12/14(月)付けの朝日新聞夕刊では、連載記事の「検証 昭和報道」で水俣病に関する報道が取り上げられていました。公害病という未知の病に対して、「不明な点が多く、報道は鈍かった」とあります。また、伝染病と報じられることもあったそうです。今日の記事で心に残ったのは、水俣病報道を検証している小林直毅・法政大学教授の言葉です。「前代未聞の事態が徐々に姿を現わしてくるとき、大きな報道機関ほど、無視したり、既知の事象や枠組みに無理に合わせる傾向が強い」、この指摘は大きな報道機関のみならず、私たちにも当てはまるものだと思います。ドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバーは、「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」(岩波文庫)の中で、捕らえた人をベッドに縛り付けて、ベッドからはみ出した手足を切り落とすギリシャ神話の強盗の話から、自分の理解出来ないものを本質的なものではないとして切り捨ててしまうことを、「プロクルステスのベッド」と呼び、そのような認識態度を戒めています。私は、朝日新聞夕刊の記事を読んで、このヴェーバーの戒めを思い出しました。小知恵のある人は、きっと上手く辻褄合わせが出来てしまうのでしょう。大学生の時、ゼミの先生から、「分からないものは分からないと言うことが大切だ」と教わったことも、同時に思い出されました。小林教授の指摘にしろ、マックス・ヴェーバーの戒めにしろ、そしてゼミの先生の教えにしろ、肝に銘じるべきことは、しっかり銘じていかなければならないと思います。「そんなの当たり前だよ」と思いながら聞いたことこそ、真っ先に忘れがちなのは、よくあることですから。
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