goo

この会社の原点は理数系

C62モガ『製品開発システム』--卓越性とあくなき改善を支援するカルチャーを醸成する--を読んでいたら、八重樫さんの話が出てきた。八重樫さんとは東富士で、「今後の社会をいかした会社の将来像と仕事のあり方」に関するR&D(研究・開発)を組みました。そのテーマを行うに当たって、私がある課長を指定して、その課長が八重樫さんを指名して、R&Dにしました。本来は私のテーマに対して、上が動くという時代と場所でした。八重樫さんは皆から『やえちゃん』と呼ばれていた、心優しき実力者でした。

その本の中では、「規律と勤勉」の代表例として書かれていました。「関係者全員がこの挑戦的な目標とその時間軸の計画を達成するには、個人的犠牲が必要であることを理解していた。その一例としてある取締役がもう定年間近の部長で、今後大掛かりなエンジン開発計画を率いる予定がなかった八重樫をハイブリッド・エンジンチームのトップに任命した。彼は幹部と激しく交渉して、プロジェクト管理の権限と最も優秀な技術者を勝ち取った(彼自身の金銭的報酬や地位は求めなかった)。」

「状況を妻に説明した後、彼は会社の寮に移り、目の前にたちはだかる巨大な仕事に完全にのめりこんだ。」

「長い歴史の中で技術者たちの多くがやってきた会社優先を八重樫自身も実行した。ハイブリッド・エンジンを開発中の彼の第一優先事項は、ハイブリッド・エンジンが完成するまで彼のコミットメントを持続することだった。個人生活はそのためには邪魔なものだった。」

この本自体は自分の見方に合わせていて、好きになれません。傍から見ると、そう見えるかもしれませんが、東富士の風土をまるで理解していない。まあ、中に居たものでしか、その当時の雰囲気は分からないかもしれないけど。

私が言いたいのは、やはり、この会社は理数系の会社だということです。だから、名古屋の論理だけが、この会社の論理ではなく、将来を切り開く理数系の論理を持っているから強いのです。早く、名古屋もこの原点からマーケティングを変えていかないと、やばいですね。

だけど、あのR&Dは最高でしたね。重役から、「5年後に本当にこんな世界にすることができるのか」と言われて、4年後に6割ぐらいの設計者の意識を変えることに成功しました。その重役から「いい仕事をした」という評価が聞けました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

万博西ゲートのセンター長

万博開催から、早2年経ちました。当時のボランティア・リーダーから電話連絡ああり、今回出席することにしました。場所が会社施設のカラオケ・ボックスということもあり、出席しないできました。何しろ、カラオケ・ボックスには行ったこともありません。

今回、出席することにした、最大の理由は豊田市でのボランティア教育の担当であり、開催中は西ゲートのセンター長であったKURさんが来られるということを聞いたから。

教育期間中はあまり、インパクトはなかったけど、開催中は彼女のコントロールのおかげで、かなり、自由に考え、行動ができたから。私はそれを「いいかげんなコントロール」と呼んでいた。この「いいかげん」は本来のいみではなく、お風呂の「いい加減」のような意味です。

ボランティアを信用せずに、コントロールするとかではなく、勝手にやらせるとかではなく、「いいかげん」でした。5月まで活動をしたところで、ボランティアと市民、ボランティアとセンター、ボランティアとコンパニオンで、何が市民参画につながるかを考えました。7月から「笑顔とあいさつ」の西ゲートというコンセプトを作って、ボランティアとか、ガールスカウトの人たちと活動していた時に、彼女の存在をありがたく感じました。

そこで、8月の活動日を4日から8日に増やしてもらいました。そこで、自分なりの仮説・実証ができました。その時から、KURさんのファンになりました。市民参画をこういう人と一緒にやれたらと思いました。それ以降、T-GALs活動でも、こういうファシリテーションをこなせる女性を探してきました。それと同時に私の役割は表の活動ではなく、理念構築のような裏の活動だと思ってやってきました。

その活動を再スタートしようとしている時に、KURさんに会えて幸せでした。笑顔は本当に素敵でした。名古屋で「市民参画」を起こそうとしているという話を聞けてよかった。このまま、「市民参画」を志向していれば、どこかで会えそうな気がします。

今回の幹事の方は、KURさんに来てもらうのに、かなりの連絡をして実現にこぎつけた、とのこと。感謝しています。こういう偶然が重なるのですね。

だけど、彼らには申し訳ないけど、今回の集まりで分かったのは、ボランティア活動のメンバーと「市民参画」活動のメンバーとは異なるということです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

