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満州で講演するとしたら

脳が嫌な感じになっている

 18日に体調を維持できるようにしていかないといけないので、何しろ無理はしません。何か、会社のほうに振り回されています。

 本がまるで頭の中に入っていきません。それが苛立つ原因になっています。

万博にはポリシーがない

 必要なのは個人が発信することです。

 ビデオ・ジャーナリストには頑張ってもらわないといけない。ボランティアも環境専門家にしても頑張らないといけません。

 環境レポート一つ出す時でも、それが世の中を変えられるように試みないといけません。だからこそ、TGALみたいなポリシーがないといけません。

ボランティアの和室はくつろげない

 すぐに出て行けるような形で休んだほうがいいに決まっています。食べることも書くことも出来ません。打ち合わせも出来ません。

満州で講演するとしたら

 ノキアに対して、フィンランドを感じました。ヨーロッパの中でフィンランドの位置付けとノキアの位置付けがよく似ている。フィンランド人はノキアを通じて、ヨーロッパに対して自分たちのメッセージを発信している。

 そのことから言うと、満州と中国との関係、産学の関係が満州にどう影響して、それが中国にどう関係されているのか。ノキアに質問したのと同じ質問をしたいものです。

 もう一つ大きいのはトヨタと日本の関係です。トヨタが日本に及ぼしている影響、日本がトヨタに及ぼしている影響、日本の牽引力としてのトヨタというものは大きなものを持っています。

 万博にしてもそうです。活力という意味です。それがなぜ起こるのか。その体質的なものだけではなく、次がどうなっていくのか、次の日本に対してのトヨタ、次の中国に対しての東軟集団。そんなようなテーマでやったらどうか。

 ここのシステムよりもその方が面白いです。その中でマーケティングとか社会学を入れ込みます。

複雑性によると変化は辺境から起こる

 最終的には中核部分と置き換わる。フィンランドとヨーロッパ、満州と中国大陸、日本とアジアは同じような関係です。

 そう考えると、中華思想に対する満州からすると、中華思想を変質させないといけないかもしれない。大連は中国の一部で、端っこにいるので、中国全体を変えていけばいいです。

 ヘルシンキ工科大学の卒業生数とノキアの採用数が一緒です。その意味では大学制度そのものから変えていけばいいのです。その意味では、大連から中国がどう変わるか見えてきます。

 周辺と真ん中というのは、自分の心臓は真ん中にあるけど、心は全ての縁にあります。それで挟みます。真ん中からの拡大・拡散だけではダメです。自分の範囲を周辺に完全に広げます。

日本はものづくり

 電気製品にしてもレクサスにしてももっと地場的なものを含んでものづくりです。その集大成が今回の万博です。70年の万博と異なり、はるかにソフト的になっています。

 もの作りと同時にマーケティングで皆とどのようにコミュニケーションするかが、一つの特徴になります、中国では更に多くの人とどのようにコミュニケートするのか、それを間違うと大混乱になります。

 ノキアの製品に対して、フィンランド人は寄って集って、要求していい物にしてしまいます。そのために、ヨーロッパの要求レベルよりも高いものになります。

 トヨタも同じです。だから、アメリカに対しても優位性を持ちます。これは社会に認められた企業が成り立つところで実験ができるのです。満州も同じです。同じになって仕事をして中国大陸に出て行けばいいのです。

大連をフィンランドとみなす

 環境問題もここから発信します。その意味で、生涯学習とか環境問題に対して、どのように取り組まれているかを知りたいです。

 彼らが日本語ができるという意味では日本にも影響を与えます。生涯学習センターを大連に作ってもいいのですから。

 辺境から始める新しい中華主義。中華主義そのものは複雑性から考えると非常に硬直化します。それを直すのは辺境からの改革です。

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