身の痛さは忘れないのだが、温泉との係わりなどについては、とても花粉症には敵わなかったのである。

 ところが、昨夜は予想以上によく眠れて、朝起きてみると打ち身の具合も大変よろしい。やっぱり温泉が効いたのだと思った。以前にも左手親指のばね指が、ここの温泉で治ったという経験があり、この温泉の効能については、自分としては信頼に値すると思っていた。昨夜は花粉症にたぶらかされたけど、朝になってみれば、その呪術も解けて、正気に戻った感があり、それならばせっかくだからもう一度喜連川に戻って露天風呂に入ってから帰宅することにしようと、Uターンすることにした。

      

   露天風呂の建物の外観           露天風呂の説明板

 喜連川の露天風呂は営業開始時刻が8時からである。7時に起床して出発は7時20分。到着は55分頃だった。芳賀の道の駅からは30分ほどである。もう既に温泉の愛好家が車から降りて入口を潜っていた。ここの風呂は町営(今はさくら市営)で、喜連川にある3つの公営の風呂の一つである。3つの温泉とも料金は同じで、共通の割引入浴券なども発行されており、我々は以前からそのお世話になっている。道の駅にも温泉があるけど、公営のこの露天風呂は、300円で全くの温泉気分を味わえるので、浴場以外の余計 () な施設のある所よりも一段と気に入っている。

    

     露天風呂の入り口。最近「さくら市第2温泉浴場」という看板が掛けられた

 以前「喜連川の猿山」というのを書いたことがあるが、ここの温泉の浴槽は、たくさんの自然石を組み合わせて造られており、それが恰(あたか)も猿山のような雰囲気を醸(かも)し出している。石組みがあるのは何処の露天風呂でも同じだと思うが、ここの露天風呂では何時も何人かがその岩の上に寝そべったりしているので、俄然(がぜん)猿山の雰囲気を強めている感がするのである。

    

  露天風呂の浴槽の景観。露天風呂らしい風情あり。雨降りもまた良し。

 平日に朝の8時から風呂に入りに来るのは、自分を含めた高齢者ばかりである。別の言い方をすれば老人ばかり、年寄りばかりであり、何時来ても(年末年始を除けば)若者は皆無である。老人であるかどうかが外見では判らない人でも、裸になって風呂に入れば直ちに凡その年齢が判ってしまう。明らかに筋肉の保有度が違うからである。頭に毛がある、なしの話ではない。太っている、痩せているの話でもない。筋肉があるかないかは、裸になれば見た目に明らかだ。自分は同世代ではまだ筋肉が残っている方だと思うけど、最近の劣化は明らかな様だ。現に一昨夜には階段を踏み外したりしているのだから。たった一段外しただけで、背骨や腰を打つなどというのは、単なるドジだけではなく、筋肉の劣化に起因すること大なのではないかと思っている。

 露天風呂の中は、老人の闊達(かったつ)な世間話に溢れている。以前天然のお笑い話だと書いたが、今回もそのお笑い話を何題も聞かせて頂いた。老人の話というのは、断定的なものが多い。早い話、決め付けが多いのだ。新聞やTVのニュースなどの話題でも、そのコメントは断定的で、話題の当事者などの言い分が入り込む余地など全くない。だから面白い。浮世風呂の中での話は、湯気のようなもので、老人の一時の不満や鬱屈(うっくつ)を吐き出すストレス解消剤のようなものであろう。聞いている傍から話を忘れてゆくし、筋書きなど元々ないのだから、話題は千変万化するのである。

 昨日は中国の家庭料理の話から、餃子の旨いまずい、どこぞのラーメン屋の話に転化し、しばらくラーメン談義が交わされた後、何故かブタマン(中華饅頭)の話になり、その機械による製法の話から、しばらく経ったら、今度は石油の価格が高くなり過ぎて、この世は終わりだと嘆き、引き続いて小規模水力発電の話題に転じていた。

今日は朝風呂なので、さすがに5~6人と人数が少なく、自分は少し離れた所で足を伸ばしていたので、よく聞き取れなかったが、何やら脱税関係の話のようだった。億を超える単位の銭の取扱いについての自論が展開されているようで、豪気なものだなと思った。自分の話でもないことを、成り代って自分の話として展開するところが実に面白い。何しろ栃木弁で何の屈託もなく話をされるので、時々比較的近くで育っている自分にさえもわからないことばが混ざって、何だっけかなあ、などと思いを巡らしている間に話題は先に進んでしまっているのである。

今朝は、40分ほどで湯から上がり、冷水を飲んで温泉に別れを告げたのだった。喜連川温泉露天風呂は、恐らくこれから先も一番多く通う場所となるに違いない。もうしばらくは隅の方で黙って天然のお笑い話を静かに拝聴したいと思っている。筋肉がすっかり落ち果ててしまった頃には、仲間に入れてもらって、一緒に自論を展開させて頂こうかな、などと密かに思っている。

コメント
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