やはり、市民参画は行いましょう

2ヶ月ぶりに環境学習施設の「市民の集まり」に会社の帰りに寄りました。金曜日は図書館に行くために、4時に会社を出て、豊田市に向かいます。図書館で本を借りて、活動センターに着いたときには10分ぐらい遅れていました。

今回のテーマは6月の施設オープンに向けてのボランティア活動の分担の打ち合わせと、今後の施設の運営についての相談です。私の関心事は後者です。

ボランティアでの活動とセンター運営とはメンバーも意識も変えていかないとうまくいかないと思っています。理論的に言えば、Think Globallyするのが、市民参画であり、Act Locallyするのがボランティア活動です。

ここ2ヶ月以上も「市民の集まり」が開かれなかったは、ボランティア活動の体制つくりに事務局(NPO)が専念してきたからです。市役所からすると、自分たちの役割の肩代わりしてくれるボランティア活動のイメージは分かりやすいけど、市民参画は得体が知れず、面倒なだけです。まあ、こんな感じで、ノーアイデア・ノー天気で出かけました。

ちょっと、遅れて入っていったら、なんとJURさんがいました。久しぶりです。かわいくなっていました。隣に座らせてもらいました。結婚後,はじめてかも知れません。まだ、やってくれるんだ!

そのテーブルの反対側には、定年後の男性6人が座っていました。彼らは展示解説ボランティアの4つのグループのリーダーおよびその中核メンバーです。思いはバラバラです。余った時間をどう使うのか、その時に小学4年生とのコミュニケーションが持てることが楽しみだと話されていた方もあります。

そういう人は「運営」とか「理念」というのは、別にやってもらえばいい。そんなややこしいことを考えるのは勘弁してくれという感覚です。この意見は何度も聞きました。その後に、オープニングセレモニーの話でやり取りしていたが、役割分担になると沈黙の世界に入ります。「言ったもん負け」の世界です。

そういう時でも、JURさんに、笑顔が戻っていました。それに何かを発言しようとしています。彼女は「広報」が希望だと私に話していました。

9時過ぎになって、駐車料金の心配と10時からの花男2に間に合うように終わりました。運営は今後、定期的に話し合うことに決めました。私にとっては、これだけで十分です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ディスクの上にビットを立てる

私の周りにはシステム屋ばかりです。彼らは“ディスクの上にビットを立てる”だけです。この言葉は会社に入って、電算部でやってきて、10年目に出た言葉です。部品表という、メーカーの根幹となるデータベースが作られた年に入りました。

データベースそのものだけでは動きません。それを効率的に維持していく仕組みと、それを使って、技術者の仕事の加速化を図る仕組みなど、ゼロから作り出しました。「無人の荒野」を進んでいく感じでした。なにしろ、作り上げていくのに、見本はほとんどなく、試行錯誤の連続でした。

私の数学的なロジックを盛り込んだものもどんどん、作り上げました。「よく分からないが、なぜか器用に動く」と言われました。だけど、所詮はルールつくりであり、考え方が変われば、ゼロから変えたくなるけど、変えられない状態になりました。その時に思ったのが、所詮は“ディスクの上にビットを立てる”だけの作業じゃないのか。

だから、私は電算部を出ました。ユーザーの顔が見られ、一緒に考えられ、一緒に作り上げていくことができるところに。それがF3E(12技術部23実験課)です。そして、お客様という、本当のユーザとの接点を求めて、マーケティングに異動してきました。

ここには、この思いを共有できる人はまるで居ません。彼らは“ディスクにビットを立てている”だけです。本当に会話できないのは、本当にさびしいですね、どうしようもない感覚です。

今日から花粉症です。この2,3年は調子がよかったけど、今日はひどいです。花粉症との付き合いは28年以上前で、東富士の時はひどかった。あそこはスギとディーゼルが豊富です。

ヨーグルト不足かもしれません。前のビルの時は、売店には100円以下のヨーグルトが3種類あって、それを食べてたおかげで、軽い症状になっていたような気がします。このビルでは一番安いのでも105円です。平気で200円ぐらいします。通っている人も売っている人も変わっていないのに、雰囲気だけで高くなっています。しょうがないので、105円のヨーグルトか、一日に数度通って、半額になったものを狙います。それでヨーグルト体質にしていかないと。

姪のブログに母親が弱くなったことが書いてあった。父親ともたれあってきたから、当然かもしれない。我が家はまるで違う結末になるのでしょう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

