村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

冬の雨

2014-12-16 23:02:36 | 茶道具、古美術、骨董
冬の雨火箸をもして遊びけり 一茶


冷たい冬の雨が降っている
きのうのままの茶室は寒い
茶事のあとお弟子様三名が片付けられるものすべて
箱に仕舞ってくれた
あとは干さないと箱に入れられないものばかり残っている
人気のない部屋はヒヤッと冷たい
道具も冷たい




写真は蓋置
木屋町棚をつかったが
中々それに合う蓋置がなく
この二つはなんとか合った
薄茶と濃茶と変えてみた
古銅なので
一日干せばしまえるだろう

網目と鶴丸との二個入り
トロトロの古い箱に書いてある
花押もあるが不明だ




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村雨庵歳暮の茶事 二日目

2014-12-15 23:28:27 | 村雨庵 茶事茶会
今日も茶事
午年生まれのA先生をお招きして
正午茶事
先生は私の師匠の宗栄先生と同じおとし
いつも、なくなられた宗栄先生をA先生に重ねて思っている
私が若いころ一度お越し頂いた事はあるが
その後お誘いするのも憚られていた 
まえまえから午年に因んで
是非ともお出まし頂きたくと
強く願っていたものの
私の体調のせいで遅れた
でも漸く
年末にお出ましいただいた

茶事を終えると
大変疲れてはいるものの
充実感とただただ安堵感に満たされた
だから茶は やめられない


お客様は四名
ご正客は午年のA先生
お詰には来年年女 羊年のストライプ様
中のお二人は戌年生まれ
歳暮ならでは
干支の話も盛り上がる

寄付きは柴田義董筆 宝舟
本席床は歌色紙
書かれている歌は
和漢朗詠集の 歳暮より
行く年の惜しくもあるかなます鏡みるべき影さへ暮れぬと思えば
紀貫之の歌
近衛信尋筆

近衞 信尋(このえ のぶひろ、慶長4年5月2日(1599年6月24日) - 慶安2年10月11日(1649年11月15日))は、
江戸時代前期の公家・藤氏長者。
官位は従一位関白。
幼称は二宮。
法号は応山。



慶長4年(1599年)5月2日、後陽成天皇の第四皇子。
八條宮智仁親王の甥。
母は近衛前久の娘・前子。
母方の伯父・近衛信尹の養子となる。

和歌に極めて優れ、
叔父であり桂離宮を造営した八條宮智仁親王と非常に親しく、
桂離宮における交流は有名である。

正保2年(1645年)3月11日、出家し応山(おうざん)と号する。
慶安2年(1649年)10月11日薨去、享年51。
近衛家の菩提寺・京都大徳寺に葬られた。

近衛前久や信尹の文化人としての資質を受け継ぎ、
諸芸道に精通した。
書道は養父信尹の三藐院流を継承し、卓越した能書家だった。
茶道は古田重然に学び、
連歌も巧みだった。
実兄にあたる後水尾天皇を中心とする
宮廷文化・文芸活動を智仁親王、良恕法親王、一条昭良らとともに中心的人物として担った。また、松花堂昭乗などの文人と宮廷の橋渡しも行っていた。
≪ウィキペディアより≫




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今日は茶事 ・・・その宝船

2014-12-14 22:21:04 | 村雨庵 茶事茶会
「年の瀬や 水の流れと 人の身は」
 「あしたまたるる その宝船」

今日は茶事
また赤穂浪士の討入の日でもある
今回は取合せに入れるつもりはないが
たまたま
待合の軸が宝船になった

筆者は柴田義董

柴田 義董
(しばた ぎとう、安永9年(1780年) - 文政2年4月2日(1819年4月25日)は
江戸時代後期の四条派の絵師。
義董は名で、字は威仲、号は琴緒、琴海、琴江など。
通称喜太郎、戯れに喜多楼。

幼少から呉春に画法を学び、
富小路四条北に居を構えている。
若くして四条派の画法を究め、
人物・花鳥・走獣など幅広い画域を誇ったが、特に人物画を得意とした。
洛中でも「花鳥は景文、山水は豊彦、人物は義董」と評された。
同じ岡山出身の岡本豊彦が、
呉春の作品全てを模して自作の参考にしたと伝えられるのに対し、
義董は記憶力が抜群で粉本を用いず、
古画の写しなども少しも蓄えなかったと記されており(『古画備考』田中千春話)、
早熟の天才型だったと思われる。
≪ウィキペディアより≫


