何年か経ったのち2011年を振り返った時、この年をどういった年として思い出すだろうかと考えてみました。大震災の年だったという記憶は決して消え去ることはないと思いますが、大震災自体よりも大震災が私たちの心にもたらした影響、あるいは大震災後に特に顕著となった心行きを、より強く思い出すような気がします。
ではその心行きとな何かと問われれば、ひとつは日常化した不安感です。危機というものは、何かトラブルが起こって、初めてその存在を知ることになります。例えば、普段から空き巣の心配をしている人は少ないと思いますが、自分の家に押し入られてやっと、「戸締まりを怠るとエライことになる」と気づきます。しかし、震災および原発事故によってむき出しにされた危機は違います。はっきりとした姿かたちはないけれども、存在することは確実な危機と私たちは日常的に向き合うことになりました。それは、ある時ふと感じるような危機ではなく、あたかもそれがあることが当然であるかのように日常性を持って私たちから離れることがありません。
それから、この危機のいやらしいところはまだあります。放射能や放射性物質が危険なことは誰もが知っています。しかし、どのくらい危険なのかは、ほとんど実感出来ません。ベクレルやマイクロシーベルトといった単位で示される危険度について、どのくらい危険なのか、量的な程度を把握することは素人には出来ないからです。ただ曖昧模糊とした、薄気味の悪い不安感を感じるだけです。まだしも何兆円の赤字と言われる方が、何となく規模感が分かるだけに、「大変だ」と思いつつも、言いようのない不気味さを感じることはありません。
「影におびえる」という表現がありますが、2011年は「影におびえる」ことが常態化した年だったと言えるように思います。日常化した不安感、あるいは不安感の日常化に囚われ、差し迫った危機に直面している訳ではないけれども、日々、「影におびえ」たことがいつまでも記憶に残りそうです。
ではその心行きとな何かと問われれば、ひとつは日常化した不安感です。危機というものは、何かトラブルが起こって、初めてその存在を知ることになります。例えば、普段から空き巣の心配をしている人は少ないと思いますが、自分の家に押し入られてやっと、「戸締まりを怠るとエライことになる」と気づきます。しかし、震災および原発事故によってむき出しにされた危機は違います。はっきりとした姿かたちはないけれども、存在することは確実な危機と私たちは日常的に向き合うことになりました。それは、ある時ふと感じるような危機ではなく、あたかもそれがあることが当然であるかのように日常性を持って私たちから離れることがありません。
それから、この危機のいやらしいところはまだあります。放射能や放射性物質が危険なことは誰もが知っています。しかし、どのくらい危険なのかは、ほとんど実感出来ません。ベクレルやマイクロシーベルトといった単位で示される危険度について、どのくらい危険なのか、量的な程度を把握することは素人には出来ないからです。ただ曖昧模糊とした、薄気味の悪い不安感を感じるだけです。まだしも何兆円の赤字と言われる方が、何となく規模感が分かるだけに、「大変だ」と思いつつも、言いようのない不気味さを感じることはありません。
「影におびえる」という表現がありますが、2011年は「影におびえる」ことが常態化した年だったと言えるように思います。日常化した不安感、あるいは不安感の日常化に囚われ、差し迫った危機に直面している訳ではないけれども、日々、「影におびえ」たことがいつまでも記憶に残りそうです。
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