「上司は思いつきでものを言う」といったような新書の広告を、いつだったか新聞で見た記憶があります。その時は、「そのまんまだなぁ」とか、「タイトル先行の傾向にある、新書にありがちだなぁ」などと思った気がします。以前、目にした書籍広告を今頃になって思い出したのは、D・ハルバースタムの「ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争」(文芸春秋社刊)に描かれているマッカーサー将軍が、まさしく「思いつきでものを言う」タイプの司令官、もっと言えば夢想する司令官だったからです。仁川上陸作戦のようにマッカーサーの思いつきがひらめきとなった幸運な例もありますが、思いつきの結果失った、あまたの命は悲劇や喜劇を通り越しています。この本の中には、偉大なるマッカーサーの思いつきに現実を合わせるため、無謀な作戦を強行したり、偽りの報告をする部下が次々と現われてきます。おそらく、思いつきでものを言う人がいるということは、しかも偉い人が言うとなれば、それが思いつきではなく、あたかも素晴らしい洞察力の賜物であるかのように、一生懸命糊塗している人たちがいるのでしょう。そのため、思いつきでものを言う人は、反省する契機を与えられないまま、ますます増長することになります。同じ「ザ・コールデスト・ウィンター」には、中国の毛沢東についてのエピソードが挿まれています。毛沢東による「大躍進運動」は大失政で、数千万の餓死者を出しているにも関わらず、極めて稀な上手くいっている事例のみ報告として上がり、政策の転換を具申する側近はひとりも出てきません。唯一、農村の現状を見てくださいと言った、朝鮮戦争の英雄である彭徳懐は、毛沢東の不興を買い、ついには紅衛兵に撲殺されてしまいます。
上司が思いつきでものを言うことは、ものを言う人の偉さ加減、影響の及ぶ範囲の如何、それは大から小まで程度はさまざまでしょうが、ハルバースタムの本のみならず、これからも繰り返されていくことと思います。自分が言う方に回らないよう気をつけることはもちろん、一方で言われる側になった時にどうするかは、とても悩ましい問題です。相手が権力を持った人であれば、個人のレベルでプロテストするのは難しいことです。であれば、そういったシチュエーションを作らないことが大事になります。私たちの身近な局面はさておくとして、少なくとも「ザ・コールデスト・ウィンター」は次のことを示唆してくれます。軍隊に対する文民統制は絶対に必要である、と。
上司が思いつきでものを言うことは、ものを言う人の偉さ加減、影響の及ぶ範囲の如何、それは大から小まで程度はさまざまでしょうが、ハルバースタムの本のみならず、これからも繰り返されていくことと思います。自分が言う方に回らないよう気をつけることはもちろん、一方で言われる側になった時にどうするかは、とても悩ましい問題です。相手が権力を持った人であれば、個人のレベルでプロテストするのは難しいことです。であれば、そういったシチュエーションを作らないことが大事になります。私たちの身近な局面はさておくとして、少なくとも「ザ・コールデスト・ウィンター」は次のことを示唆してくれます。軍隊に対する文民統制は絶対に必要である、と。