山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

花粉症に想う

2008-03-03 00:16:54 | 宵宵妄話

 花粉症本番の季節になった。春一番が吹いて、杉も檜ももみくちゃにされて、じっとして居たくてももうどうにもならないほど、彼らの花の粉は、日本中だけではなく太平洋の彼方まで吹っ飛んで、大気を染めているに違いないと思う。大風が吹いた後からは、歩きに出ても頭が重くなり、相当に杉君たちに汚染されているのが体感できるのである。

 私の67年の人生で、持病というものが三つある。その一は扁桃腺炎であり、子供の頃から28歳頃まで毎年2回ほどこいつにしてやられて、学校や会社を休む破目となった。何しろ41度くらいの高熱が出てしまうので、ふらふらして歩くのが困難になってしまうのである。一度罹病すると完治に1週間はかかってしまうので、学校でも会社でも、私の持病は関係者の間ではいつの間にか周知のこととなってしまっていた。それが、結婚して子供が生まれた頃からどこかへ立ち去ってくれたのがありがたい。だから、今はもうこれは持病ではない。

 二番目が花粉症なのである。ついでに言えば、三番目が糖尿病であり、今でも無言でしっかりと居座ってくれている。今日は花粉症のことに触れたいので、この話はしない。

 さて、花粉症のことだが、忘れもしない昭和53年(1978)の春、高松市在住の通勤の途中、突然くしゃみが訪れ、猛烈なハクションを爆発させたのだった。普通にない異常なくしゃみだった様に記憶している。それまでは、くしゃみをしても鼻水など出たことはなかったのだが、その時は違っていた。何だか知らないけど鼻水が止まらなくなってしまったのである。職場に着いてもどうにもならないので、とにかく医院へ行くことにしたのだった。耳鼻咽喉科の医院に行って診て頂いたのだが、そのときの先生の診断結果は、これは花粉症であるというものだった。初めて聞く病名だった。健康診断以外は殆ど医者などに診て貰ったことがなく、病の知識は殆どなかった。花の花粉が引き起こす一種の鼻ノイローゼだなどと聞かされて、変な奴に取り付かれたものだと思った。医院の掲示板に「花粉症友の会会員募集」などという紙が貼ってあり、その時初めて最近はこのような症状で困っている人が増えているのを知ったのだった。

 それからもう30年が経っている。この間、この病ほど付き合いにくく、悩まされたものはない。最初の頃は1年の4ヶ月くらいはくしゃみと鼻水にとりつかれて集中心をなくし、仕事にもかなりの悪影響が出た。これではいけないと、体質改善の注射を打って治ったという話を聞き、半年ほど病院に通ったのは、福岡に転勤になってからだった。毎月1回の注射を1年ほど続けるということで、通っていたのだが、夏になってバスに乗ってその病院へ行く途中、冷房が効き過ぎたのが引き金となったのか、またもやハクションが暴発してしまい、鼻水が止まらなくなってしまったのである。春もとっくに過ぎている真夏の季節なのに、何だこれは!と腹が立った。医者の言うことも当てにならないと、もうその時から注射による体質改善は止めることにしたのだった。

 その後はとにかく春先からそのシーズンが終わるまでは、ひたすらに我慢するしかなかった。外出時はマスクをかけ、鼻水が出てきたらティッシュペーパーを詰め込んで押さえるようにし、家に戻れば顔を洗いうがいをし、アルコールで胃の中を洗浄し、身体の内外の花粉を払いのける工夫をするしかなかった。そのような対応が10年くらいは続いたと思う。春の花の季節は、自分にとっては鼻の季節でもあったのである。憂鬱(ゆううつ)な季節でもあった。

 東京に戻って、周囲に同じような症状で悩む人がかなり居ることに気づいた。話を聞くと薬を飲んでいるとかなり鼻水の症状を押さえることが出来るという。それまでは医者に対する不信感から、薬など飲まなかったのであるが、知人に貰って飲んだ1錠は実によく効いたのである。それで再び医者に行く気になり、薬を貰って飲むと、頭が重いという症状は治らなかったけど、くしゃみと鼻水は殆ど止まるようになったのである。しばらくの間に、この症状に対する医療関係の対応は目覚しい進歩を遂げていたのだった。おかげさまで、それ以降は、薬を飲めば大して苦しまなくて済むようになっている。そして最近では、薬が体質を変えてきているのか、それほど薬を飲まなくても春を過ごせるようになってきている。

  

  悪さをする杉の木は20~100年くらいのもが多いようだ。元気なときこそ、たくさんの実をつけるからであろう。これはその代表格。

 私は杉の木を恨んではいない。今日も歩きの途中に杉林の下を通ったが、空気が澄んで気持ちが良いだけで、何の変哲も感じない。杉の木を皆切ってしまえ!などと騒ぐ人が居るが、その気持ちは解らないでもない。しかし、花粉症の引き金が杉であったとしてもその遠因は人間自らの生活の仕方の変容にあるのではないか。何故なら明治・大正・昭和の半ばまでは、現在の層倍の杉が山に溢れていたにも拘らず、杉の花粉症などという妙な病の記録など見たことも聞いたこともないのである。人間の手前勝手な理屈で、世の中の杉の木を全部取り除いたとしても、次には別種の花粉症が出現するのは明らかなことである。檜も、ブタクサもと次々に問題花粉を振り撒く樹木や草を除去すれば花粉症は消えてなくなるなどという発想は、人間の思い上がりに過ぎない。

 このような病をつくり出しているのは、人間以外には考えられない。花粉症に悩む犬や猿も、皆人間が罹病させているのである。そのことは判ってはいるのだが、では一体その元凶は誰なのだということになると、これがさっぱり判らない。人間は、一人ひとりの分別(ふんべつ)は、まだまだ捨てたものではないと思うけど、トータルとなると、今の世の中が目指しているのは、明らかに歪んだ、自然に反する豊かさの様な気がしてならない。トータルとしての人間は真に愚かな存在のようである。

 杉の実の写真を撮った。子供の頃、篠(しの)を採ってきて、小さな杉鉄砲を作ってで遊んだことを思い出す。鉄砲の弾(たま)は杉の実だった。良い香りがして、遊びながらもその香りを楽しんだものだった。今の時代は、そのような遊びを子供に教えたりしたら、花粉症にかかっている若い夫婦は、「とんでもない!何をしてくれるのだ!」と怒り狂ってすっ飛んで来るに違いない。そのようなこと想い浮かべると、未来を心配することも、何だか虚(むな)しくなるのである。

    

    一つ一つの杉の実には、悪意など全く感じられない。冬を乗り越えた喜びが輝いている。

コメント
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