花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

歴史の後知恵

2017-08-12 14:55:19 | Weblog
 日中戦争の従軍記を書いたことから作家・林芙美子を戦争協力者と批判する人があります。それに対して評論家の川本三郎さんは「林芙美子の昭和」(新書館刊)の中で、林芙美子への批判は「歴史の後知恵」であるとして次のように擁護しています。「戦争そのものは理性的に考えればいくらでも否定、批判できる。しかし、いま現在、国家による総力戦という戦争が敢行されていて、ほとんどの国民がその悲劇に巻き込まれている。そんなときに、自分だけが安全地帯いて高いところから戦争を否定できるのか。まして、戦場で戦っている無名兵士たちを批判できるのか。(中略)総論としては、大東亜戦争の大義名分には疑義がある。中国の戦場を見てきた林芙美子にはそれがとても『聖戦』とは思えない。南方での戦争もそうだ。日本人としてどうも居心地が悪い。にもかかわらず、各論で見ていけば戦場で死を賭けて戦っているひとりひとりの無名兵士の痛苦には敬意を払わざるを得ない。総論では否定しても、各論では肯定せざるを得ない。」
 つまり、戦争自体は“No”でも、戦地で飢えに耐え血を流している兵士の人間性を無価値とは言えないと、林芙美子は考えていたのです。悲惨な状況の中で命を懸けて戦っている兵士に対する負い目が、林芙美子を戦場へ赴かせ、かれらの実態をつぶさに書かせたとの弁護には耳を傾けさせるものがあります。「あいつは戦争協力者だからダメだ」と斬って捨てる「上から目線」では、戦争協力者と言われる人たちそれぞれの態度の濃淡、ベクトルや背景の違いが視界から消え失せてしまいます。歴史的事象の帰結や評価を知っている人間が、その渦中にあり自分の思うに任せない力に流されることもあった人たちを、表面的なものだけから判断して一刀両断してしまうことを「歴史の後知恵」と戒める、川本さんの立場は学ぶべきところ大だとと思います。

(追記)歴史の後知恵の上から目線では、歴史に学ぶ態度は生まれにくいと思います。