おしゃべりしたいな

ポータルのマニュアルつくりも2週間目に突入しています。やっと、見えてきました。だけど、まだまだ時間がかかります。

さらにこのマニュアルの中身をパワーポイントで説明する資料も作ろうと思っています。単純にして、大きな文字と画面だけにして、遠くから見ていても、具体的なものをイメージとして理解してもらうための説明資料です。これを作り始めたら、もとのマニュアルにもメリハリがつけたくなっています。こだわると本当に時間がかかります。

だから、「未唯への手紙」の更新もせずに、マニュアルつくりに専念しています。Sa-ライブラリへの活動は電算部待ちで、気持ちが悪いので、マニュアルつくりの方に時間を割いています。だけど、ケータイは開始します。

こういう具体的なことをしていると、時々ものすごく心配になります。「こんなことをしていていいのかな」。基幹系システムのマニュアルはメーカーにフォーマットを渡して、システム屋の感覚と工数で書いています。使う方もシステム屋だから、それに慣れてしまえば文句は言わない。その通りに使っていけばいいのだから。だけど、「ポータル」システムは使う人のためのシステムである以上、やる気になるマニュアルであり、その人ごとに的確なマニュアルであり、進化させることもできるマニュアルにしていきたいのです。

だけど、この意味を理解する人ができるのは、先行店で使い始めて、その次に一般店で活用しだして、使う人がポータルの活用方法を考え始めた時だと思っています。それまでは、意図に共感できる人はない状態で作り出していくしかない。そうしないと、会社で290通り、店舗単位で6000通り、個人単位ならば、75000通りのやり方ができるシステムは作り上げられません。

私の仕掛けは、従来の仕事のやり方をしている人には本当に分からないみたいです。私も分かってもらおうという気がないのも確かです。そんなものは、その人が本気になって考えればわかること!という意識です。今まではB-B-Cに燃え、私の意図を的確に通訳してくれる人がいたけど、今はB-Bの基幹システムに集中しています。

だから、この意味を話す相手がほしいのです。だから、私を分かってもらえそうな人とおしゃべりしたいのです。自分に納得させるために。笑顔で聞いてくれる相手を望んでいます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

シネコンのロビーでくつろぎましょう

私は数学者です。そう思って仕事をしています。13年前の暗澹たる思いが、今蘇っています。状況が似ています。自分を理解する人間が居なくて、全てが空振りに終わり、孤独感と孤立感が高まってくるという状態でした。そこから、いかに脱却したかを思い出しています。

キッカケとしての「複雑性」と「創造塾」です。名古屋では今までのやり方が通じなくて、シカト〈無視)されていた。自分を名古屋に合わせるのは、絶対にいや!と思っていた。県立図書館の新刊書のコーナーでエドガール・モランの『複雑性とは何か』を見つけて、読み始めました。そこで分かったことは、「私は正しい」ということです。21世紀の明確なイメージができました。

孤立している私を心配してくれて、技術部から『創造塾』への誘いがあり、活動を始めました。そこで、一人ひとりの「思い」が重要だということをまとめました。そして、1.17の大震災で、それが現実のものになりました。だから、過去の成功体験の上に立っている「名古屋の論理」を乗り越えることに目標にやってきました。だから、今回も、その原点から再構成をしていきます。私は正しい!

商業エリアが今日、正式オープンです。昼休みと帰る前に寄りました。かなり、混雑しています。名古屋は本当にリッチなんだと痛感しました。

コーヒーのレギュラーが840円の喫茶店に人が並んでします。アッパー層が狙いだそうです。中々、買うものがありません。結局、ローソンでスタバのコーヒー(210円)です。このローソンは化粧品とか輸入雑貨とかかなり変わっています。やはり、海外文房具の店がほしいです。

ショールームのクルマは派手にするかと思っていたけど、そこにクルマがあると世界にしています。もっとバーチャルでプレゼンするかと思ってけど、アッパーの人にはやはり、リアルな世界をシンプルに表現するということらしい。

狙い目は5階のシネマです。映画館に入らなくても、カウンターでポテトチップとドリンクを飲むことができます。映画館は予約制だから、人も少ないのと、コーヒーは安いです。そこで、以前、環境学習でコペンハーゲンに行ったときに、ホテルの隣の映画館のロビーに2日間、若い人を観察するために通っていたのを思い出しました。あの雰囲気はなかなか面白いものです。これで楽しみが一つ増えました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

