苅部直著「丸山眞男」(岩波新書)に、丸山眞男が大学紛争の際学生から吊るし上げを食ったことに触れた箇所がある。半強制的に追及集会へ引き出された丸山と学生のやり取りである。『暴力による発言の強制をこばむ丸山に対し、学生が「形式的原則に固執して、われわれの追及への実質的な回答を拒否している」と批判したところ、丸山は「人生は形式です」と凛然と言い放った。しかしジンメルの講演を背景においたその言葉も、嘲笑と「ナンセンス!」の怒号にかき消されてしまう。』
このやり取りにあるジンメルの講演に関して、最近出版された「丸山眞男回顧談(下)」(岩波書店刊)で丸山は次のように述べている。『ぼくは、ジンメルの「現代文化における葛藤」という論文に示唆を受けた。文化の変革期には必ず生と形式との間の矛盾が起きる。いままでの形式は、新しい文化を盛りきれなくなる。そこで古い形式をこわして、新しい形式をたてる。ところが現代文化の危機は、新しい形式を求めるのではなくて、一切の形式を離脱して生命の欲求だけを叶えようとすると。』
この発言は丸山眞男晩年のものであり、大学紛争からかなりの年月を経た後のものである。ジンメルをさらりと引用しているが、単に学生への切り返しにジンメルの「形式」を使ったのではないような気がする。形式を軽んじ生命の欲求に邁進する現代文化の危機というよりは、丸山眞男の言う日本文化の古層より連綿として続いている執拗低音(バッソ・オスティナート)に流されないために「形式」の力に重きを置く考えが、吊るし上げの場に及んで丸山の矜持となって現れたのではないだろうか。ジンメルはその強い思いをオブラートしただけなのかもしれない。回顧談を読みながらそんな風に感じた。
このやり取りにあるジンメルの講演に関して、最近出版された「丸山眞男回顧談(下)」(岩波書店刊)で丸山は次のように述べている。『ぼくは、ジンメルの「現代文化における葛藤」という論文に示唆を受けた。文化の変革期には必ず生と形式との間の矛盾が起きる。いままでの形式は、新しい文化を盛りきれなくなる。そこで古い形式をこわして、新しい形式をたてる。ところが現代文化の危機は、新しい形式を求めるのではなくて、一切の形式を離脱して生命の欲求だけを叶えようとすると。』
この発言は丸山眞男晩年のものであり、大学紛争からかなりの年月を経た後のものである。ジンメルをさらりと引用しているが、単に学生への切り返しにジンメルの「形式」を使ったのではないような気がする。形式を軽んじ生命の欲求に邁進する現代文化の危機というよりは、丸山眞男の言う日本文化の古層より連綿として続いている執拗低音(バッソ・オスティナート)に流されないために「形式」の力に重きを置く考えが、吊るし上げの場に及んで丸山の矜持となって現れたのではないだろうか。ジンメルはその強い思いをオブラートしただけなのかもしれない。回顧談を読みながらそんな風に感じた。
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