8日の夜、東京駅の近くで会社の同期と飲んだ。普段、彼と飲む際は遊びの話が中心となるのだが、この夜は珍しく会社の話に多少踏み込んだ。話の中で彼が言うには、「上にはYesマンで下は踏み台くらいにしか思っていない人は、小さい頃から優等生だった人が多い」、そうだ。ちっちゃな時から、「○○さん、良く出来ました。偉いわね」と言われることを拠り所にして頑張ってきたので、褒めてくれる人には無茶苦茶忠誠を尽くす。だから、今の上司には褒められたいばかりに何でも言うことをきくけれども、評価したりご褒美を与えてくれる権限を失った人(例えば元上司でラインから外れてしまった人)には手のひらを返したような態度をみせる。ましてや、部下を顧みたり育てたりすることはありえない。自分が評価されるためには、利用できるものは利用し、用済みになれば捨てる。そうやって、組織の中で出世の階段を登って来たのだ、と。
彼と別れた後電車の中でふと思ったのだが、「××会社の常識は世間の非常識」と聞くことがたまにあるけど、そういった会社は彼の言う優等生タイプの社員が多いのかもしれない。世間の常識より上司の受けの方が大事なのだから。また、同時に思い出したのが、別の友人がある時、「僕は人よりも職務に対して忠誠を尽くす」、と語ったことだ。また、ノベール賞を受賞された田中耕一さんが、「周りの全ての人から評価されないなんてことはなく、誰か一人くらいは評価してくれるものだ。自分はゆるぎない評価軸を持っていきたい」、と述べたのを新聞で読んだような気がする。いろいろな生き方があるものだ。
彼と別れた後電車の中でふと思ったのだが、「××会社の常識は世間の非常識」と聞くことがたまにあるけど、そういった会社は彼の言う優等生タイプの社員が多いのかもしれない。世間の常識より上司の受けの方が大事なのだから。また、同時に思い出したのが、別の友人がある時、「僕は人よりも職務に対して忠誠を尽くす」、と語ったことだ。また、ノベール賞を受賞された田中耕一さんが、「周りの全ての人から評価されないなんてことはなく、誰か一人くらいは評価してくれるものだ。自分はゆるぎない評価軸を持っていきたい」、と述べたのを新聞で読んだような気がする。いろいろな生き方があるものだ。