また、入院しました

この部署のの長期計画を聞いて、暗澹たる思いになっています。あまりにも「現実」との乖離が激しい。この「現実」は私が感じている将来からバックキャスティングしたものです。ポイントは2つです。一つは社会システムとの関係が考えられていない。もう一つはインフラとか将来からの観点、つまり理念の部分が感じられない。

2012年には、エネルギー問題も食糧問題も人口問題も今よりもはるかに市民は意識するようになっているはずです。それらの集約としての環境問題は、その時点では方向を明白にして、国として、地方として、地域として、個人として、いかに取り組むのかが課題なっているはずです。それらがまるで論じられていない。

ほかの部署がやるから、関係ないという論理は成り立たないはずです。市民参画的な発想なくして、この部署の最大のテーマであるマーケティングは成り立ちません。インフラにしても、なぜ、サファイアの最初にサスティナブルを持ってきたのか、まるで理解されていない。

13年前に、この部署に来た時に聞いた「分母」、「分子」の発想しかない。あれは過去の成功体験でしかない。お客様が消費者であった世界では、お客様は「分母」、「分子」であったかもしれない。現在のグーグルのようにお客様視点から発想し、コミュニケーションを基本として「複雑性」を含めたコントロールをしようとする社会に対して、ベースがあまりにも古すぎる。

この部署に対して、泣き言のように言ってもしょうがないので、私は「預言者」になります。「未唯への手紙」でシナリオを展開します。「あの時に、そうすれば日本は救われた」と。会社と個人の関係は、生まれてきた理由に比べるとほんの一瞬です。だから、とやかくは言わないけど、考えていた存在が居たことだけは残します。

だから、「未唯の世代」に言いたいのは、あなたの世代がどうなっていくかについて、あまり自信が持てなくなっています。本当にごめんなさい。だから、あなたたちは会社みたいなものを当てにせずに、もっと大きなところ、社会を変えていってもらいたい。

昨日は82歳の母親の誕生日で、実家には3回行きました。そのうち、2回は湿布の貼り替えです。今日も行く必要があるかと帰り道に奥さんにケータイで聞いたところ、「また、入院したから不用」とのこと。どうも、実態は入院させてもらったみたいです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

デジタルライブラリをケータイでチェック

OCR化した資料をケータイでチェックしていました。デジタルコンテンツをどこでも読めるようにいたいと思っています。ケータイならば、交通機関でも出張先でも読むことができます。

この土日で以下の5冊をOCR(テキスト)化しました。304サワ『この国の未来へ』、319ツチ『ネットワークパワー』、318.8キノ『ワークショップ』、335.89ドラ『非営利組織の経営』、349.21ホボ『夕張 破綻と再生』。なぜか、全て社会科学のジャンルです。その内から2つほどを市民参画の参考にしました。

『夕張 破綻と再生』は事例としては極端で参考になりました。見せしめのための「破綻」ですね。今の格差社会の政治のあり方の典型です。だけど、そのおかげで「再生」の可能性も浮かんできました。その時のポイントは「市民参画」です。自分たちが自分たちで守っていくというものです。本の中身では以下のように記述されています。

「住民が日常生活のなかでボランティアとして参加しやすい基礎単位は集落・地区である。全市的な住民参加も重要である。財政破たんを招いた請負型自治を改革するためには、NPOなど夕張再生のために活動する自主的住民組織を立ち上げ、全市的な規模で参加型住民自治を強めることが重要である。」

まだまだ、色合いが付いていません。また、図書館に触れていません。私が以前から考えている「図書館友の会」の発想にもつながります。北海道に行ったときに、現地の雰囲気を味わってきます。

次の本は『ワークショップ』です。Sa-fireの語源のファシリテーションとインタープリテーションを実際に行うのが、ワークショップの場です。万博ボランティアの事前教育でも、延べ10日間ぐらい、ワークショップをしました。

「日本もアメリカに追随する姿勢が常に見られるように、メディアコントロールの影響を受けやすい社会と言える。観客民主主義、疎外的客体性は、都市計画、まちづくりの現場においても大きな障壁となって現れる。公共事業に次第に住民参加への配慮がなされるようになってきたが、いざ住民参加の場面を設定しても、参加する住民が少ないという現状がある。」

