山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

白花タンポポの話

2008-03-15 02:33:43 | くるま旅くらしの話

 昨日(3/13)喜連川から戻って、荷物の運び出しを終え、ゴミの処理をしようと裏庭に向かったら、生垣の角に白花タンポポが一輪咲いているのに気づいた。まだ何の草も生えていない殺風景な庭の隅に、純白の一輪は際立って美しかった。ありがとうという感じである。

    

     たった一輪咲いた白花タンポポ。楚々たる美しさがある。

 タンポポといえば、この辺では関東タンポポの黄色が普通だが、最近はその関東タンポポもすっかり少なくなってしまい、西洋タンポポが所構わずにのさばって咲いている。野草もまた、この地に住む人間の頭の中と同じように、この地本来の姿を忘れて、グローバル化などという一見ビューティフルなことばにたぶらかされるようにして、夫々の生き方を狭くしたり広くしたりしているのであろうか。日本古来のタンポポの姿が、一見そっくりの西洋タンポポに圧倒され淘汰されてゆくのを、毎年少し寂しい思いで眺めている。

 ところで、白花タンポポというのは、どういうものなのであろうか。花の裏のガクの部分を見る限りでは、西洋タンポポの仲間ではなく、日本タンポポの一種であるようだ。関東のこのあたりでは白花タンポポはあまり見かけることがなく、つくばの散歩道の傍らに何本かが咲いているのを見つけただけである。今、庭の隅に植えてあるのは、何年か前関西方面への旅に出かけた時、道端に咲いているのを一株持ち帰ったものである。

 タンポポというのは、逃げ出したがる草であり、庭の隅の方に植えていても、いつの間にか消えてなくなっていることが多い。多年草というから、根で育つのかなと思っていたら、必ずしもそうではなくて、花が咲き終わった後その実が風に乗って自在に動き回り、新しい命をあちこちに植えつけているようである。植物の生き残り戦略というのは、ある意味で動物よりも逞(たくま)しいような気がする。

 白花タンポポは、関東よりも関西エリアの方が多いようだ。その地に住む人から見れば、何の変哲もない只の野草に過ぎないのだと思うが、黄色の花のタンポポばかりを見ている自分などからは、何だか貴重なもののような気がするのである。たかがタンポポだけど、もしこれが絶滅しかかっている野草の品種だとしたら、人間はいつものように天の警告を無視して、その時になって慌てて対策などを論議するに違いない。

今を生きているものには、未来というのはなかなか見えないものだ。その中でも人間は、なまじ知恵がありすぎるために、利便性を追求するあまり、近い未来にさえ抜き差しならぬ危険性を生み出してしまっている。白花タンポポにはそのとばっちりを受けるようなことが決してないことを願っている。

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