財宝がたくさん積んである
皆様のご縁こそが宝だという心持で私は掛けた

干菓子は
味噌せんべいと
モミの木

味噌煎餅を月に見立て星を散らした
雪が降りそうな・・・






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甲午歳暮の茶事 明日明後日

2014-12-13 23:14:01 | 村雨庵 茶事茶会
冬の空針もて彫りし絵のやうに星きらめきて風の声する 与謝野晶子


明日は茶事
天気は良さそうだ

五徳を変える予定が
間に合わなかった
古い五徳は不安なので
鬼爪に取り替えよう
釜は
野馬釜と箱に書いてある時代の釜で
何度かつかうと漏りはじめた
修理して底を新しく替えると
すっかり綺麗になった
直して初めて使う
稽古で釜を掛けるといい具合に釜鳴がする 
年初より馬地紋の釜で午年に御招きするつもりが
色々あり
とうとう12月
2日続けて茶事をする
明日の亭主はアイテラ氏
明後日は茶事
亭主はわたしめ

師も走るとう(とう=と言う)12月に
茶事をするとは
誘われたお客様もいい迷惑かも知れない
催す方は
ただただ 楽しい
それだけでなく
たくさんの苦労も
おまけで付いてくる
だから こそ

とにも かくにも
茶は修行




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こまち

2014-12-12 23:40:38 | 三十六歌仙
今日は 月に一度の茶の稽古
年末ゆえに難しい点前ではなく
七事式の
炭付花月と茶カブキをした
でも
それはそれなりに
難しいのだが
札を引いたり
茶を飲み当てるのも
見ているだけでも楽しい
簡単そうでも当てるのは
中々至難のわざ
今日は一人も ゛当たらず


写真は
小野小町

小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、
平安時代前期9世紀頃の女流歌人。
六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
小野小町の詳しい系譜は不明である。
彼女は絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、
後世に能や浄瑠璃などの題材としても使われている。
だが、当時の小野小町像とされる絵や彫像は現存せず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占め、素顔が描かれていない事が多い。故に、美女であったか否かについても、真偽の程は分かっていない。

出自
系図集『尊卑分脈』によれば
小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。
また、数々の資料や諸説から
生没年は天長2年(825年) - 昌泰3年(900年)の頃と考えられている。
しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、
他の史料には全く見当たらない。
そればかりか、小野篁の生没年(延暦21年(802年) - 仁寿2年(853年))を考えると篁の孫とするには年代が合わない。

血縁者として『古今和歌集』には
「小町姉(こまちがあね)」、
『後撰和歌集』には「小町孫(こまちがまご)」、
他の写本には「小町がいとこ」
「小町姪(こまちがめい)」
という人物がみえるが存在が疑わしい。
さらには、仁明天皇の更衣(小野吉子、あるいはその妹)で、
また文徳天皇や清和天皇の頃も仕えていた
という説も存在するが、確証は無い。
このため、架空説も伝えられている。

また、「小町」は本名ではなく、
「町」という字があてられているので、
後宮に仕える女性だったのではと考えられる
(ほぼ同年代の人物に「三条町(紀静子)」「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」が存在する)。

前述の小町姉が実在するという前提で、
姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、
妹である小町は「年若い方の”町”」という意味で
「小野小町」と名付けられたという説もある。
≪ウィキペディアより≫


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水仙が咲いている

2014-12-12 00:32:25 | 村雨庵 稽古 

徹夜ほのぼの明けそめし心水仙に 山頭火

木戸を開ける時、気が付いた
水仙が咲いている

水仙は
・漢名の「水仙」を音読みして
 「すいせん」になった。
 漢名は
仙人は、
天にあるを天仙、
地にあるを地仙、
水にあるを水仙」
 という中国の古典から。
 きれいな花の姿と芳香が
 まるで「仙人」の ようなところから命名された。≪季節の花300より≫



昨日は
炭に当たって辛かった
体を動かしたくないし
お茶も飲みたくない
指先が凍るほど冷たく
体は寒かった
夜中に雨も降った
そのせいもあり
体が重く膝も痛かった

それに引き換え 
今日は元気だ
驚くほど体が軽い


木曜稽古
昼間は予約した病院へ行く
結果は良好
当分元気で生きていけそうだ
この間にやりたいことをしておこう
何がしたいかと
考えるまでも無い
私には
お茶だ お茶

元気なうちは出来るだけお茶をする
つまり茶事または茶会を催す
次は知人の茶事、素敵な茶会があると聞けば
雨が降っても雪が降っても行く
そのうち元気でなくなって
催すことも行くことも出来なくなったら

その時 
考えようっと





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閑坐 カンザ

2014-12-10 23:11:07 | 村雨庵 稽古 
寒い
寒いが
窓を開けておかないと
頭が痛い
この寒波の中
外の風が入ってくるが
窓を閉めるわけにはいかない
わたしめ 今日は
炭に当たってしまったようだ

今日は 村雨庵の水曜稽古
あまりにも寒いので
早くから釜を掛けて部屋を暖めていた
でも
寒かったので戸は少しの間
閉めたままにした
そのせいか午後から頭が痛くなった
後ろの窓を開けて空気を入れ替えたりしたが
閉めてしまうと
すぐ
頭がズキズキする
窓を開けている限りは
大丈夫
寒さは我慢できるが
炭の中毒は
一大事
命の危険がある
けして
甘く見てはならない



今日の掛物は

閑座聴松風かんざしてしょうふうをきく

一切の雑念を捨て、静かに 座ってただ松風の音を聴く。
心が急いでいれば気付かぬことが多い。

静かに座って耳を 済ませば澄み渡った音が聞こえてくる。
静かに座って、松の間を吹く風の音(釜の湯の沸く音)を聴く





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修行の皿

2014-12-09 23:19:02 | 紫廼茶話会
紫兎先生の稽古のあと
苺を頂く銘々皿に
魯の文字が見えた
魯山人の何かかと ちらと思ったが
他の方には
それぞれ違う文字が一文字ずつ
書かれて
裏には
合津八一記念館とある


それは
「修行の皿」

その説明に

愚=おろか
鈍=にぶい
迂=うとい
拙=つたない
頑=かたくな
魯=間抜け
遅=ぐず
納=よどむ

自分は正しい、優れている、努力している
などと思い、他人を侮るのが人間の性(さが)。
自らが
愚、鈍、迂、拙、頑、魯、遅、納であることを知り
仏の力で生かされ
支えられていることを 心底から自覚し、
これらを戒めとするのが仏道修行者の悟りの境地といいます。


なるほど 

そう聞くと
どうしたのか
耳が痛いぞ

あれれ
中耳炎かな



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冬の日

2014-12-08 23:23:31 | お勉強
冬の日や前に塞フサがる己が影 鬼城


鬼城とは村上鬼城ムラカミキジョウ
俳人。東京生。名は荘太郎。
鳥取藩士小原平之進の子、母方の村上家の養子。
初め司法官を志したが、耳疾のため代書人となる。
のち正岡子規・高浜虚子に師事、
渡辺水巴・飯田蛇笏・前田普羅らと並んで
「ホトトギス」における代表的俳人として活躍した。
昭和13年(1938)歿、74才。
≪コトバンク美術人名辞典より≫


月に一度の○○研究会も
今年の最後の月

いつものように先生のお話を伺うのだが
この一年の勉強の成果は・・・
少しは知識が増えたのだろうか
覚えても すぐに忘れる
この年での勉強は
殆どザルに近い

先生はそれでも 
続けていれば幽かにでも
水はすくえるのだと
おっしゃる
勉強をやめると ゼロだが
勉強を続けてさえ いれば 幽かでも貯まっていく

お料理もこの何カ月はお休みしている
F先生にご挨拶をお送りしたところ
お手紙を頂いた
あまり休むと錆びますよと

そうだ
体も頭も錆びる
心も錆びる

そう先生方が 
おっしゃることは
正解なのだ

勉強は継続してこそ身に付く
来年から
料理も再開するぞ
茶会も茶事も
ガンバロウ っと



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羊が遊ぶ 花月会

2014-12-08 00:18:11 | 羊遊会
今日は羊が遊ぶ会の
七事式

参加者が少なく
会主催の羊年の二人と私だけだった
それでは足りないので
想望庵さまとアイさんをお誘いして
何とか五名になった

アイさんは具合が悪く
このところ稽古に来なかったが
久しぶりに見るお顔は元気そう
足が痛いというものの
役札が当たると
勇んで点前をする
御年八十歳 
こうありたいと思う


掛物は芳賀幸四郎先生の「無事」がかかる中
炭付花月と濃茶付花月と壺荘付花月




菓子はこなし製の「山路」と
金団の「ツリー」





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今日は 満月

2014-12-07 00:22:25 | 紫廼茶話会
夜あらしのつらさの果ては雪となり
起きてほだ焚タく冬の山里 蓮月

ほだ とは
炉やかまどでたくたきぎ。
小枝や木切れなど。
≪goo辞書≫



床には上記の蓮月の歌
花はいちこ侘助
花入は備前 山本雄一造

今日は七事式
炭付花月
茶カブキ之式
壺付花月


茶の稽古の帰り
陸橋の上から月を見た
時間は夕方五時少しすぎたばかり
東の空にオレンジ色の月が
街燈のように浮かんでいる
それを見て松風さんは
月を見るといつも思うの
象嵌したシェル 貝のようだわ という

今日は 満月

月が大きい



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なりひら

2014-12-05 23:17:41 | 三十六歌仙
久しぶりに茶事の案内を書いた
確かにあったはず
ごそごそと巻紙を探した
嵩山堂の封筒と切手を用意し
硯を開ける
筆が固まってしまっている
あとはただ
墨を磨る

いざ書き始めると
文章がどんどん変わっていく
でも仕方ない
思うがままを巻紙に書きすすめ
四名様にお手紙を書いた
今日の仕事はこれのみ
明日投函しよう


写真はなりひら
色紙の歌は
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし — 『古今和歌集』撰歌。



在原 業平(ありわら の なりひら、825年(天長2年) - 880年7月9日(元慶4年5月28日))は、
平安時代初期の貴族・歌人。
平城天皇の孫。
贈一品・阿保親王の五男。
官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。
六歌仙・三十六歌仙の一人。
別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。
全百二十五段からなる『伊勢物語』は、
在原業平の物語であると古くからみなされてきた。
≪ウィキペディアより≫




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へんじょう

2014-12-05 00:24:46 | 三十六歌仙
木曜稽古は
午後から雨になった
お弟子様は森金さまのみ
大円草を稽古
おひとりでは
稽古も 寂しい
その分
ミッチリお点前を直した
次回は指先まで
決まっている
ハズ




三十六歌仙
今日は 遍昭

遍昭
(へんじょう、弘仁7年(816年) - 寛平2年1月19日(890年2月12日))は、
平安時代前期の僧・歌人。
俗名は良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。
桓武天皇の子である大納言・良岑安世の八男。
母は光孝天皇の乳母とする説がある。
子に素性法師がいる。
六歌仙および三十六歌仙の一人。
官位は従五位上・左近衛少将。
花山僧正とも号す。
小倉百人一首などでは僧正遍昭。
≪ウィキペディアより≫

色紙に書かれている歌は

たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ(後撰1240)


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木枯らしの声

2014-12-04 01:09:22 | 村雨庵 稽古 
12月一週目の村雨庵稽古日
悩むことなく床は
例年通り
看々臘月尽 みよみよろうげつつくし

菓子は「芝の雪」
そのお菓子を届けてくれた千草庵のご主人が
お菓子を渡すなり「紅葉がきれいですね」とひとこと



そうなのだ 今年は格別
わが木戸のいろはもみじが
色鮮やかな黄金色に紅葉している
風は吹いていないのだが
寒波が来ているとかで
寒い 寒い
さすが12月だ


身にしみて寒けかりけり色かへぬ松にもかよふ木枯のこゑ 一葉

樋口一葉
樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、
日本の小説家。東京生まれ。
本名は夏子、戸籍名は奈津。

中島歌子に歌、古典を学び、
半井桃水に小説を学ぶ。
生活に苦しみながら、
「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、
文壇から絶賛される。
わずか1年半でこれらの作品を送ったが、
24歳6ヶ月で肺結核により死去。
『一葉日記』も高い評価を受けている。
≪ウィキペディアより≫

むかし音読会を友人とふたりでしていた
いちばん初めに一葉の「にごりえ」から始めたが
七五調の美文であり、声に出して読む嬉しさがあった
一葉記念館に一度行きたいといいつつ
いまだ果たしていない



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臘月の茶

2014-12-02 23:41:27 | 紫廼茶話会
12月の異名
おうとう(黄冬)、
おとづき(弟月)、
おやこづき(親子月)、
かぎりのつき(限月)、
くれこづき(暮来月)、
けんちゅうげつ(建丑月)、
ごくげつ(極月)、
しわす(師走)、
はるまちつき(春待月)、
ばんとう(晩冬)、
ひょうげつ(氷月)、
ぼさい(暮歳)、
ろうげつ(臘月)
≪ウィキペディアより≫


12月の火曜稽古

山里棚に明の青磁
形は水瓶
薄器は時代 
明治の頃
雪花の文様

茶碗は筒
古瀬戸である
筒茶碗に絞り茶巾
茶杓は小森松庵
蓋置は平戸焼 

菓子器は村瀬治兵衛造



稽古に出かけようとすると
植木のあおきさんが見えた
しばし雑談しながら
足元の落葉を掃くと
「枯葉は塵取りで捨てないで土に戻して」と言う
土の栄養になるらしい
ゴミとして捨てるより
この方がはるかに楽ちんだ
さっさとリズムよく
両脇の植木の根元に掃きこむ
今年の紅葉は珍しく綺麗に色づき
落葉も色とりどり
黒い土が急ににぎやかになった
もう12月
今年もあとわずかだ



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