市民参画を促進するのは、市民から市民へのワークショップであるという意見には全面的に賛成です。

手段ができたから、デジタルライブラリをまとめます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

女医は弁護士につながる

今日こそ、睡眠時間を稼ごうとして、目覚ましをセットせずに寝ました。この一週間は12時半に寝て、5時過ぎに起きるということが続いています。それもあって、通勤の高速バスの中では本を読まずに、音楽を聴いているのですが。

だけど、6時に起きてしまい、ケータイをいじりながら、本を読んでいたら、ケータイがなりました。妹から、母親から心臓も痛くなってきたので、実家に行くとの連絡。この間の“心筋梗塞の再発”の可能性がありそうです。医者からは次に起きたらやばいと聞いていたので、着替えて、本を5冊持って、鍵を持って、歩いて実家まで行きました。

妹が来て、行きつけの病院に電話したら、心臓となると、手に負えないので大きな病院へ行ってくれ、とのこと。そこで妹のクルマで記念病院の救急(ER)へ行きました。妹は去年末に、子どものMASさんの双子の出産で来ているので、しっかりしたものです。ERはアメリカのTVドラマでは知っているけど、私は初めてです。

入ったところで、救急車で運ばれた男性のところに、スタッフ15名ぐらいと救急隊員2名は取り囲んでいました。救急隊員は運んだら、すぐ帰ればいいのに、と思ったりしていたら、急に静かになりました。救急の割には、検査にかかるまでに1時間ぐらいかかっていました。母は身内には「痛い」「痛い」というけど、大きな声で言わないので、順番が遅くなるのか。

救急の担当は女医でした。マスクをしていたので、素顔は分からなかったけど、従業員証ではなかなかの美人? だけど、母とのやり取りも聞いていると尋問みたいです。母が「背中がいたい」と「心臓がいたい」とか、そのために「ニトロを飲んだけど、座薬は入れていない」とか、聞かれるたびに、色々なことを言っていたので、「要するにあなたはどこが一番の問題にしたいのか」というような言い方で、痛いと言っている所を押していました。かなりのロジカル・シンキングです。弁護士のロジックを聞いているみたいでした。意志が弱いと、病名が勝手に決まりそうです。だけど、私はこういう女性は割と好きかも。

とりあえずの結果は、心臓に異常なしとのことです。まだまだ続きそうです。当分は、12時間ごとの「湿布貼り」です。今日の夜、9時と明日の9時です。コタツに入ると時間が取られますね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

有名人にであった

もうじき、このビルの商店街がオープンするので、何となく、周辺がざわついています。シネマコンプレックスができるのが楽しみです。演目のポスターが張り出されていました。チンギスカンのと、「24の瞳」のリメイク版ぐらいが邦画で、ほとんどが洋画です。ビル横ではチンギスカンの宣伝用のお立ち台が作られていました。

入口の回転扉で反対側から星野仙一が入ってきた。私は気付いたけど、彼は私に気付かなかった。なぜだろう。何かおかしい気がした。「私はここにいます」というメッセージが届かない

マニュアルに今、「修・破・離」を感じています。この言葉は茶道をやっている時に身に着けました。一緒に「態(かた)から入って、態(かた)から出でよ」という言葉も習いました。最初は真似から入って、その真髄を知って、自分の工夫をして、新しいものに変えていくという、日本的な考え方です。

今回も一週間かかってやっと、真似が終わりました。ここからユーザーの楽しそうな顔を想定して、中身を変えていきます。そこで余分なものは捨てると同時に、必要ならば統合化していきます。

このようにわかりやすいマニュアル作りを創造していると、なぜ、会社がカラー印刷を禁止しているのか分かります。それは創造的なことのイメージが彼らにないのです。基幹系の電算メーカーが書かされたような、インプットとアウトプットと処理だけを並べたものしかやってこないからです。相手にために書くようなことはしてこないし、必要ないと思っているからです。

図書館に行く時のクルマにぶつかりそうになりました。わざわざ、車から降りて文句を言いに来ました。ムシしました。私はクルマも運転も嫌いです。だから、宝くじを買いました。グリーンジャンボです。なぜ、グリーンがジャンボか分からないけど。

ところで、人類のミッションはナンなのでしょうか? 個人のミッションとか組織のミッションとか分かるけど。やはり、そんなものはないのでしょうか? それとも「人間原理」のようにあるのでしょうか? ないと本当にさびしいですね。ないと、生まれてきた理由を探るという私のトラウマ自体が意味のないものになります。そんな世界で有名人という人種が果たす役割は多いはずです。だけど、格好つけているだけ。

今日は、何となく、そんなことを思って、過ごしていました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »