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山ちゃんでの送別会

3月30日までに、色々なことを経験したいことの一つとして、「居酒屋に行く」ことがありました。飲めないとなかなかいけないものです。そのことを契約打ち切りで退社する女性で、ビールを飲む時の笑顔が素敵なNAGさんに話している内に、世界の「山ちゃん」へ行こうということになりました。手羽先が辛いけど、ビールに合うそうです。私が言い出しのですが、結局、予約とかメニューは女性に頼ってしまいました。忙しいのに急かして、7時半に到着。

今、色々な面で限界を感じています。組織の限界、個人の限界、社会の限界などです。限界というのは、そこに壁があるとあると思うことなんでしょう。今回のよい割とやってみると他愛のないことがあります。壁の先の相手とつながれば、壁なんてものは迂回すればいいだけのことです。もしかすると、広い野原のところに壁がポツンとあり、その両側に居るだけかもしれません。それを上から見たら、笑えて来るでしょうね。

どう限界を突破していくかのヒントは、全て女性が持っていると思っています。仕事をしながらでも、もしかしたら、別の次元から見ているような気がしています。彼女たちとのおしゃべりから、そんなイメージが出てきたらいいな、と思っています。これで、一人で来て、「肉じゃがのコロッケ」をウーロン茶で過ごせそうです。
最終バスの時間になり、早めに出ようとしたが、女性から大丈夫と言われて残っていました。女性の時間に関する自信はどこからうまれてくるのでしょう。仕切られていると、なぜか気持ちいいです。発車1分前に到着。あぶなかった。

今日、久しぶりのポータルの検討会に出ました。例によって、膨大な紙の資料が私の前に置かれていました。わたしは資料を見ずに目をつぶって聞いていました。大量の本でさえ、私の中に残すものが少ないのに、同じようなことしか書かれていない資料を見ることも、残すことも私はしません。それでも分かるだけの訓練は積んできています。それ以上の細かい内容については、私にとっては「どうでもいい」ことです。「どうでもいい」ことはどうでもいいです。

今朝も3度でした。元町まで歩きながら、自分の存在の不思議さを感じていました。46億年にして、こんな生物体が生まれるとは。それも誰も知らずして、なくなっていくとは。どうしようかね。
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