村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

こまち

2014-12-12 23:40:38 | 三十六歌仙
今日は 月に一度の茶の稽古
年末ゆえに難しい点前ではなく
七事式の
炭付花月と茶カブキをした
でも
それはそれなりに
難しいのだが
札を引いたり
茶を飲み当てるのも
見ているだけでも楽しい
簡単そうでも当てるのは
中々至難のわざ
今日は一人も ゛当たらず


写真は
小野小町

小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、
平安時代前期9世紀頃の女流歌人。
六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
小野小町の詳しい系譜は不明である。
彼女は絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、
後世に能や浄瑠璃などの題材としても使われている。
だが、当時の小野小町像とされる絵や彫像は現存せず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占め、素顔が描かれていない事が多い。故に、美女であったか否かについても、真偽の程は分かっていない。

出自
系図集『尊卑分脈』によれば
小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。
また、数々の資料や諸説から
生没年は天長2年(825年) - 昌泰3年(900年)の頃と考えられている。
しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、
他の史料には全く見当たらない。
そればかりか、小野篁の生没年(延暦21年(802年) - 仁寿2年(853年))を考えると篁の孫とするには年代が合わない。

血縁者として『古今和歌集』には
「小町姉(こまちがあね)」、
『後撰和歌集』には「小町孫(こまちがまご)」、
他の写本には「小町がいとこ」
「小町姪(こまちがめい)」
という人物がみえるが存在が疑わしい。
さらには、仁明天皇の更衣(小野吉子、あるいはその妹)で、
また文徳天皇や清和天皇の頃も仕えていた
という説も存在するが、確証は無い。
このため、架空説も伝えられている。

また、「小町」は本名ではなく、
「町」という字があてられているので、
後宮に仕える女性だったのではと考えられる
(ほぼ同年代の人物に「三条町(紀静子)」「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」が存在する)。

前述の小町姉が実在するという前提で、
姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、
妹である小町は「年若い方の”町”」という意味で
「小野小町」と名付けられたという説もある。
≪ウィキペディアより≫


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水仙が咲いている

2014-12-12 00:32:25 | 村雨庵 稽古 

徹夜ほのぼの明けそめし心水仙に 山頭火

木戸を開ける時、気が付いた
水仙が咲いている

水仙は
・漢名の「水仙」を音読みして
 「すいせん」になった。
 漢名は
仙人は、
天にあるを天仙、
地にあるを地仙、
水にあるを水仙」
 という中国の古典から。
 きれいな花の姿と芳香が
 まるで「仙人」の ようなところから命名された。≪季節の花300より≫



昨日は
炭に当たって辛かった
体を動かしたくないし
お茶も飲みたくない
指先が凍るほど冷たく
体は寒かった
夜中に雨も降った
そのせいもあり
体が重く膝も痛かった

それに引き換え 
今日は元気だ
驚くほど体が軽い


木曜稽古
昼間は予約した病院へ行く
結果は良好
当分元気で生きていけそうだ
この間にやりたいことをしておこう
何がしたいかと
考えるまでも無い
私には
お茶だ お茶

元気なうちは出来るだけお茶をする
つまり茶事または茶会を催す
次は知人の茶事、素敵な茶会があると聞けば
雨が降っても雪が降っても行く
そのうち元気でなくなって
催すことも行くことも出来なくなったら

その時 
考えようっと





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